車輪の下 ヘルマン・ヘッセ
「星の王子さま」に引き続き、中学の時の国語の教科書に載っていた記憶があった本を図書館で見つけました。
しかし、どうやらそれは記憶違い。
調べてみたら、戦後75年に渡って中学の現代国語の教科書に載り続けたのは、同じヘルマン・ヘッセの短編で「少年の日の思い出」という作品とのこと。
でも、そちらストーリーはほとんど記憶にありません。
やはり、ヘッセといえば、本作でしょう。
しかし確かに、文庫本でまるまる一冊の長編が教科書に掲載されるのはちと考えにくい。
なのに、なぜヘルマン・ヘッセといえば、すぐにこちらの方がパッと頭に浮かぶのか。
それは本作が、長い間中学高校の推薦図書に指定されていたからだと推測されます。
夏休みの読書感想の宿題で、手に取った記憶が微かにあります。
日本では、数あるヘッセの著作の中で、ダントツの人気を誇っているのが本作とのこと。
海外では、むしろ「デミアン」「郷愁」「シッダールタ」の方が多く読まれているようです。
なのになぜ、日本では本作が圧倒的にウケたのか。
それは、おそらく、本作が取り上げたテーマが、日本が潜在的に抱えていた問題と大きくシンクロしたからでしょう。
周囲から期待されたエリート少年の挫折と死。
よくそんな内容の本が、学校の推薦図書になったもんだと言う気もします。
ヘルマン・ヘッセは、本作を通して、今も昔も変わらない、教育という名の虐待、大人からのプレッシャーに押しつぶされていく子供たちの悲劇を静かに炙り出します。
本作の主人公は、ハンス。
元々は、自然の中で釣りなどをして遊ぶのが好きな少年でした。
しかし、幸か不幸か、彼は勉強がよく出来ました。
当時のドイツの田舎では、学業に秀でた子供は、みんな神学校に進むと言うのがお決まりのコース。
母親のいないハンスは、子供の心をまるで理解することを知らない厳格な父親によって、神学校に入学するための詰め込み教育を強いられます。
大人たちの期待に応えようと、必死で勉強したハンスは、2番目の成績で神学校に入学。
少々天狗にもなったハンスですが、そこで出会ったハイルナーという少年の、大人たちや学校に迎合しない自由な生き方に触れ、次第に変わっていきます。
学校で暴力事件を起こしたハイルナーが退学処分になると、みるみるハンスの成績は急降下。
田舎へ帰されることになったハンスですが、そこでも周囲の目や、父親からのプレッシャーに苛まれ、自殺まで考えるようになります。
そんな中、出会った年上の女の子エンマと恋に落ちたハンス。
しかし、自由奔放なエンマに振り回されるだけ振り回されてハンスは失恋。
それからハンスは、鍵屋で職工として働くことで生きる道を見つけようとしますが、先輩たちとの酒宴の後、フラリといなくなり、翌日川で水死体となって発見されます。
しかし、その死顔には、うっすらと笑みが・・
かなり救いのないストーリーですが、まずはハンスの最期が、自殺だったか、事故死だったか問題ですね。
これは、著者がそこをあえて明確に記述していないことから考えれば、基本的に読者の判断に委ねると言うことでいいのでしょう。
個人的には、自殺だとは思いませんが、たとえ不慮の事故であったとしても、ハンスはそんな自分の死を、最後には納得して受け入れていたんだと思います。
作者のヘッセもまた、ハンスと同じように、周囲に期待されて神学校に入学するという少年時代を過ごしています。
しかし、彼はその学校を脱走し退学。
その後、詩人になりたいという一心で、本屋に勤めたり、さまざまな職を経験しながら、詩集を自費出版。やがては、ノーベル平和賞を受賞するような大作家へとなっていきます。
本作で、学校を退学させられた友人のハイルナーは、後に自立して成功すると書かれていましたね。
つまりヘッセは、自らの体験を、この二人の登場人物に、それぞれ振り分けて、物語を構成したということです。
さて、ヘッセ自身にはあったけれど、彼が作中のハンスには持たせなかったもの。
それは、自分の運命を自ら切り開いていくという強い意志。
そして、もう一つは、母親の存在。
