本題に入る前に、怪獣特撮シリーズに対する、自分の立ち位置を確認しておこうと思います。
僕は、昭和34年3月生まれ。今年で65歳になります。
まず、はっきりしているのは、僕は第一次怪獣ブームのど真ん中世代であるということですね。
このブームの火付け役になったのは、TBSテレビが放映した「ウルトラQ」です。
この番組の放送開始が、1966年の1月2日。
製作したのは、言わずと知れた特撮の神様円谷英二率いる「円谷特技プロダクション」。
第一回放送は「ゴメスを倒せ!」でしたが、これはおそらく、この時のリアルタイムでは見ていません。
僕の記憶にある一番最初に見た「ウルトラQ」は、第4話でしたね。
タイトルは、「マンモスフラワー」。
登場するモンスターは、巨大植物ジュラン。
古代の植物が、丸の内のビルを突き破って、花を開き、花粉を振りまく映像は、当時7歳の小学生には、かなりショッキングでした。
これ以降、武田薬品が提供する、日曜夜七時の「タケダ・アワー」は、1968年放送の「怪奇大作戦」まで、毎回欠かすことなく見ていた記憶です。
そして、同じ時期にテレビでオンエアされていた「忍者ハットリくん」「マグマ大使」「悪魔くん」「怪獣ブースカ」「仮面の忍者赤影」「ジャイアント・ロボ」あたりは、かぶりつきで鑑賞していました。
そして、日本の作品ではありませんでしたが、忘れてならないのは「サンダーバード」でしたね。
「怪獣」と「妖怪」と「メカ」は、あの当時の子どもたちの「三種の神器」でした。
この時期は、どっぷりとテレビっ子でしたので、とにかく「特撮」と名前がつけば、何でも見ていたような気がします。
では、映画作品の記憶はというと、これも一番最初に映画館で見た怪獣特撮映画は、いまでもはっきり覚えています。
それは、1966年に公開された「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」でした。
この作品は、この年の暮れに公開されています。
テレビでは、「ウルトラQ」の後番組として、「ウルトラマン」の放送が始まっていたので、すでにこの頃の僕は、いっぱしの怪獣少年になっていました。
そんな息子を見て、おそらくクリスマス・プレゼントくらいのつもりで、父親が連れていってくれたのがこの映画だったわけです。
もちろん、加山雄三の真似をして、「幸せだなあ」と、鼻の横を指でさするゴジラにも痺れましたが、島の娘ダヨに扮した水野久美の化粧が、やけに濃かったことも、子供ながらに印象に残っています。
しかし、僕が怪獣映画を親と見たのは、この一本限りでした。
以降の怪獣映画は、友人たちと見に行くか、一人で見に行ってましたね。
大映では、ゴジラに対抗して、1965年から、ガメラ・シリーズが始まっていましたが、映画館で見た最初は、やはり1966年に製作された二作目の「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」でした。
この作品は、シリーズの中で、最も製作費がかけられた作品で、明らかに大人たちもターゲットにした内容でした。
しかし、僕が最もハマった作品は、第三作目の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」。
そして、第4作目の「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」までは、大映のガメラが、東宝のゴジラをしのいで、我が怪獣ヒーローでした。
怪獣オタク少年の常として、よくこの頃は、怪獣マンガを、大学ノートに日々描き連ねていました。
実家は、本屋でしたので、常に最新の怪獣図鑑は、机の横にありました。
既存の怪獣をベースにした新怪獣のデザインを、学校の勉強などそっちのけで、日々描き連ねていたのを思い出します。
映画が斜陽産業になって来ると、特撮映画には、次第に製作費をかけられなくなってきたという映画会社事情も、子供心に理解出来るようになってはいました。
1969年の「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」あたりになると、その名前の派手さの割に、中身が安っぽかったのは、子供の眼から見ても明らか。
過去作のフィルムが使い回しされていたのは、すぐにわかりました。
