風の電話
東日本大震災から10年が経ちました。
あれから、この震災をモチーフにした映画はいくつか作られていますが、本作は2020年に公開されたもの。
あの震災の当事者たちの心の傷と、その間の日本という国に横たわる10年という歳月が、静かな語り口の中にも、突き刺さるように迫ってきました。
日本人の誰の脳裏にも深く刻まれた2011年3月11日。
あの震災の報道を見ているうちに、いても立ってもいられなくなって、震災の爪痕を自分の目で確認しに、何度か車で現地に向かいました。
結局、あしかけ4年をかけて、東北地方の海岸沿いを車で走破。
その記録は、本ブログにも掲載しましたので、興味のある方はご覧になってください。
「震災の爪痕2015」
https://sukebezizy.typepad.jp/.a/6a0120a83f353b970b01b7c7882efc970b-pi
本作のモチーフにもなった「風の電話」は、岩手県上閉伊郡大槌町浪板の国道45線沿いにある公園「ベルガーディア鯨山」の中の、太平洋を見下ろす小高い丘の上に設置されています。
電話線は繋がっていませんが、中には黒電話が一台とノートが一冊。
亡くなった人につながって話ができるというコンセプトの、オーナーのセンスあふれるファンタジーが、口コミで広がり、訪れる人は今でも後を絶たないといいます。
なかには、電話ボックスの中で嗚咽している人もいるそうで、そんな人たちを優しく見守るように、ボックスの周りには、四季の花々が風にそよいでいます。
僕も、2011年の暮れには、乗用車でこの国道45号を青森から南下していますので、震災の年につくられたというこの公園の脇は、もしかしたら通過していたかもしれません。
あの時、何もかもが津波で流された町や村の高台に、まだ真新しい墓石がポツリポツリと点在していた風景が、今でも鮮明に思い出されます。
しかし、10年の時の流れは残酷で、如何にインパクトのある出来事であっても、所詮それが自分にはさほど影響のないテレビ画面の向こうの出来事であれば、記憶は次第に風化していきます。
あの災害で、かけがえのないものを失い、そこから時間が止まったままの人たちが、今でもいるということにも次第に想像が及ばなくなっていることは事実かもしれません。
それを、いいだの悪いだのという気はありません。
それは当事者の方だっていろいろでしょう。
「決して忘れない」ということを生きるエネルギーに変えて生きている人もいるでしょうし、文字通り「過ぎたことはすべて水に流す」と割り切ることで、前へと進める人もいるでしょう。
映画の中では、三浦友和扮する公平が、主人公のハルにこう言っていました。
「それでも、メシは喰わなきゃならんからな。」
そのヒロイン・ハルを演じたのは、モトローラ瀬里奈。
はじめてお目にかかりましたが、不思議なオーラを纏った女優です。
美少女なのか、そうでないのか。
存在感があるのか、ないのか。
演技力があるのか、ないのか。
あるいは、そのどれでもないのか。
監督の諏訪敦彦と女優の二人三脚で作り上げた、本作におけるハルという少女のキャラクターが、本作の透明感とリアリズムを最後までしっかりと支えています。
そして、そんな彼女の広島から岩手までの「心の旅」を、サポートしていく共演者たちも、この「空気感」作りにガッチリと貢献。
三浦友和も、西島秀俊も、もちろんよかったのですが、やはり芸達者という意味では、個人的には、福島出身の大御所・西田敏行に軍配を上げます。
その朴訥とした語り口には、出番は少なかったものの、すっかり感心させられてしまいました。
制服を着た高校生の女の子が、たったひとりでヒッチハイクして東北まで向かう道行に、かかわった人がすべて善意の人だったというのは、考えてみれば出来過ぎと、突っ込まなければいけなかったかもしれません。(駅のロータリーで、不良に絡まれるシーンはありましたが)
しかし、そんな映画的ご都合も、さほど気にならないくらいほど、映画には説得力がありました。
スリランカ人女性が名古屋入管の収容施設で死亡した事件がまだ記憶に新しいところですが、我が国が抱えている大きな問題のひとつでもある、外国人労働者などのエピソードにも言及。
ヒロインは、本州を西から東へ横断しながら、現代日本の世相にも斬りこむ「狂言回し」的役割も演じていきます。
チャップリンの「独裁者」における演説よりも長い、ラスト10分に及ぶ長回しモノローグ・シーン(実際には天国にいる家族との対話)に、映画のメッセージは色濃く凝縮されています。
東日本震災で亡くなった方の数は1万5899人、行方不明者は2526人。
たとえあの震災の直接の被害者ではなかったとしても、この自然災害多発国に住む日本人であれば誰にとっても、同じリスクを背負った「明日は我が身」の運命共有者です。
直後に起こった福島第一原発事故も考えれば、それはなおさらのこと。
実は、全ての日本人が、あの災害の「生き残り」なのだと考えるべきなのかもしれません。
それでは、生き残った者に託された責任とはなにか。
映画はこれを明確に伝えています。
それは、「生きて、思い出すこと。(そして伝えること)」
この責任が果たされれば、今後何世紀にもわたって、あの震災で亡くなった、すべての町も村も人も、永遠に生き続けていけるのかもしれません。
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