本日は朝から雨。
畑には行けないので、早朝から「お絵描き」をしておりました。
自分で描いたイラストは、毎年、自家製のカレンダーに使っているのですが、そろそろ来年分を仕込もうというわけです。
来年のカレンダーのお題は、「ラストシーン」にしました。
今まで見た映画の中で、印象的なラストシーンだった映画を思い出して、そのラスト・ショットをイラストにしてみました。
どれも、有名すぎるくらい有名な映画ばかりですので、なんの映画のラストシーンだったか、当ててみてください。
正解は、本ブログの最後で。
映画製作年度の古い順から並べてみます。
ではまずこれから。
1939年に製作され、アカデミー賞で、作品賞をはじめとする、10部門のオスカーをゲットした名作中の名作ですね。
この王道中の王道のラストカットの前には、ヒロインのこの名セリフがありました。
"Tomorrow is another day."
「明日は明日の風が吹く。」と翻訳されていますが、これではキメのセリフとしては少々拍子抜けな印象。僕が一番最初にテレビで見た時は、吹替の栗原小巻が確か「明日に希望を託して」みたいなことを言っていた記憶です。
4時間近い大作ですので、途中でインターミッションが入るのですが、前半のラストもやはり同じようなカットで、ここではヒロインが大地から掘り起こしたニンジンを握りしめて、こういってました。
「私は二度と飢えません。」
どちらかというと、こちらの方が個人的には好みです。
主演は、クラーク・ゲーブルとビビアン・リー。
原作者のマーガレット・ミッチェルは、はじめから、レッド・バトラー役には、クラーク・ゲーブルをイメージしていたそうで、このキャスティングは、すぐに決まったそうですが、ヒロインのスカーレット・オハラ役のキャスティングは難航。
未定のままで、アトランタの炎上シーンの撮影からはじめられたそうです。
その撮影現場を、ローレンス・オリビエと共に見学に来ていたのがビビアン・リー。
彼女を紹介されて、製作者のデビッド・О・セルズニックは、「スカーレット・オハラがここにいる!」と歓喜して小躍りしたそうです。
さて、お次はこちら。
この後ろ姿は、トレンチコートの方が、ハンフリー・ボガード。
警察官姿がクロード・レインズです。
この後、カメラはクレーン・ショットで、霧の中に消えていく二人の後姿を追いかける、ハリウッドではお手本的なラストカット。
ボギーは、最後の最後で、「イイところ」を見せてくれた署長に、こうささやきかけます。
"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."
「ルイ、美しい友情のはじまりだな。」
とにかくこの映画は、キラ星のような名台詞のオンパレード。
どれも、今の感覚でいえば、キザの極みなのかも知れませんが、キザもここまで突き抜けていれば、ほとんど芸術といっていいでしょう。
またそれが、許された時代でもあったかもしれません。
1943年のアメリカ作品ですから、まさに戦争真っ只中の時代の作品。
日本が、「欲しがりません。勝つまでは」「八紘一宇」「鬼畜米英」なんて言っていた頃に、この余裕なわけですから、もともと勝てる訳がない戦争だったと痛感する次第。
ラストシーンでの、イングリット・バーグマンの涙には、毎度胸を熱くさせられましたが、彼女にはこのシーンの撮影まで、映画の結末を知らされていなかったそうです。
ですから、あの別れのシーンは、演技というよりも、実際の彼女の素のリアクションに近いものだったんですね。
今まで何度となく見て来た映画ですが、見る度に痺れまくってきた作品です。
男は「引き際」が大事だと、ボギーには何度も教えられてきたわけですが、なかなか現実はそうはいきませんでしたね。
さて、お次はこちら。
ラストシーンの印象的な映画といえば、真っ先に浮かぶのがこの映画でしょう。
1949年の作品で、監督は名匠キャロル・リード。
この映画も、プロデューサーは、デビッド・О・セルズニックです。
