河童 芥川龍之介
久しぶりに「青空文庫」からチョイスしました。
大正の文豪、芥川龍之介は、言わずと知れた短編の名手です。
高校時代の現国の教科書に載っていたのは、確か「杜子春」でした。
中学の教科書には「蜘蛛の糸」があったはず。
読書感想文の宿題では、長編を嫌って、短編ばかり選んでいたので、芥川作品には結構お世話になっています。
人間の本質をカリカチュアした寓話的な作品が多いので、そこさえ間違いなく読み取れば、結構点数のもらえる感想文を短時間で作成できたので、有難かったですね。
「羅生門」「藪の中」のように、黒沢映画経由で内容を知ったものもあります。
最近で、「青空文庫」を利用したのは、芥川の遺作となった「或る阿呆の一生」でしたが、これは、小説というよりもラフな自伝的心象風景メモのようで、かなり難解でした。
そして、今回は「河童」。
これも、同じ時期、芥川の最晩年となる昭和2年に書かれた作品です。
芥川龍之介は、友人である久米正雄への手紙として、「遺書」を綴っています。
そこに記されていた、あまりにも有名になってしまったその自殺の原因。
それが「将来に対するぼんやりとした不安」というやつでした。
天才文豪ともなると、「ぼんやりした不安」くらいで、世を儚んでしまうわけか?
正直申せば、天才でもなんでもない一般市民としては、「なんじゃそれは」と首を傾げたくなるような遺書でした。
それまで、芥川龍之介という小説家の人物像は、帝国大学を卒業した秀才で、師である夏目漱石に認められ、当時の文壇ではスター並みの人気のあった人。
その人生は順風満帆で、特に悩みなど持たなかった人。
「ぼんやり」という言葉のイメージから、なぜか勝手にそんなふうに想像していたところがありました。
そんな文学エリートが、凡人の理解をシャットアウトするような、才人ゆえの理解不能な屈折感で勝手に自殺してしまうのは、おいおい、あまりに命を軽んじていませんかと思ってしまった訳です。
彼の自殺以前に、心中自殺をした有島武郎はいましたが、後の文豪自殺連鎖の先鞭をつけてしまったこの人の罪は重いと感じていましたので、彼の自殺には、正直あまり共感は出来ませんでした。
しかし、よくよく調べてみると、彼の最晩年は、実はかなり悲惨なものだったということがわかってきます。
義兄が自殺したことで、彼にのしかかってきた借金と二家族分の生活。
そして、精神障害を発症している実母のDNAが自分にも脈々と引き継がれているという強迫観念。
胃潰瘍、神経衰弱、不眠症なども彼の肉体を蝕んでいきます。
これは、普通に自殺を考えてもおかしくない状況だったんだなとわかってくると、案の定彼は一度やらかしていたんですね。
秘書を務めていた女性との帝国ホテルでの自殺未遂です。
この短編小説の天才の脳裏には、どう自分の人生を締めくくるかという最後の「短篇」の筋書きが、ぐるぐると渦を巻いていたかもしれません。
どうしても、後の太宰治や三島由紀夫の最期と重なってしまいます。
とにかく、本作は、このような状況の中で執筆されたということだけは、まず念頭に置くべきでしょう。
「ぼんやり」なんて綺麗事ではない、あまりにもリアルな「死にたくなるような」現実が、実は彼の前には横たわっていたわけです。
そして、そう考えると、理解できることが一つ。
実は、彼の言う「ぼんやり」とは、むしろそんなボロボロだった彼の、文豪としての精一杯の「見栄」と「つよがり」だったのではないかということです。
本当は、死にたいほどの辛いストレスを抱えているのに、多少は名の知れた作家として、そこは無理をして、「ぼんやりした不安」などと気取っているのかもしれない。
自分は痩せても枯れても、日本中に愛読者を持つ流行作家なのだ。
あんまりみっともない死に方もできない。
ここはまだ華のあるうちに、世間が注目してくれているうちに、青酸カリだ。
そんなふうに、自分を自殺まてせ追い込んだのではないかという気もするわけです。
