ん?ん?ん?
え? いったい何が起きた?
正直申して、これが本作を読了した瞬間の偽らざる感想でした。
キツネにつままれたような気持で、さらにページをめくったら、もうそこに本文はありません。
僕が読んだ「ミステリー・リーグ特別限定版」では、作者による「11年目のあとがき」になっています。
もしや、これを読んだら「答え」の解説があるかもとおもってのそのまま読み進めましたが、書いてあるのはファンなら喜ぶと思える執筆当時の裏話と、映画化の解説のみ。
やばい。冷や汗タラりです。
ラストのページで、自分が脳内再生してきた物語が音を立てて崩れていくことは理解できました。
そして、本文最後の二行が、とんでもない「大どんでん返し」になっているらしいこと。
でも、理解出来たのはそこまで。
いつものように、すべてがストンと腑に落ちるカタルシスは、その時点では得られませんでした。
ミステリーのオチがすぐには理解できなかったということは、ミステリー・ファンとしては由々しき問題です。
あわてて、ラストの数ページを何度か読み返してみましたが、依然としてしっくりきません。
あわてて、本作のタイトルをYouTubeで検索。
ミステリー読書系チャンネルで、本書の感想動画をチェックしましたが、さすがに皆さん心得ていて、ラストのどんでん返しを解説してしまうような野暮のものはありません。
しかし、みなさん、下手をすれば僕の息子でもおかしくないような若い方が、このラストのサプライズをちゃんと理解した上で絶賛されているご様子。
ロートル・ミステリー・ファンの焦りはつのるばかり。
どんでんがえしが呑み込めないようでは、もちろん感想文もかけません。
とあるYouTuberの方がこう言っていました。
「このミステリーは、読み終わったら絶対に二度読みしたくなる。」
もちろん、過去に読んだミステリーでも、特に優れた叙述トリックを駆使した作品などであれば、作者の巧妙な文章トリックを確認する意味で読み直ししたことはあります。
しかし、今回は恥ずかしながらそれ以前の問題なわけです。
ミステリーが頭の中で完結していません。
ミステリー・ファンとして、作者の仕掛けたトリックが理解できないほど情けないことはありません。
これは、もう一回読み直さないとダメかと覚悟を決めたら、ふと著者のあとがきに書いてあったことを思い出しました。
本作は、2004年に発表されたミステリーですが、いろいろな芸能人が推薦したことも有り、徐々に人気がたかまり、2015年に映画化されています。
本書はその時点で、作者による「あとがき」を加えて、再リリースされたもの。
その映画化作品をもしかしたら録画してはいないものか。
Excelで作ったマイ・リストをチェックしてみたら、なんとWOWOWでオンエアされたものが録画されているではありませんか。(Amazon プライムでも見れます)
タイトルは同じく「イニシエーション・ラブ」。2015年作品。
監督は堤幸彦。
主演は前田敦子、松田翔太、木村文乃。
さっそく録画したBlu-rayを引っ張り出してきて鑑賞させてもらいました。
時代設定も、登場人物のキャラも、かなり原作に忠実なので、ありがたかったですね。
では原作のラスト2行は、映画ではどう描かれるのか。
もしもそれを見ても尚理解できなかったら、これは、もう完全にミステリー・ファン失格です。
前田敦子はなかなかチャーミングだし、木村文乃のいい女ぶりも楽しめたのですが、さあ問題のラストです。
堤監督は、この原作ではこのラスト2行に凝縮された、どんでん返しと伏線回収を、ありがたいことに、実に5分もかけて丁寧にビジュアル化してくれておりました。
眼から鱗とはまさにこのこと。
「なるほど! そういうことか!」
恥ずかしながら、ここでやっとすべてが腑に落ちた次第。
あなたは映画をみてやったわかったのかと、ミステリー・ファンの方々には、突っ込みを入れられてしまいそうですが、恥ずかしながら、本作に関しては、ビジュアルの力を借りなければ、ラスト2行の完全理解はできなかったかもしれません。
もちろん、映画的に盛っているところはありました。
しかし、普通に考えれば、ちょっと映像化は難しいだろうと思われるこの原作のトリックを、よくぞエンターテイメントにしてくれたなと感心いたします。
しかし不思議なもので、映画のおかげで、すべての意味が理解できると、今度は自分はいったいどこから作者の術中にハマっていたのかが知りたくなるんですね。
結局、映画鑑賞後、本書をはじめから再読して、さきほど本を閉じたところ。
まる2日かかりましたが、本書がミステリーの傑作であることはどうやら確認出来ました。
決して難解と言うわけではありません。
ただ、あそこまで見事にひっくりかえされてしまうと、なかなかこちらが現実には戻れなかったというわけです。
作者が仕掛けた罠にどっぷりとハマりすぎてしまったと言うことでしょう。
真相が理解できてみれば、多くの伏線を見逃していたことに気がつきます。
古典ミステリーばかり読んできたミステリー・ファンですが、ミステリーの裾野は確実に広がっていることを実感いたしました。
最初から最後まで、のっぴきならない男女の恋愛の駆け引きだけを描いた内容にもかかわらず、本作は紛れもなくミステリー作品の範疇にある小説です。
名探偵も登場せず、殺人事件が起こらなくともミステリーは立派に成立するということです。
乾くるみ恐るべし。
本作の構成は実にユニークです。
作者のホームタウンである静岡市を中心に描かれる二人の男女の恋愛成就パートが前半の「Side A」。
時代は1986年。
各章には、その内容にちなんだ当時の、J-POPS のヒット曲のタイトルがつけられています。
どの曲もよく知っている曲ばかりなので、こちらはニンマリ。
「男女7人夏物語」や「~秋物語」なんていう当時のトレンド・ドラマの名前もそのまま登場してくるので、その当時はまだ若者だった自分の記憶とおおいにと被ってきます。
そして、後半は、主人公の東京勤務が決まって、二人が遠距離恋愛になり、主人公に新しいガールフレンドが登場して、二人の恋がやがて破局していくというパート。
時代は、1987年。
本文では「国鉄が民主化されて数か月」と説明されます。これが「Side Bです。」
つまりこれはカセットテープの両面のことで、僕らの世代のノスタルジーは大いに刺激されます。
あの頃の若者は、誰もがカセットテープに好きな曲を詰め込んで、車で聴いていました。
小説を続けて二度読むという経験は今回が初めてでした。
しかし賢明なミステリー・ファン諸氏であれば、僕のように、映画化作品に頼らなくても、作者の巧みな文章だけで、ラストのどんでん返しのカタルシスは得られるはず。
人間の先入観というものは恐ろしいものです。
本作では見事にやられました。
推理作家渾身のトリックにまんまと引っかかってしまうのは、思えばすべてこれが原因。
推理作家とは、読者の「先入観」の上手な転がし方を、日夜研究している「罪な」人ちなのかもしれまん。
頭を真っ白にして読むのが、正しいミステリーの読み方とは思いますが、年を追うごとに、脳内にはいろいろなノイズが蓄積されており、とても真っ新な状態では読めなくなっているのがロートル・ミステリー・ファンのなんとも悩ましいところ。
ミステリーリテラシーに自信がある人ほど、この罠には引っかかる気がします。
ゆめゆめ下手な先読みはしないことをおすすめします。
そうそう。
先入観と言えば、乾くるみという作家名です。
その名前は、本作でしっかりと覚えさせてもらいましたが、最後にネットで著者近影をみてビックリ。
てっきり女流作家の方だとばかり思いこんでいましたが、なんと顎には立派な髭が生えていましたよ。
その顔は楽しそうにニンマリと笑っていました。
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