短編小説「稚内で朝食を」
1998年、真冬の北海道を旅した。
冬の北海道は、全道ほぼ雪で覆われていて、観光スポットは限られる。
北海道を楽しむなら、夏に行けばいいじゃないかと思われる方も多いだろう。
全くその通り。こういうのを酔狂というようだ。
しかし、これも性格なのでいたし方ない。
羽田から、釧路空港に飛んで、釧路湿原の丹頂鶴を見て、釧網線に乗り網走に向かった。
もちろん、お目当ては、厳冬の季節にしかみられないオホーツクの流氷である。
砕氷船にも乗ったが、水平線の果てまで続く氷が軋む様は圧巻。
あの網走刑務所も、高倉健のおかげで、人気の観光スポットになっていた。
この時期の北海道旅行は、観光の足が極端に限られる。
定期観光バスが運行している観光地を回るしかないのだが、せっかく北海道まで来たのだから、これといった観光スポットはなくとも、日本最北の稚内だけはいってみようという気になった。
風が吹くまま、気がむくままの気ままな一人旅である。
網走から稚内までなら、オホーツク海に沿って一本線と思われるかもしれないが、残念ながらそういう鉄道は走っていない。
網走から北見まで一度南下して、そこから石北本線で名寄駅に向かい、宗谷本線で稚内まで。
全行程8時間近くかかるので、移動だけでほぼ丸一日。
稚内に到着したら、やることはその日の宿の確保だけとなる。
基本的に「行き当たりばったり」が一人旅のマイルールなので、宿の予約などは一切していない。
駅についてから、看板や電話帳を眺めて、電話するのである。
今なら、移動中に、スマホの「旅ログ」などを参考にして、当たり前に予約することが可能だが、まだこの頃はそんな便利なものはない。
テレホンカードの残りを気にしながら、駅の公衆電話からかけるのだが、時計はもう午後4時を回っている。
条件を吟味している余裕などはなかった。
しかし宿泊を続けて三件も断られると、さすがに焦ってくる。
厳冬の北海道で、野宿などしたら凍死してしまう。
4件目の民宿にかけたら、あまり愛想のいい感じではない女将が電話口に出た。
「あのう、すみません。今晩一晩宿泊したいのですが。」
電話口の向こうでは、しばしの沈黙。
飲み込んだ唾の音が、向こうに聞こえるのではないかと思った。
「ええですよ、でもこの時間ですからもう夕飯の支度は用意できませんけど。」
「はい、素泊まりで大丈夫です。何か買っていきますので。」
「わかりました。朝食はつけられますので。」
これで、ほっと一安心である。
稚内の駅で、最北の宗谷岬までのバスの時間は確認した。
午前中には、稚内駅まで戻れそうだ。
あとは、宗谷本線で札幌に向かう。
札幌まで行けば、さすがに宿の心配はないだろう。
旅館がなければ、駅前のビジネス・ホテルでも十分だ。
予約した民宿は、駅員が丁寧に教えてくれた。
北浜通りを歩けば、営業中の食堂も何軒かある。
「刺身定食」の手書きの文字が下がった食堂に入って、その日の夕飯をゲット。
夜食用のスナックを買いに入ったセブンイレブンの品ぞろいは、関東とほぼ変わらない。
ここが日本最北のコンビニかなと思いながら、店を出て、目指す民宿を探した。
言われた通りに、線路と稚内港を挟んだ副港通りを歩くと目指す民宿の看板が見つかった。
玄関をあけると、エプロン姿のまま出てきた女将は、まるで化粧っ気のない、ちょうど寅さんの映画にでも出てきそうな素朴な味わいの老婦人である。
「あのう先ほど、予約したものですが。」
「お食事は❓」
「大丈夫です。今済ませてきました。」
「そうですか。すいませんですね。急だったもので用意できなくて。」
「いえ、こちらこそ。すいません。こんな時間に駆け込んでしまって。」
「お風呂は入れますけど。どうしますか。」
「はい、じゃあ後で。」
通された部屋は、民宿の二階の部屋。
部屋の真ん中に、コタツが用意されていて、部屋はすでに温まっていた。
早速風呂に浸かり、電車疲れを洗い落とすと、部屋に戻ってノートパソコンを開く。
デジカメに撮り溜めた旅のスナップ写真を整理して、駄文を添える。
今のように、インスタグラムで、撮ったその場でアップというわけにはいかない。
