安倍晋三氏国葬反対
自民党茂木幹事長が、「国葬反対は民意ではない」みたいなことを堂々と言っていたのでビックリしてしまいました。
この人が、どれくらい国民の民意を把握していたのかに疑問はありますが、本当にもしそうなのだとしたら、おいおい、ちょっと待ちなよ、少なくとも俺は違うぞと言っておかないといけないと思った次第。
やはりこれだけの事件が起きてしまうと、色々と考えることもあって、なかなか通常の映画、読書感想モードには戻れないでいます。
日本のメディアは、安倍政権の8年の間に、完全に政権忖度に染まってしまっているので、テレビやラジオ、新聞はとっくに見限って今は絶縁状態の日々を送っています。
インプットしているニュース・ソースは、ほぼYouTubeやSNSのみです。
YouTubeでいえば、YouTuberのほとんどは、再生回数確保に血眼のチャンネルが多いので、ニュースのクゥオリティは玉石混合ですが、それでも、自分達は公平ですよと言うような顔をして、シレッと政権擁護のニュースを垂れ流す大手メディアの忖度報道よりはなんぼかマシだと言う思いで、大手企業とスポンサーを持たずに、視聴者の寄付で運営しているようなニュース・チャンネルを日々、野良仕事をしながら聞いています。
ネット上のみで、ニュース報道に触れていると、こちらは大手メディア報道とは反対に、自民党政権に対するバッシングに溢れていて、やはり、こちらも気がつけばそんなモードになってしまっております。
ですから、この感覚で、先日若者の凶弾に倒れた悲劇の元宰相安倍晋三氏に対する、恣意的、確信犯的神格化がじわじわと盛り上がってくると、その不気味さに、ノンポリ百姓ではあっても、「待て待て」と言う気になってきてしまいます。
そして、何事においても、「慎重に意見を聞いて決定し、決定しても批判があればすぐに訂正する」はずの岸田総理が、今回に限っては、間髪入れないタイミングで、「国葬を閣議決定」してしまい、国民の反対の声に、耳を貸さずに9月27日に強行と言うのも、なんだか、この人の「立場の脆弱さ」を反映した政治的思惑が見え隠れして、気持ち悪いこと夥しい。
岸田総理だけではありません。
なんだか、政治家の誰も彼もが、良くも悪くも、安倍晋三という政界におけるビッグアイコンが突如消失したこの衝撃的出来事を、なんとか巧みに、自分の立場を有利にする為に利用しているように見えて仕方がないわけです。
安倍晋三氏銃撃事件は、彼が総理時代に残した悪行の数々を解明する機会を全て奪うことになってしまいました。
そして、到底功績とは言えないものを無理矢理レジェンドにでっち上げ、「死人に鞭打つ」ことをよしとしない日本人特有の感性を上手に利用して、どう贔屓目に見ても、「偉人」であるはずのない政治家安倍晋三を、吉田茂、山本五十六、東郷平八郎、世界で言えば、ガンジー、ネルソン・マンデラ、ウィンストン・チャーチル、ジョン・F・ケネディらと並べようとしていることが、個人的にはとても耐えられないということだけは申し上げておきましょう。
百歩譲って、茂木幹事長の言う通り、日本国民の多くが、もしもそれを望んでいるのだとしたら、我が国の国民は悲しいかな、今話題の旧統一教会の信者たちのように、知らず知らず、自民党政権にマインド・コントロールされているのだと気づくべし。どうか、どちら様も我に返っていただきたいものです。
少なくとも、事実上ウォーターゲート事件で失脚したニクソン大統領は、国葬にされることを辞退しましたし、功罪あったマーガレット・サッチャーは、国葬ではなく準国葬扱いにされ、あの中曽根元総理は国民感情を配慮して、内閣・自民党合同葬という扱いでしたし、曲がりなりにもノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理も国葬ではなく国民葬という体裁で、葬儀は執り行われました。
福田赳夫、小渕恵三、橋本龍太郎、宮澤喜一といった、それなりに日本政界に名を残した元総理経験者たちも、全て「内閣・自民党合同葬」という形式で葬儀が執り行われています。