芥川ファンの方には申し訳ないけれど、もしそうだったとするなら、少々滑稽でもあり、ある意味では、哀れな話です。
そんなところを深読みして、思いを馳せてみると、芥川の人間としての「弱さ」が、実に愛しくも思えてきます。
そう考えると、芥川作品に、大きな影を落としている、厭世観や自己肯定感のない自虐的とも言えるスタイルこそが、ほぼ一世紀にわたって、多くのファンの心を掴んできた大きな要因であるかもしれないと思われるわけです。
昨今、芸能人の突然の自殺が連鎖的に起こっています。
つい先日も、神田沙也加が、飛び降り自殺をして、世間を驚かせました。
彼ら一人一人の抱えた事情は分かりませんが、そこに、有名人になってしまったことで抱えてしまった自分自身の虚像と、本人自身が折り合いをつけることができなくなってしまったジレンマはあったかもしれません。
だとすれば、この100年近くも前の文豪の自殺は、たとえ無意識ではあったにせよ、彼らの行動に影響を与えることになったとも考えられます。
さて、「河童」です。
この短編が書かれた時代の日本文学を席巻していたのは「私小説」でした。
芥川は、自らの作品をフィクションとして構築し、寓話という味付けをすることで、田山花袋や志賀直哉といった私小説作家群とは、明らかに一線を画す文筆活動をしていましたが、もしも彼が、この作品の背景にあるものを、「私小説」として書いていたら、本作はどうなっていたか。
彼の文章力を持ってすれば、それはおそらく、恐ろしくリアルで暗い、救いのないような作品になってしまっていたような気がします。
そんなものを自分の読者は求めていないとわかっている芥川は、それならば、そんな悲惨な状況や、人間社会の持つダークサイドを、とびっきりのファンタジーとして、エンターテイメントしてしまおうと考えた。
それが本作ではなかったかと邪推してみたくなるわけです。
そこで、芥川が俎上にあげたキャラクターが、河童というわけです。
河童の国のリアルな現実の背景には、明らかに自分自身の境遇を漉き込んだ、社会へのアンチテーゼがあります。
芥川は、いずれもユニークで、しかも象徴的な本作の河童キャラクターたちを通じて、人間社会の持つ矛盾を、コミカルに抉っていきます。
そして、自分の抱えた不安やトラウマも巧みに盛り込みながら、当時の社会を皮肉たっぷりに風刺していきます。
父親の精神病の懸念から、この世には生まれたくはありませんと出生を拒否する河童の胎児。
(もちろん、その背景には、芥川の生後9ヶ月で精神病を発症した実母の記憶があります。)
人間社会とは反対に、雌が血眼になって雄を追いかけるという河童社会の恋愛事情。
(これには、常軌を逸した女性ファンによるストーカー行為によって恐怖を味わった芥川自身の体験があります。)
労働者が解雇されたら、その職工たちは屠殺して食用にしてもいいという「職工屠殺法」。
(日本でも、最下層の若い女性が売春婦になっているのだから、似たようなものだと河童たちは腹を抱えます。)
どんな犯罪を行ったとしても、その原因となるものが消失してしまえば無罪という河童の国の刑法。
(これは、義兄の遺した多額の借金を負わされた芥川のボヤキにも聞こえます。)
巡査の「演奏中止」の一喝で、突然中断されてしまう音楽会の様子。
(ここには、芥川の作品を理解することの出来ない検閲官に、自作品を伏字だらけにされた恨みつらみが読み取れます。)
詩人トックの自殺に際して、「よし、これで最高の葬送曲が出来る!」叫んだ音楽家クラバック。
(ここには、明らかに「地獄変」でも描かれた、芥川の芸術至上主義に対する問題提起があります。)
悪遺伝子を撲滅するために、健全な遺伝子を持つ河童と、不健全な遺伝子を持つ河童との結婚を奨励する政府。
(これは、発狂した自分の実母の遺伝子話受け継いだ彼の心の叫びに聞こえます)
こんな具合に繰り広げられる河童ワールドの背景には、芥川自身を取り巻くのっぴきならない現実と、世の中の不条理が巧みに仕込まれています。