ウィーンの中央墓地から続く並木道には、枯れ葉が舞っています。
恋人の埋葬を見届けた女が、画面奥からゆっくりと歩いてきます。
そして、画面手前では、その彼女を待つように、カートに寄りかかってタバコをくゆらす男。
男は、正義のために、女の恋人を警察に密告しています。
どんどん近づいてくる女。
しかし女は、結局男には一瞥もくれずにも画面手前を通り過ぎていきます。
そして、エンドマーク。
これだけのシーンなのに、そこにはスリルとサスペンス、そして男と女のミステリーまでもが詰まっているという極上のラストでした。
この有名すぎるラストは、グレアム・グリーンの原作小説にはないシーンで、映画のオリジナル。
見終わった後で、たっぷりとその余韻に浸れる、ラストシーンのお手本のようなカットですね。
ちなみに女を演じているのは、アリダ・バリ。男を演じでいるのは、ジョセフ・コットンです。
さてお次は、こちら。
これも、画面奥から、男が一人で歩いてきて、画面手前に歩き去ってゆくというラスト。
歩いてくるのは、グレゴリー・ペックです。
この場所は、ローマの宮殿で、ローマを訪れていたヨーロッパのとある小国の王女の合同記者会見が行われた後、一斉に立ち去る記者たちから、一呼吸おいて、主人公が、なにかを反芻するように、ゆっくりと歩いてくるというラストです。
グレゴリー・ペックは、映画のクレジットでも、一番最初に紹介される、紛れもない主役でしたが、本作において輝くばかりの、みずみずしい魅力を振りまいて、颯爽と銀幕のスターに躍り出たのは、王女を演じたオードリー・ヘップバーン。
最初にこの脚本を読んだときに、グレゴリー・ペックは、自分は王女の引き立て役に過ぎないと、出演に難色を示したそうです。
確かに、オードリー・ヘップバーンは、この作品でいきなりアカデミー賞主演女優賞を獲得していますから、それはその通りだったかもしれませんが、この映画に出演することで、グレゴリー・ペック自身のキャリアアップにつながったことも事実。
そう考えると、このラストは、新人ヘップバーンを、最後まできちんと支え切った、グレゴリー・ペックに対する、ウィリアム・ワイラー監督の感謝を込めた「ご褒美」だったような気もします。
1953年の映画ですから、公開からすでに69年が経っていますが、今でも世界中のファンから愛されている映画ですね。
さてお次はこちら。
ちょっとイラストが下手で似ていませんが、海岸を歩いてくる男は、天下の二枚目アラン・ドロンです。
男は、完全犯罪をやり遂げて、太陽が降り注ぐビーチで、幸福に浸っていたところ。
しかし、思わぬところから、完全犯罪は脆くも崩れ去ります。
彼を追ってきた刑事たちが、ビーチの売店の女主人に、男を呼んでくれと頼みます。
「リプレーさん、電話ですよ。」
これが、この映画の最後のセリフとなります。
リプレーと呼ばれた男は、ちょっと訝しがりますが、笑顔のまま、これも画面手前に消えていきます。
そして、ニーノ・ロータの有名すぎるメロディが流れて、映画はジ・エンド。(フランス映画ですから"Fin"ですね。)
とにかく、男が警察に捕まるシーンは見せずに、白い歯で笑っている顔のまま終わらせるというのが、このラストシーンのなんとも秀逸なところ。
監督は、ルネ・クレマン。
この作品は、1959年製作の映画ですが、1952年には、「禁じられた遊び」を撮っていて、この映画のラストも胸を締め付ける忘れがたいシーンでした。
ヌーヴェルバーグ隆興時代のフランスで、バリバリの商業映画監督として、気を吐いていました。
アラン・ドロンは、結局アメリカでは、それほどの人気は出ませんでしたが、日本女性たちのハートは、この一作でガッチリつかみましたね。
さて、お次もフランス映画です。
この映画は、1965年の作品。
監督のクロード・ルルーシュにとっては、出世作となった恋愛映画の傑作です。
このラストは、ちょっとビックリしました。
後姿の男は、ジャン=ルイ・トランティニアン。この映画ではレーサーの役です。