安倍氏が、国民の生活を顧みずに、大企業や資産家だけに利益誘導をすること、そして、人事権を掌握して官僚たちをイエスマンに調教しながら、兎にも角にも、任期中のすべての選挙に勝利し、憲政史上最長総理在位記録を打ち立てたことは事実です。
その意味での功績が、自民党から称賛されることについては、なんの異議もありません。
ですから、彼の葬儀が「内閣・自民党合同葬」として行われるなら、反対とまでは言いません。
しかし、国葬となれば、問答無用で、国民の税金が使われ、全ての国民は喪に服せと強要されるようなもの。
申し訳ないが、これには合点が行きません。率直に冗談じゃないよという話です。
かつて「クリミアの天使」と謳われたナイチンゲールの親族の皆さんは、国葬にしたいという英国政府の申し出を断り、家族たちの間で小規模に執り行ったといいます。
安倍昭恵様の心中も幾許のものかと拝察いたしますが、ここは是非毅然と、政府の国葬の申し出などは固辞し、女をあげてもらいたいもの。
それが出来れば、ご主人の人生の「恥の上塗り」は、多少なりとも防げるかもしれません。
側近のどなたかに、心ある人がいるなら、是非彼女にそう進言してあげて欲しいものです。
考えてみれば、もうそれくらいしか、自分の政治人生にレジェンドをひたすら欲しがった、安倍氏に残された有終の美はないと思われます。
とにかく、もしも本当に日本国民のご歴々が、茂木幹事長の言うように、安倍氏の国葬を望んでいるのだとしたら、一度テレビのスイッチは切って、冷静に考えてくださいませ。
国民がそろそろ忘れかけようとしている、安倍氏のこれまでの全ての疑惑を、この国葬で一気にチャラにしようとしている政権の思惑が、透けて見えてくるはずです。
そうではなくて、もしも、安倍氏の国葬には賛成はしないけど、どうぞご勝手にと、かっこよく無関心を決め込むのだったら、それは決してカッコ良くはありません。
見事に、自民党政権に利用されてしまっています。
後で後悔しないためにも、こんな長ったらしいブログなど書く必要はまるでありませんが、SNSでの誰かの「国葬反対」ツイートに、「いいね」をするとか、リツイートして、自分の意思表示だけは形に残しておくべきだと思います。
連中は明らかに、国民を舐めてかかっていますので。
安倍氏の国葬には絶対反対。
僕の個人的理由は、先ほど述べました。
安倍晋三氏は、決して、後に歴史の教科書で語られるべき「偉人」ではないということ。
とにかく、生理的に嫌なものは嫌というのが、この件に関する最も端的な理由なのですが、それではあまりに大人気ないので、一応考えられる理由らしい理由を挙げておきます。
理由は以下の3つです。
一つ目。
まず、警備の問題。
アメリカの歴代大統領や、世界中からの超VIPが、日本武道館に招待されるわけですが、安倍元総理一人も、凶弾から守れなかった日本の公安が、果たして、世界のVIPを守れるのかという至極単純な話。
安倍氏の凶行現場の動画を見る限り、一発目の銃弾が逸れて、二発目の銃弾が発射されるまでの3秒の間に、瞬間的に安倍氏に身を挺して、その場に伏せさせたSPはいなかったように見えます。
こういったテロが多い国では、当たり前になっているSPのセオリーを実行させるまでの覚悟が、日本のSPにはなかった気がしてなりません。
ケビン・コスナーなら、躊躇せずに安倍総理に覆いかぶさり、犯人の銃弾をその防弾チョッキに浴びたはず。
願わくば、招待された各国首脳が、あの現場のYouTube動画を見て、いやいや、そんな危険な国にはいけないでしょうと判断してくれることを祈るのみ。
二つ目。
みなさん、忘れてませんか。Covid-19 は、まだまだ収束していませんよ。
オミクロン株は、さらに変異株BA5に進化を遂げて、そろそろ、この騒動にも慣れて、緊張感の無くなってきている人々を餌食にしながら、じわじわと拡大しています。