この二つでしょう。
その双方ともなかったハンスは、結局心の安らぎを得る自分の居場所を、最後まで見つけることはできませんでした。
我が両親はすでに他界していますが、僕は二人からただの一度も「勉強しろ」と言われたことはありませんでした。
夫婦二人で、普通に街の本屋をやっていましたが、その代わり、忙しかった二人からよく言われたのは「遊んでるんだったら店を手伝え。」でしたね。
母親の口癖は「我が家では、働かざるもの食うべからず」でした。
本屋は学年誌が発売される月初が忙しくなるのですが、そこで手伝わないと、お小遣いももらえないので、いやいや手伝ったことは覚えています。
勉強は強制されない代わりに、働くことの大切さは、二人の背中から教わった気がします。
周囲の大人から、特に期待されたということもなく、結構自由に育ててもらったことは、今となれば感謝です。
うちの叔母の一人が、伴侶を亡くした実業家に見染められて、結婚しました。
僕から見れば、義理の叔父ということになりますが、その方がなんと東京大学卒業。
かなりのご名家ご出身で、亡くなった先妻との間には二人の息子がいました。
彼らは、それぞれ学習院、慶応卒業。
僕から見れば、義理の従兄弟に当たりますが、二人とも欠け値なしの秀才です。
想像するだけでも、叔母は大変だったと思います。
やがて夫婦には娘が生まれます。
この彼女の、小学校時代の家庭教師に指名されたのが、当時大学五年生(一年留年しています)だった僕でした。
ちょっと待った。
正直申してこれにはビビりましたね。
こんな秀才一家の長女の家庭教師が、なんで僕のような三流大学を五年もいっているような出来損ないになるのか。
ちょっと意味不明です。
しかし叔母に尋ねたところ、彼女からはこう言われました。
「お父さんや、お兄ちゃんたちでは、頭が良すぎて、出来ない子の気持ちが理解できないの。でも、あなたならわかるでしょ?」
これには、なんだか妙に納得してしまいました。
そして一緒に勉強を始めてみるとすぐにわかりました。
少なくとも、小学校五年生だったこの従姉妹には、父親や兄たちのように学業優秀になるつもりなんてサラサラないんですね。
敵がその気なら上等。
こちらとしては覚悟を決めました。
成績なんて上がらなくてもいい。
一日一時間と決められた勉強タイムは、とにかくこの子と遊びたおしてやろう。
その頃僕は、この一家が所有していたマンションの管理人室に下宿していました。
毎日の勉強は、そこで行うことになっていたので、離れになっていることを幸に、勉強時間には、教科書も開かないで、生ギターで一緒に歌ったり、近くを散歩をしたり、ドライブしたりと、好き勝手にやらせてもらいました。
結局この家庭教師のアルバイトは1年間続きましたが、結果彼女の成績は特に向上せず。
僕は解任となります。
しかし、そんな家族の期待には、一切応えるつもりのなかったこの10歳の従姉妹の肝は座っていましたね。
家の中では、それなりにストレスもあったのでしょうが、「私はあなたたちとは違う。あなたたちのようになるつもりなんてない」という意思が、1年間付き合った家庭教師には明確に伝わってきました。
さだまさしの歌ではありませんが、「家族の淡い期待あっさり裏切られてガッカリ」と言うことになってはしまいましたが、周囲からのつまらないプレッシャーに押しつぶされることのなかった彼女は、少なくとも、「車輪の下」のハンスよりは、はるかに強かったと思います。
「どこかのタイミングで教えてあげて」と、叔母からなんと「初潮の手引き」を渡されたこともありましたね。
今となっては懐かしい思い出です。
彼女は、その後どこかの短大を出て、ハンスのようにどこかの川に浮かぶこともなく、今は普通に幸せな結婚生活を送っています。
最後にこれだけ言っておきます。
「やはり本作の主人公の生き方は、人の道にハンス。」
そして、
「彼に救いの道を与えたいなら、友人関係にまでズカズカと土足でハイルナー。」
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