抱きしめられているのは、アヌーク・エイメ。この映画では、映画のスクリプターの役。
二人は共に独身ですが、同じ寄宿舎に子供を預けているという大人のカップル。
彼女の乗っている列車を、車で追いかける男。
車は、列車が到着する前に駅に着き、男は列車から降りてくる彼女をホームで待ちます。
女は、男を見つけて一瞬驚きますが、すぐに抱擁する二人。
するとカメラは、二人の周りを、360度グルグルと回り、バックに流れるフランシス・レイの有名すぎるテーマ曲の最後の一音に合わせて、ストップ・モーション。
そして、同時に背景がホワイト・アウト。
こんなスタイリッシュで、斬新なラストは、ちょっと見たことがありませんでしたね。
ストーリーがどうのこうのというよりも、監督のみばみずしい感性をそのままフィルムに焼き付けたような映画でした。
クロード・ルルーシュ監督は、この後にもグルノーブル冬季オリンピックの記録映画として撮られた「白い恋人たち」で、フランシス・レイとタッグを組んでいますが、そこでも感性の極致ともいうべき、フランス映画らしい映像美を見せてくれています。
さて、お次に紹介するラストシーンは、1968年製作の、SF映画から。
この衝撃のラストは、SF映画ファンを唸らせましたね。
自由の女神が上半身をさらす海岸に、女と愛馬と共に佇む男は、チャールトン・ヘストン。
男は、こう叫んでいます。
「愚かものたちめ!なんということをしてくれたんだ!!」
宇宙船の事故でたどり着いた、猿たちに支配されていた惑星が、なんと核戦争で滅び去った地球のなれの果ての姿だっという、当時の米ソ冷戦を脅威を背景にした、強烈なラストでした。
今でも決して色褪せない、SF映画というジャンルをも超えた、ラストシーンの金字塔ともいえる名場面です。
原作のピエール・ブールは、第二次大戦に従軍中にインドシナで、日本軍の捕虜になった経験があって、それをもとにした書いたのが、あの戦争映画の傑作『戦場にかける橋』です。
ということはつまり、本作における、あの憎々しも愛らしい惑星の支配者である猿たちのモデルは、実は、われわれ日本人ということになるのかもしれません。
さて、お次はアメリカン・ニュー・シネマの代表作。
映画のラストのストップ・モーションというと、フランソワーズ・トリフォー監督のデビュー作「大人は判ってくれない」がまず思い浮かびます。
技法としては、ヨーロッパ映画の専売特許みたいな印象がありますが、この1969年に作られた、まったく新感覚の西部劇のラストのストップ・モーションは斬新でした。
銀行強盗でならした西部のならず者コンビ。
一人は、頭の切れるブッチ・キャシディ。もう一人は、早撃ちの名手サンダンス・キッド。
この二人の名前が、そのまま、この映画の原題となっています。
二人は、キッドの愛人である女教師とともに、銀行強盗を重ねながら「サウス・アメリカン・ゲッタウェイ」。
やがて、女は去り、執拗な追手たちの追撃に満身創痍になりながら、ついに万事休した二人。
最後は、ボリビアに逃げる夢を語り合いながら、一斉射撃の中に飛び出していきます。
映画は、二人が飛び出した瞬間のそのカットで、ストップモーション。
一斉射撃の音声はそのまま続き、その止まったままのラストカットから、カメラはゆっくりと引いていくというエンディング。
アメリカン・ニューシネマの傑作として、この映画の二年前に公開されていたのが「俺たちに明日はない」。
こちらも、銀行強盗を働きながら、アメリカを逃げ回る男女二人組の強盗の物語でしたが、この映画のラストは、主人公の二人が、一斉射撃を浴びて、蜂の巣にされて死んでいくという壮絶なシーン。
監督のジョージ・ロイ・ヒルは、おそらく、この映画と同じラストにするのを避けたかったのでしょう。
結末としての一斉射撃は、確かに一緒なのですが、こちらは、ラストをその直前のストップ・モーションにした効果で、映画を見終わった余韻は、かなり違うものになりました。