終わったばかりの参議院選挙と今回の安倍氏の銃撃事件で、国民の多くは、マスクしてればいいいんだよねとばかり、かなり「密」なコミュニケーションを平気でしていました。
その顔には、「もうコロナはいい加減、いいでしょう。」と、書いてあるようでした。
これまでの鬱憤もあったのでしょう。「おいおい、今はそんなことを言っている場合じゃないでしょ」とも書いてあるようでした。
案の定、全国のコロナ感染した陽性者数は、気がつけば鰻登り。
日本を上げてのお祭り騒ぎだったこの参院選中に、大きくの政治家も有名人も、かなり多くの人が感染しています。
確かに、季節要因で、この時期は、毎年感染者数は増加するものなのかもしれません。
その意味では、例年の傾向で言えば、お盆過ぎには、減少していくかもしれませんが、コロナ感染対策で大事なことは、減ってきたときに、どんな対策をするかです。
それを、ワクチンへの神頼みだけで、いまだにPCR検査を国家レベルで行おうとしない、世界の標準化から見れば周回遅れの我が国で、そんな大きな国家的イベントを行ったらどういうことになるのか。
答えは歴然。さらに強力になった新型コロナ株を、喜ばせるだけのことです。
万が一、列席されたVIPに、日本でコロナ感染させてしまったら、どんな国際問題になるか。
ああ、恐ろしや。
申し訳ないが、今の日本は、そんなVIPを招待できるような「安全」な国ではないことは明白です。
そして、最後3つ目。
そもそも、この国葬を行うという法的根拠がありません。
これが閣議決定されてしまうことが、由々しき憲法違反であるということ。
松野官房長官の弁。
「国葬儀を含む国の儀式の執行は、行政権に属することが法律上明確だ」
はい、出ました。
彼らの天下の宝刀、法律の無理くり解釈です。
彼らは、この手をよく使います。
集団的自衛権を認めた安保法制の時もそう、あの黒川検事総長の強行人事の時にも、定年延長法を「とんでも解釈」してゴリ押ししたのも記憶に新しいところ。
松野官房長官は、内閣府設置法4条第3項引っ張り出してきて、国葬は内閣府がつかさどる業務とする根拠としたわけですが、この条文は以下の通り。
「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」
そうです。ここには、内閣は「国の儀式」における事務作業を執り行うとしか定められていないわけです。同法は、そもそも国葬の判断基準を示していません。
戦前の、「大日本帝国憲法」の時代には、勅令としての「国葬令」があり、国葬の対象を皇族や「国家に偉功のある者」として国民は喪に服すよう求めていますが、新憲法に置いて定められた政教分離規定を踏まえて、1947年に失効しています。
つまりは、新憲法下においては、国葬を執り行うことを、国会の審議を経ずに、閣議決定してしまうことは、思想・良心の自由を保障している憲法19条に違反するというわけです。
くどくどいうのはやめましょう。
要するに、日本国民は、我が国の政府に、とことん「たかを括られている」もしくは「舐められている」ということ。
そんなこと言ったって、あんたたちは、先の選挙で、ちゃんと自民党を選択したんでしょ?
なら、わたしたちが何を決めようと文句ないでしょ?
彼らは、この選挙結果を踏まえた上で、自信を持ってそういうはずです。
まあ、そう言われても、仕方がないといえば、仕方がない話かもしれません。
政府自民党は、先の選挙で、国民に最も支持された政党であることに、間違いはありません。
しかし、少なくとも、僕自身は決して自民党には自分の一票入れていないので、最後にもう一度はっきり言わせてもらいます。
やはり、どう考えても、安倍晋三氏の国葬には絶対反対!
どうして、安倍晋三氏が殺されねばならなかったのか。
できれば、どちら様も、もう一度そこのところを真剣に考えてみてくださいませ。
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