下書きだけは、コツコツとまとめておき、ホームページにアップするのは家に戻ってからということになる。
長い移動時間で、睡眠は十分取れていたので、目は冴え渡っていた。
ノートパソコンを忙しく打つ僕を見て、民宿の女将は、カニの味噌汁を一杯ご馳走してくれた。
これが、すこぶる美味かった。
大した読者もいないホームページではあったが、「宣伝しておきますよ」とリップサービス。
「じゃあ、写真を撮らせて」とデジカメを向けると、女将は悲鳴のような声をあげて、階下に降りていってしまった。
翌朝、稚内漁港を散策した後で、民宿に戻ると朝食の支度が整っていた。
焼きホッケ、ニシンの昆布巻き、海藻サラダなど、北海道の民宿らしい小料理が行儀よく並んでいた。
よくみると、テーブルの右端に見慣れない一品。
小皿の真ん中に、何やら得体の知れない紫色のヌルリとしたものがポツリ。
思わず食堂の奥で台所に向かっている女将に聞いてみる。
「あのう、これなんですか?」
こちらをチラリと見た女将は、手の作業を止めることなく答える。
「ああ、それは、内子って言います。」
「内子❓」
「はい、それご飯の上に乗せて、一緒に食べて見てください。」
女将の言う通りに、内子をご飯と一緒に口の中に放り込んだらビックリ。
ほんのひとつまみしかなかったはずの内子が、口の中を海の香りで満たしていた。
市販の海苔の佃煮をイメージしていたのだが、その破壊力ははるかに想像を凌駕していた。
昨夜のカニの味噌汁も、かなり味覚中枢を刺激してくれたが、この朝食の内子のインパクトは、明らかにそれ以上である。
「これ、めちゃめちゃ美味しいです。初めて食べました。」
女将は、「はい」とだけいうと、こちらに背を向けたまま、作業を続けている。
会計を済ませて、民宿を出ると、宗谷岬行きのバスまでには、まだ時間があった。
ちょうど、民宿のご主人が、軽トラで出かけるところ。
「お世話になりました。」
ご主人はシワだらけの顔を更にクシャクシャにして微笑みながら、タバコを咥えている。
軽トラの荷台には、大きなカゴのようなものがいくつか乗っていた。
「これはなんですか?」
「ああ、そりゃあ、カニ籠だよ。」
「カニ籠?」
「そう。それでカニを獲るんだよ。」
「へえ。どんなカニが取れるんですか?この時期は。」
「この辺りじゃあ、タラバ蟹だね。」
「ああ、それいただきました。昨夜、味噌汁で。」
「美味かったろ?」
「はい。とても。」
「ありゃあ、昨日獲れたカニだからね。」
ご主人は、漁師のようだった。
日に焼けた顔が逞しい。
漁師の作業を写真に撮りたいとお願いすると、ご主人は快く、軽トラの助手席をさっと片付けて、港まで同乗させてくれた。
ご主人は港に着くと、トラックの荷台のカニ籠を、手際よく漁船に積み込みむ。
「なにしろ、奴らは自前のハサミ持ってるからね。」
「なるほど」
「一回漁から帰ってくると、カゴのネットはあちこちが破れていてね。すぐに直さないと。」
「けっこう、獲れるものですか。」
「いや、漁によって当たり外れは結構あるね。」
漁港の風景を写真に収めていると、ご主人が声をかけてきた。
「時間はまだいいのかい❓」
「ええ、まだ少しあります。」
「カニ喰うかい❓」
「え❓カニ❓」
「そう、昨日獲れたタラバガニ。」
「いいんですか❓」
「雌だけどね。」
話を聞けば、タラバガニは、雄の方が身が締まって美味しいとのこと。
800g以上の雄が特上品として、高値で出荷されるそうだ。
ご主人がどこからか持ってきたのが、一匹の雌のタラバガニ。
手際よく足を剥いて、殻を破るとプリプリの肉身が現れた。
用意してくれたのは、ポン酢と柚子胡椒。
「どっちでも好きな方で。」
早速、ポン酢につけて口に放り込むと、昨夜の味噌汁の具よりは、明らかにストレートに、カニの風味が口の中で広がった。
八本の足は、あっという間に胃袋へ。
「あれ❓カニの足って、十本じゃなかったでしたっけ❓」
「そう。でも、タラバの場合は、あと2本は、この甲羅の中に隠れちゃってる。」
「へえ」
すると、ご主人はその甲羅を手に取り、親指でカニのフンドシをグイッと押さえて、甲羅をパカリ。
強い磯の香りが鼻先をくすぐる。