テレビの方では、1971年の「帰ってきたウルトラマン」がターニング・ポイントでしたね。
我が家に、この年に初めてカラー・テレビがきたこともあり、あのウルトラマンを、今度はカラーで見れると期待しながら、第一回放送を見たのはよく覚えています。
しかし、どうしたことか、小学校二年生で見た時のような、あのワクワク感が湧いてきません。
これは、作品のクゥオリティが落ちたというよりも、見るこちら側がすでに中学生になっていたということの方が大きかったかもしれません。
「帰ってきたウルトラマン」は、最初の3話まで見たあたりで、自然にフェイドアウト。
最終回を見た記憶はありません。
以降、テレビで、特撮モノを見ることはなくなりましたね。
ですので、これ以降に放映された「仮面ライダー」「スペクトルマン」「ミラーマン」「人造人間キカイダー」は、かつての怪獣少年はもう完全についていけていません。
第一次怪獣ブームが収束した1968年以降ですが、東宝の特撮映画は、それでも相変わらず追いかけてはいました。
「フランケンシュタイン対地底怪獣」「サンダ対ガイラ」などは、まだ映画館で見た記憶です。
1969年になると、東宝は子供客の確保のために、秋と冬に「東宝チャンピオンまつり」を開催するようになります。
当時京浜東北線与野駅前に住んでいた僕は、このイベントは、隣の大宮駅にある東宝白鳥座まで、毎回見に行きました。
「東映マンガ祭り」は、パスでしたが・・・
「東宝チャンピオンまつり」は、怪獣映画を子供たちに引き付けておくための、完全子供向けのプログラムで、新作怪獣映画と並行して、旧作特撮映画をリバイバルしていました。
「モスラ対ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「怪獣大戦争」「三大怪獣地球最大の決戦」などの、まだまだ製作費がかけられていた往年の作品は、すべてチャンピオンまつりで鑑賞しています。
この流れで、1971年の「ゴジラ対ヘドラ」までは、映画館で見ていますね。
大映では、ガメラ・シリーズと並行して、「妖怪」シリーズ、「大魔神」シリーズも公開していきますが、このあたりも、足しげく映画館に通って、繰り返し見た記憶です。
それ以外の特撮映画はどこで鑑賞したのかといえば、これも、やはりテレビでしたね。
テレビ番組としての、特撮モノは、だんだんと見なくなっていましたが、テレビで放映される旧作特撮映画は、オンエアされれば、かつての怪獣オタとしての義務感で、必ずチェックしていました。
「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」「地球防衛軍」「海底軍艦」あたりのブーム以前の作品は、たしかテレビで見ています。
そして、それ以外のレア作品はということになれば、大学生になってからの名画座ということになります。
「美女と液体人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」「妖星ゴラス」といった、渋いところはすべて、関東一円のどこかの名画座で見てますね。
まとめれば、第一次怪獣ブームの洗礼を受けた典型的怪獣少年が、リアルタイムで怪獣特撮作品について行けたのは、テレビ番組であれば1971年の「帰ってきたウルトラマン」(ちょっと怪しいですが)まで。
そして映画であれば、同じく1971年の「ゴジラ対ヘドラ」までということになります。
それ以降ということになると、「ゴジラ」シリーズに戻ってきたのは、1984年製作の生誕30周年記念映画としての「ゴジラ」ということになります。
その頃には、こちらも映画はもう完全に大人の視線で楽しむようになっていましたし、作る側も、完全に我々の世代をターゲットにしていました。
特撮技術も進歩していましたので、それなりに楽しめる怪獣映画が戻ってきたわけです。
但しここから以降の作品は、ほとんど映画館では見ていません。
ほとんどがレンタル・ビデオでしたね。
そして、衛星放送が始まると、新作旧作含めて、特撮モノがオンエアされれば、マメに留守録して、自宅で鑑賞するという習慣になっていきました。
そんなわけで、怪獣オタク少年の、特撮作品鑑賞履歴をザクっと紹介してきましたが、完全にエアポケットになっている空白の期間があることに気づくわけです
それは、1972年から1984年までの12年間です。
この間に、公開された「ゴジラ」シリーズは以下の通り。