バート・バカラックによる、まるで、西部劇らしからぬモダンな音楽も功を奏して、悲惨なラストであるにもかかわらず、非常に爽やかな後味の残る映画になりまたね。
さてお次は、1970年のイギリス映画。
これは、本国イギリスでは、パッとしなかった作品なのですが、なぜか日本では大ヒット。
主演の二人は、日本でいえばまだ小学生です。
演じているのは、マーク・レスターと、トレイシー・ハイド。
僕は本屋の息子でしたが、トレイシー・ハイドは、目立った作品といえば、ほぼこの作品だけであるにもかかわらず、当時「スクリーン」「ロードショー」といった映画雑誌の表紙を、数年にわたって定期的に飾っていたのを覚えています。
マーク・レスターの方も、日本では大人気で、チョコレート(?)のコマーシャルにも出演していましたね。
ロンドンの公立小学校に通う少女メロディに、ひと目ぼれしてしまうダニエル君。
やがて二人は、心を通い合わせるようになります。
ついには、結婚宣言までして、親たちや教師たちを慌てさせる二人。
最初はからかっていた級友たちも、最後には二人を応援。
大人たちが認めないなら、自分たちで結婚式を挙げてしまえということになります。
そして最後は、その会場に乗り込んできた教師たちとの大乱闘。
二人は、ジャック・ワイルド扮する悪友オーンショーに後ろを押されて、トロッコに乗り、どこまで続いているかわからない線路を疾走していきます。
この映画には、ビージーズの珠玉の名曲が、何曲も散りばめられていますが、このラスト・シーンに流れるのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの名曲"TEACH YOUR CHILDREN"でしたね。
主演の二人は、僕とほぼ同世代ということもあって、忘れられない映画の一本です。
さて、最後に紹介するのは、この映画のラスト・カット。
閉められようとするドアの向こう側を、不安そうに見つめているのは、ダイアン・キートンです。
そのドアの向こう側にいるのは、父親が凶弾に倒れた後の、ファミリーを引き継いで、マフィアのドンとなっていく彼女の夫マイケル・コルレオーネ。
演じているのは、アル・パチーノです。
マイケルを信じようとする妻の目の前で、彼に忠誠を誓う部下たちによって、その扉はパタリと閉じられ、血で血を洗うマフィアの抗争を描いてきた映画は静かに終わります。
中学生の時、映画館で初めてこの映画を見た時には、それほど印象に残らなかったラストだったのですが、その後、何回かこの映画を見ていくうちに、ジワリジワリとその意味と恐ろしさを理解できるようになったというのがこのラスト・シーン。
この映画の監督は、当時31歳のフランシス・フォード・コッポラ。
この人の映画的力量は、すでにこの時には完成していましたね。
とにかくこの映画の重厚感は、当時の映画の中でも群を抜いていました。
さて、そんなわけで、思いつくままラストシーンの印象に残る映画を、拙いイラストと共に紹介してきました。
あえて、タイトルを告げずに、駄文をズラズラと書いてまいりましたので、最後に作品名をお伝えしておきましょう。
どれも有名すぎる傑作映画ばかりですから、言われなくてもわかるという方は多いはず。
一番最新の映画でも、1971年ということですので、自分の映画嗜好が、極端にクラシックに偏っていることは充分に反省する次第。
「風と共に去りぬ」1939年
「カサブランカ」1943年
「第三の男」1949年
「ローマの休日」1953年
「太陽がいっぱい」1959年
「男と女」1965年
「猿の惑星」1968年
「明日に向かって撃て!」1969年
「小さな恋のメロディ」1970年
「ゴッドファザー」1971年
おっと、10作ということは、カレンダーにするには、まだ二作ほど足りません。
さて、何をこのプレイリストに追加しましょうか。
明日、また畑に行って、作業をしながら、考えるとしましょう。
雨の日もまた楽しかりけり。
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