パラダイン夫人の恋
久しぶりにヒッチコック作品を鑑賞。
ヒッチコックは、その80年の生涯で53本の映画を残していますが、そのうちの23本はイギリス時代の作品。
この時期の作品は、ソフト化されていないものも多く、見られない作品も多いのですが、渡米して以降に撮られた30本は、名画座か、レンタル・ビデオか、衛星放送を録画したものでほぼ鑑賞しています。
映画マニアの見栄で、今まで「ヒッチコック作品は全部見ている」などと豪語してきましたが、白状しますと、アメリカ時代(「フレンジー」は、イギリスで撮っていますが)の30本のうち、未見のものが3本だけあります。
「トパーズ」「山羊座のもとで」そして、本作「パラダイン夫人」です。
その3本とも、実はDVDは持っているのですが、その安心感が仇になって、今までずっと整理棚で埃を被っていました。
しかも、笑ってしまうのは、今回見たのは、その秘蔵DVDではなく、Amazon プライムのラインナップからなんですね。
なんのために録画してあったかわかりません。
最も、衛星放送で本作品を録画したときには、現在のサブスクライムの時代が来るなんてことは想像もできませんでしたからしょうがないでしょう。
とにかく、自称ヒッチコキアンとしては、生きているうちに、見ることができるヒッチコック作品は全て制覇しておきたいところ。
もう老後は始まっていますので、あんまりもたもたしていると、せっかく撮り溜めたDVDを、宝の持ち腐れにしてしまいそうです。
さて、本作の主演はグレゴリー・ペックとアリダ・ヴァリ。
グレゴリー・ペックは、「白い恐怖」で、ヒッチコック作品に出演したばかりの頃です。
アリダ・ヴァリは、本作がアメリカ映画デビューで、クレジットは「ヴァリ」になっていました。
この人はなんと言っても、本作の翌々年に出演したキャロル・リード監督の普及の名作「第三の男」が超有名。
あの哀愁のラストシーンで、ジョセフ・コットンをシカトして、落ち葉舞い散る並木道を歩き去っていったのが彼女でした。
イタリアに戻って撮った「夏の嵐」や「かくも長き不在」も印象的でしたが、そのきつめの美貌は、後年イタリア製ホラー映画で、凄みを増していました。
本作は、ヒッチコック映画にしては、なかなか珍しい法廷サスペンスですが、真っ先に思い出したのが、ビリー・ワイルダー監督の傑作「情婦」。
アガサ・クリスティの短編「検察側の証人」を見事に映画化した、ドンデン返しの見本のようなミステリー作品でしたが、話の展開がかなり似ていました。
しかし本作の方が、「情婦」よりも、10年以上前の作品ですから、ワイルダー監督も、このヒッチコック作品を意識していたのかもしれません。
それに、「情婦」では、正義の弁護士を勤めていたチャールズ・ロートンが、本作ではクセのある俗物判事役で、達者なところを見せているので、後々イメージが混同しそうです。
ヒッチコック映画のバイブルでもある「ヒッチコック 映画術」によれば、本作は、「配役が、明らかにミスだった」と、ヒッチコック自身が語っています。
まず、グレゴリー・ペックが、「どうみても、イギリスの弁護士に見えない」というわけです。
この本のインタビュアーであるフランソワ・トリフォーが、「では誰が適役か」と聞くと、ヒッチコックは「ローレンス・オリヴゥエか、ロナルド・コールマン」と答えています。
ローレンス・オリヴィエといえば、「レベッカ」でも重厚な演技見せてくれたイギリス演劇界の重鎮。
ロナルド・コールマンというと、あのコールマン髭で有名な人。
確かに、このお二人共通している風格みたいなものが。、まだこの時期の若きグレゴリー・ペックには足りなかったかもしれません。
しかし、彼は後の「アラバマ物語」では、黒人を弁護する正義の弁護士を演じて、堂々アカデミー賞主演男優賞を獲得していますので、本作から15年後のグレゴリー・ペックを見ていれば、ヒッチコックもダメ出しはしていないかもしれません。
ペック演じる弁護士の妻を演じたのはアン・トッドという女優で、どこか「北北西に進路をとれ」のエヴ・マリー・セイントにも似たブロンド美人でしたが、これもヒッチコック監督は気にいらなかった模様。
彼がキャスティングを希望していたのは、なんとあのグレタ・ガルボだったそうです。
ローレンスオリヴィエと、グレタ・ガルボと言うことになれば、これは、クラシック映画ファンとしては、是非とも実現させて欲しかったキャスティングですね。