「ゴジラ対メガロ」(1973年)
「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)
「メカゴジラの逆襲」(1975年)
そしてガメラ・シリーズが1本。
「宇宙大怪獣ガメラ」(1980年)
以上は、残念ながら未見です。
果たしてこの先、見る機会があるかどうかはわかりませんが、チャンスがあれば、面白いかどうかは関係なく、ここまで積み上げてきた怪獣リテラシーを向上させる意味でも、見ておきたいという気はあります。
さて、前置きが長くなり過ぎました。
「大怪獣バラン」です。
実は、この作品は、特撮映画鑑賞履歴の中からは零れ落ちていた、未見の東宝特撮シリーズの一本でした。
1958年の作品で、東宝としては、大ヒットした「ゴジラ」以降、8本目となる特撮映画です。
怪獣映画としては、4本目ですね。
我が家にはDVDはなく、Amazon プライムの有料チャンネルの中で見つけました。
Wiki によれば、日米合作のテレビ放映用にオーダーされた作品とのこと。
そのため、あまり製作費がかけられないので、モノクロで撮られたようです。
しかし後に、映画公開されるという方針が決定し、スタンダードサイズを、かなり乱暴にシネマ・スコープにしたという経緯があるようです。
主演の二人も、あまりお見かけしない方でした。
主人公・魚崎を演じたのは野村浩三。
俳優キャリアの中で、この人が主役を演じたのはこの一本だけです。
しかし、どこかで見覚えのある顔でした。
バイオグラフィを追ってみると、特撮モノでは、いろいろなところで、顔を出している人なのですが、怪獣少年だった僕の記憶には、決定的な役がありました。
「ウルトラQ」の第22話「変身」で、巨大化する大男を演じていたのがこの人なんですね。
あの顔はハッキリと覚えています。
ヒロイン由利子は、園田あゆみ。
この人も、本作がキャリア中唯一の主演作品です。
つまり主演俳優のギャラはしっかり抑えられていたわけです。
しかし、平田明彦や土屋義男といった、東宝特撮シリーズの「顔」と言われる俳優もちゃんと出演はしています。
特技監督はもちろん、円谷英二。監督は本多猪四郎。
この時期の東宝のドル箱コンビです。
さて、怪獣バランです。
怪獣少年だった僕が、当時の怪獣図鑑から得た知識では、怪獣バランは、全長10mで、水陸空をまたにかけるむささび怪獣というもの。
僕の認識では、身長50mのゴジラに比べれば、五分の一のサイズになりますので、だいぶスケールの小さい怪獣であるはずでした。
しかし、実際にそんなことがないと判明したのは、実は本作ではなく、1968年の「怪獣総進撃」を見た時でした。
青木ヶ原の樹海に、世界中に散らばった怪獣たちが大集合してくるのですが、この中にはバランもいました。
実は、僕がムササビ怪獣バランを初めてスクリーンで確認したのは、このシーンでした。
怪獣図鑑にある通り、もしもしバランが、身長10mならば、ほかの怪獣たちに比べて、一回りも、二回りも小さいはずなのですが、あきらかにスクリーンの中のバランの身長は、ゴジラやバラゴンと比べても、まるで遜色のない大きさでした。
どうやら、図鑑や文献によっては、バランの身長は、50mとも100mとも書かれているものがあるそうなので、10mにこだわるのは少々野暮かもしれません。
僕の記憶にある限り、体重が10mというモンスターが、もう一体います。
それは、東宝ではなく、ガメラを生んだ大映が造り出したダーク・ヒーロー「大魔神」です。
大魔神は、江戸時代の破壊神ですが、当然のことですが、身長が10mくらいのスケールだと、セットは逆に大きく作らなければならないわけで、これを破壊するときの迫力は、実は小さなミニチュアを壊すよりも増すということになるんですね。
これに気が付いていた僕は、同じ縮小のバランが、町や村を破壊するシーンは、実は見応えがあるのではないかと踏んでいたわけです。
しかし、村や空港を破壊するシーンでのバランは、完全にゴジラ・サイズになっていましたね。まあ、よしとしましょう。
ちなみに、「怪獣総進撃」は怪獣オタクにとっては貴重な映画で、ゴジラ、ラドン、モスラといった東宝特撮メインストリームの怪獣たち以外の渋い怪獣陣は、みんなここで覚えましたね。