正直、今の世の中から俯瞰すると、「ちょっと待て」というような、かなり強引な内容もあるのですが、そこは河童たちのユニークなキャラがうまく緩和してくれて、こちらは知らず知らず、上手に丸め込まれてしまうわけです。
言ってしまえば、この辺りが、小説家芥川龍之介の真骨頂とも言うべきいうところでしょう。
さて、本作に関する文学論は、門外漢としては文学系YouTuber にでも譲るとして、ちょっと目線を変えてみます。
小説を読む時の個人的習慣として、文章を頭の中で一度映像に変換をするというような作業をするわけなのですが、その変換素材として多く使われるのがやはり過去に見た映画なんですね。
まず本作の導入部。
精神病院に入院している第二十三号の回想を記録していくというスタイルなのですが、いわゆる精神病院オチとして有名な映画として、1920年にドイツで作られた「カリガリ博士」を思い出しました。
ドイツ表現主義の代表的作品ですが、この映画は、本作が執筆される7年前の映画ですので、キネマ好きな芥川も鑑賞して、本作のヒントにした可能性はありそうです。
そして、その主人公が穂高山で河童に遭遇して、追いかけているうちに穴に落ち、河童の国へ紛れ込んだという展開は、まさにルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」です。
アリスが追いかけていったのはウサギでした。
映像としては、ディズニー版のアニメの印象が強かったですが、原作自体は、1865年に書かれていますから、芥川も参考にしたかもしれません。
さて、河童の国に迷い込んだ主人公が、河童の国でさまざまな経験をしていくというのが本作のメインなのですが、これがスイフトの「ガリバー旅行記」の影響を受けているというのは、よく言われる話ですが、映画オタクの脳裏にずっと浮かんんでいたのが、あのSF映画の傑作「猿の惑星」でした。
河童たちを、あの猿の特殊メイクにしたら、シチュエーションはかなり近いものがあります。
物語のラストで、主人公が人間界に帰るときに、この世界へ一緒に落ちてきた河童の助けを借りることになるのですが、この河童はすでに老人であると聞いていたのに、子供の姿をしています。
聞けば、生まれた時に老人だった彼は、年を追うごとに、若返っていくというんですね。
あったぞ。そんな映画も確か。
主人公をブラッド・ピットの主演で撮った「ベンジャミン・バトン数奇な人生」ですね。
監督は、デビッド・フィンチャーでした。
さて、河童の造形を思い出させるような映画を案外見ていません。
調べると、米米クラブの石井竜也が監督した「河童」という1994年の映画があり、まさにこの短編を原作にした、「河童 kappa」という映画が、2006年に作られているのですが、両作とも残念ながら未見。
子供の頃に見た「河童の三平」という特撮ドラマがありましたが、主人公は普通の少年で、河童姿の印象がありません。
「ウルトラセブン」の第41話「水中からの挑戦」に登場したテペト星人は、河童をモデルにした宇宙人でしたが、これはかなり怖くて、本作のイメージではありません。
河童の姿として、強烈に印象に残っているのが、同じく、子供の頃に見た大映映画「妖怪大戦争」に登場した河童でしたね。
敵の妖怪にあっさりやられてしまいましたが、結構活躍してくれました。
コミカルな河童でなかなか味がありましたが、河童としては登場は一体のみ。
あとはみんな違う妖怪たちでした。
小説の中では様々な河童キャラが複数登場してきます。
もちろん雄雌合わせてです。
そうなってくると、頭で描いていた河童の映像は、映画ではなくて、いつのまにか、あの昭和のクラシック・コマーシャルになっていましたね。
果たして、覚えている人が、どれくらいいるでしょうか。
コマソンの女王楠トシエが元気に歌っていました。
「カッパッパ、ルンパッパ、キーザクラ〜!」
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