「ほれここ。」
そこには、確かに退化したような小さな足が2本。
「カニ味噌食べるかい❓ちょっとクセがあるけど。」
ご主人のその嬉しそうな顔を見ていたら、亡くなった祖父の顔を思い出してニンマリしてしまった。
我が家では、親戚一同が集まると、よく決まってカニ料理を食べたものだが、子供だった頃は、口に入れるまでに、何かと手間の多いカニ料理は、正直あまり好きではなかった。
親戚の叔父叔母たちも、自分たちが楽しんで食べられるのはカニの足まで。
甲羅の中にも、食べられるものはあるとわかっているようだったが、それを選り分ける手間が面倒で、誰も手を出さない。
さあ、そうなると、そこからが祖父の独壇場。
スプーンを右手に持ち、お皿代わりのカニの甲羅を左手に持って、苦いところは上手に避けながら、楽しそうに、カニ味噌をチビチビと食べていく。
「ああ、もったいない。ここが一番美味しいのに。」
そう言いながら、親戚一堂の顔を見回して、日本酒のお猪口を口に運ぶ祖父。
美味しい足はみんなに食べさせて、自分は面倒なカニ味噌をゆっくりと手間をかけて啜る。
こんな祖父が、子供心になんとも粋に見えたものだ。
ご主人にすくってもらったカニ味噌は、朝食を食べたばかりの胃袋にも強烈に刺激を与えた。
人生も一応は酢いも辛いも経験した年齢に達すると、どうやら味覚の方も変化して、「苦さ」にも旨味を感じられるようになるのだろう。
「おっ、あったあった。これこれ。」
ご主人が、何かを発見して、シワと区別がつかない目尻を下げ、口角を上げた。
「なんですか❓」
「内子だよ。内子。」
「内子❓あっそれ。朝食でいただきました。」
「ほお。朝食に出たのかい。これが。」
「はい、ほんのちょっぴりですけど。」
ご主人の説明によれば、内子というのは、雌のカニの甲羅の中にだけあるもので、未熟の卵のこと。
まだペースト状態で、量はあまり獲れない希少価値のある食材なのだそうだ。
これがある程度成長して、甲羅の外に出てくると、外子になるということだが、こちらは食材としてはイマイチ。醤油漬けにでもしないと、食べられないらしい。
しかし、海のエキスをギュッと凝縮した内子の方はそのまま生でもオーケー。
食材としてはグッと高級品だとのこと。
「へえ、バアサン。お客さんに内子を出したかい❓」
「はい。」
すると、ご主人はニンマリ。
「そりゃあ、バアサンが、お客さん気に入ったってことだよ。」
「え❓」
「ありゃあ、高級品で収穫量もわずかだから、朝食の献立には普通は入れていないからね。」
ご主人がすくってくれた、朝食の小皿の数倍の量の内子は、僕の口の中で、一気に化学反応を始めた。
強烈な味覚体験である。
そのインパクトに、僕が思わず口にした言葉は、「うまい」でも「すごい」でもなく、たったこの一言。
「うわあ!!」
おそらく、この味は、生きている限り一生忘れないと思われた。
あの朝食で、僕が思わず「美味い」と叫んだ時、台所の奥で向こうを向いたまま作業をしていた女将が、果たしてどんな顔をしていたのか。
「してやったり」と、笑いを堪えている、女将の顔が浮かんできた。
ご主人にお礼を言って、別れを告げると、僕は稚内駅のバスターミナルへ歩き出す。
さて、時は流れて2019年。
僕もいよいよ、定年退職を迎え、老後のスキルを確保するため、兼ねてから考えていた酪農を体験するために北海道の別海町に訪れた。
20年ぶりの北海道である。
研修の最後の日、お世話になった研修機関の方が、知床半島の温泉に案内してくれた。
立ち寄った途中のドライブインで、僕はあの時以来の「あれ」に遭遇する。
そう、小さな瓶詰めになった紫色の内子である。
片手にも収まるような小瓶で、そこそこいい値段だった。
あの出会いから、一度も市場では遭遇することのなかった希少珍味である。
僕は、迷わずそれを購入することにした。
一割値引きすると言って、内子の瓶を丁寧に包装するのは、相当年配で腰の曲がった老婦人。
シワの中に目があるようなこのご婦人が、20年前の稚内の民宿の女将の顔と見事に重なった。
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