マンダは「海底軍艦」、ゴロザウルスは、「キングコングの逆襲」、クモンガは「ゴジラの息子」、アンギラスは「ゴジラの逆襲」と、初登場映画を確認して、後の鑑賞の手引きにしました。
バランの造形は、ゴジラとラドンの「いいとこどり」をしたようにも見えます。
二足歩行も、四足歩行も可能で、必要とあらば、腕の下の膜を開いて、滑降もできますし、もちろん海での戦闘も可能です。
まだこの頃の怪獣特撮は、バトル物が主流ではないので、怪獣の出現シーンに、いろいろなバリエーションがある方が見栄えがするという判断だったかもしれません。
バランは、「ゴジラの逆襲」に登場したアンギラスに続く4つ足歩行の怪獣です。
この系譜は、「地球防衛軍」のラストに登場するマグマ、「フランケンシュタイン対地底怪獣」に登場するバラゴン。
ガメラ・シリーズではかなり多く、ガメラ自身もそうですし、対戦相手としても、バルゴン、ギロン、ジャイガーと続きますので、怪獣としてはかなり王道のスタイルです。
このスタイルの怪獣を登場させるときに、製作側がもっとも気を遣うのが、着ぐるみでは「四足歩行がハイハイになってしまう」問題です。
つまり中に人間が中にはいっていていることが一目瞭然になってしまうんですね。
恐竜の世界を見てみると、ステゴザウルスやトリケラトプスの後ろ足は、膝が地面につくことはなく、足の裏がまっすぐに地面にのびています。
それは、犬や猫、ライオンや像などの4足歩行動物もみな同じ。
膝をついて歩行している四足歩行動物は、自然界にはいません。
これがあるのは、二足歩行の動物が、無理に4つ足になる場合だけです。
昆虫たちはといえば、後ろ足はたいてい、外側に向いて開いているわけです。
当然ストップモーション・アニメーションによるコマ撮り撮影や、CGを駆使した特撮であれば、この問題は発生しません。
しかし、スーツアクターが中に入って演技する、日本独特の着ぐるみによるミニチュア撮影では、どうしても、この問題が決定的に不自然になってくるわけです。
本作において、バランのスーツアクターを務めたのは、「ゴジラ」でもその大役を務めた中島春雄氏。
彼は、撮影にあたり、後ろ足がカメラに映らないような工夫をしながら、バランを演じたと言っています。
特に前半、バランが北上山系の湖の中から出現して、村を破壊するシークエンスでは、それが徹底されているように見えました。
ムササビとして飛行するシーンや、海中を進むシーンでは、後ろ足問題は気になりません。
バランを水陸空で活動できるという生態にしたのは、4足歩行のシーンをなるべく少なくするという配慮なのは理解できそうです。
しかし後半、映画のクライマックスでは、バランが浦賀水道を越えて、羽田空港に上陸しようとするシーンで、ハイハイの後ろ足がハッキリと映ってしまっていました。
前半が完璧だっただけに、残念と言えば残念。
さて、最後に少々、最新の時事問題と絡めておきましょう。
単体の怪獣映画の場合、メインの対戦相手は、たいてい自衛隊ということになります。
本作においては、自衛隊は、怪獣映画撮影にはとても協力的で、本多猪四郎監督は、映画撮影のために、自衛隊の演習を実際に撮影させてもらったと言っています。
たとえ、怪獣映画であろうと、自然災害の脅威から、人々を救うことは、自衛隊の重要な任務の一つであるということ広く国民に認知してもらいたい気持ちが当時の自衛隊にはあったように思えます。
我々第一次怪獣ブーム世代は、これまでの多くの特撮映画を通じて、自衛隊はいざとなれば、我々の命を災害から守ってくれるたくましい存在だと刷り込まれてきました。
しかし、今回の能登半島地震では、自衛隊はその準備があったにも関わらずに、政府にその動きを完全に制限されてしまいました。
もしも、日本のどこかの湖から、中生代に生息していた爬虫類ゴジラ属ラドン科バラノポーダが出現したとしたら、はたして現在の自衛隊は出動してくれるのか。
もしも、それが制限されるのであれば、バランには、まず最初に首相官邸に飛来して、永田町から破壊してもらいたいところです。
今回久しぶりに、怪獣映画を見て、怪獣のイラストを描きました。
怪獣少年だった頃は、毎日のようにやっていたことでしたので、なんとも懐かしい限り。
つくづく、自分は65歳になっても、なにも進歩していないことに気が付く次第。
ああ、くわバラン、くわバラン。
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