パラダイン夫人の夫殺害容疑に対して、重要な証言をする邸宅の下男を演じたのが、ルイ・ジュールダンでしたが、このキャスティングについても、ヒッチコックはダメ出しをしています。
この役については、彼の希望は、もっと粗野で下品なイメージ。
ルイ・ジュールダンではいかにも綺麗すぎるというわけです。
適役を聞かれて、ヒッチコックはロバート・ニュートンという俳優の名を挙げていたので、ちょっと気になって調べてみたら、ヒッチコック作品では、「巌窟の野獣」にも出演していましたね。
しかし僕の記憶にはありません。
ヒッチコックに言わせれば、かなりアクが強く、狡猾な悪党をやらせたら天下一品だったようですから、
実現していれば、これも面白いキャスティングになったかもしれません。
しかし、ここはブロデューサーの意向で、定石通りに、見映えのいい美男美女をキャスティングされてしまいましたから、ラストの展開を考えると、確かに映画的サプライズは薄めてしまったかもしれません。
この時期のヒッチコックは、イギリスでのサスペンス作品の腕前を見込まれて、プロデューサーのデイビッド・O・セルズニックにスカウトされて、渡米しており、いわば雇われ監督です。
ですからプロデューサーに、この役者を使ってくれといえば、それに対して、なかなかノーとは言えない立場でした。
しかも、このセルズニックという人は、作品が自分の意に沿うように、脚本にまで手を出してくるようなワンマンなプロデューサー。
本作でも、セルズニックは、脚本としても、クレジットされています。
いわばこの時期はチーママ監督であったヒッチコックとしては、オーナーの意向の中で作品を作らなければいけない立場でしたから、この辺りはツラい立場でした。
しかし、異議はあっても映画は作らなければいけませんから、ヒッチコックの興味は、本筋ではないところに行ってしまったようです。
そんなわけで、彼としてはやや不本意な形での映画製作ではありましたが、それでもそこはヒッチコック。
本作の随所に、後の彼の作品を髣髴させる演出が確認出来て、ヒッチコキアンとしては、それになりに楽しませてもらいました。
映画の冒頭、パラダイン夫人を背後から寄っていくカメラワークは、後の「めまい」で、キム・ノバックに寄って行くシーンの原型があります。金髪とブルーネットの違いはありましたが、2人の髪型は酷似していました。
夫人が警察に逮捕されて、留置されるシーンは、後の「間違われた男」にも通じる演出が見られました。幼少の頃、躾の一環で留置場に入れられたことのあるヒッチコックは、これがトラウマになっていて、彼の恐怖の原点になっているというのは有名なお話。
カメラワークも、見逃せないものがいくつかありました。
証人のルイ・ジュールダンが入廷する際の夫人への視線を、200度近くグルリと追いかける演出は、ヒッチコックがいかにも好きそうなカメラワーク。
もちろん、これはラストへの伏線にもなっています。
この辺り、ここぞというところで、カメラワークを仕掛けるヒッチコックの面目躍如。
裁判に敗北したグレゴリー・ぺックが、法廷を去るシーンで、カメラは突然天井からの俯瞰に切り替わります。
この辺りも見事。でした。
確か、「アラバマ物語」でも、グレゴリー・ペックが裁判に負けて、法廷を去るシーンがありました。
俯瞰ではありませんでしたが、二階の傍聴席の黒人たちが見送るカットになっていましたね。
本作は、ヒッチコックの作品の中では、それほど評価は高くありませんが、なかなかどうして、見応えは充分。
個人的な不満は、やはりグレゴリー・ペックの妻を演じたアン・トッドでしたね。
映画の中では、最終的には「美味しい」役になっているので、ヒッチコックが希望したグレタ・ガルボとまではいかなくとも、主役のアリダ・ヴァリを食わない程度に、もう少しこちらが感情移入できるようなブロンド美人であれば、ポイント増になっていたかもしれません。
さて、ヒッチコック作品のお楽しみと言えば、監督自身のチラリ出演シーン。
ありました。ありました。
これは、グレゴリー・ペックが、弁護のため、パラダイン夫人の住んでいた邸宅に訪れるシーン。
降り立った駅の改札で、出てきたグレゴリー・ペックの後ろから、コントラ・バスのような楽器を抱えて出てきたのがヒッチコックでした。
スリルとサスペンスの巨匠に、ちゃんとユーモアのセンスもあるあたりが一流の証です。
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