なんの前知識もなく、図書館で衝動借りした一冊です。
表紙がちょっと僕好みでした。
作者について少々Wiki してみました。
五十嵐貴久(いがらしたかひさ)は、1961年12月14日生まれです。ですので僕とほぼ同世代ですね。
東京都出身で、成蹊大学文学部を卒業。
大学卒業後、1985年に扶桑社に入社し、最初は販売部、その後編集部に勤務しています。
1997年から小説を書き始め、2001年に『TVJ』で第18回サントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞。
同年秋に『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞。
この作品は30万部を突破するベストセラーとなりました。
というわけで、ミステリー専門の書き手ということではないようです。
本作もミステリーというよりは、どちらかといえばサスペンス寄りでしたね。
執筆に際しては、映画に影響を受けている場合が多いということですから、見ている映画は、もしかしたら僕とかなり被っているかもしれません。
本作「リミット」は、そのタイトルが示すように時間制限ありの救出サスペンス。
人気お笑い芸人の奥田がパーソナリティを務める深夜ラジオ番組に、「この番組が終わったら自殺する」という予告メールが届きます。
ディレクターの安岡は、自殺を止めるために番組で取り上げるべきだと主張しますが、周囲は反対します。
番組が始まると、奥田はメールの送信者を挑発し始め、緊張感が次第に高まっていきます。
安岡はリスナーに協力を呼びかけ、送信者を特定しようと奔走します。
番組の終了時間が迫る中、奥田と安岡は自殺を阻止するために必死に連絡してくるように求めますが・・・
ラジオの生放送という緊迫した状況を描きながら、作者はリスナーとラジオ・パーソナリティのコアな連帯感を前面に押し出していきます。
果たして、番組スタッフたちは、メールの送信者を救えるのか・・・
本作は、2010年の作品ですが、思い出すのは、僕らの世代が中高生だった1970年代。
この時期、ラジオの深夜放送は黄金期を迎えていました。
この時代の深夜放送は、単なる娯楽を超えて、若者たちの心の拠り所となり、中高生文化を牽引していましたね。
時代はまさに高度経済成長期の真っ只中。
テレビの普及が進む一方で、ラジオの深夜帯は、当然のことながらスポンサーが集まりません。
低予算は余儀なくされるところですが、制作スタッフは、むしろそれを逆手にとって、ディスクジョッキー(DJ)やアナウンサーたちが、まったく自由な発想で番組を作り上げることに懸命でした。
ゆえに面白かった!
この時代を代表する深夜放送番組には、TBSラジオの『パックインミュージック』、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』、文化放送の『セイ!ヤング』など。
これらの番組は「深夜放送御三家」とも呼ばれ、若者たちに絶大な支持を受けました。
もちろん、この御三家の掛け持ちは出来ませんが、それぞれが聞いている番組は、120分のローノイズ・カセットテープに録音。それを学校に持っていっては話題を共有していました。
番組に寄せられるのは今ならメールですが、当時はすべてハガキ。(ファックスもあったかな?)
若者たちの悩みやリクエストに応える形で、人気パーソナリティたちは、リスナーとの距離を縮めることに成功しました。
彼ら(落合恵子氏は女性でしたが)は、友達のように親しみやすい語り口でリスナーに語りかけ、我々の深夜の孤独を癒してくれました。
同世代である作者も、間違いなくこの体験は共有していると思われます。
では、今の深夜放送はどういうことになっているのか。
これがちょっと気になってしまいました。
果たして、本作で描かれたような、ドラマチックなリスナーとのつながりはあったのか。
現在の深夜放送も、もちろんリスナーの中心が学生を中心とする若者たちであることは変わらないはずです。
昼間働くサラリーマンが、ナマの深夜放送を聞くのは厳しいでしょう。
但し今は、インターネットの普及により、リスナーの年齢層が広がっていることは確実です。
ポッドキャストやインターネットラジオの普及により、深夜放送のコンテンツをオンデマンドで聴くことができるようになり、リスナーのライフスタイルに合わせた聴取が可能になっているという時代の変化は見逃せません。
またコンテンツの多様化も大きな変化でしょう。
深夜放送の内容は、音楽やトークだけでなく、リスナー参加型の番組や、かなりニッチなテーマを扱う番組が増えているようです。
1970年代のはじめには、まだオタクという言葉は存在していませんでしたが、1980年代以降急速に若者文化を侵食し始めたニッチなオタクたちに、深夜放送は大きく門戸を開きました。
インターネットを活用した双方向のコミュニケーションも可能となり、リスナーと番組の距離は急速に縮まったといえそうです。
昔は、ラジカセで聞いていた深夜放送を、いまやスマホで聞く時代です。
ラジオはよりパーソナルなものになったといっていいかもしれません。゜
つまり、深夜放送を生で聞くリスナーと、番組の連帯感はよりコアなものになり、その仲間意識も強いものになったという傾向はあるのかもしれません。
総務省のデータによると、インターネットラジオの利用者数は年々増加しており、特に深夜帯の利用は顕著のようです。
僕が深夜放送のヘビーリスナーだった頃に、本作にあるような自殺者騒動があったという記憶はありません。
おそらくなかったはずです。
1970年代は、今に比べれば、自殺者の数は少なくて安定していました。
自殺者が増え始めたのは、1980年代になってから。
そして、2000年初頭にその数はピークを迎え、3万人を超えます。
この時期には、家庭内暴力や学校のいじめ、そして企業でのハラスメントが、社会の中で常態化してきます。
このピーク時から少し自殺者の数は減り、20000人前後で推移しているのが現在の状況です。
確実に、自殺は現代の方がリアルな社会問題でしょう。
1970年代の深夜放送ブームを体験しているものにとって、深夜放送のスタッフたちが、自殺しようとしているリスナーを救うために必死に奔走するという本作のストーリーには、いまいち共感できない部分はありました。
そりゃ、ファンタジーだろうという話です。
正直に白状すれば、本作のラジオ局の局長がいう通り、「メールの送信者が自殺するという確証がない限り、公共の番組がそこに立ち入るべきべきではない」という主張に個人的には最後まで賛成していました。
今の時代に、安岡という主人公は、やたらと熱すぎる!
しかしよくよく考えればです。
今の若者たちが、「死にたくなるような世の中」にしてしまったのは、紛れもなく、あの1970年代当時に深夜放送の熱にうかれていた我々世代の責任なんですね。
それを考えると、このドラマのラストの展開を、我々の世代がファンタジーだと切り捨ててしまうことは、少々不謹慎といえるかもしれません。
今現在、我が生活に欠かせないのはYouTubeです。
自分に必要で興味のある情報にだけ、自分のタイミングでアクセスするというスタイルが、最も合理的な情報収集方法だと思っています。
テレビもラジオも、リアルタイムではまったく聞きません。
あくまで、アーカイブとして、後にYouTubeにアップされた番組をオンデマンドで聞くのみです。
ですから、ラジオにしても、テレビにしても、一つの番組を、同時間に複数の人と共有するということは今の生活では皆無です
ささやかにYouTubeチャンネルもやっていて、過去の旅行動画を編集してあげていますが、ライブ配信はまだ行ったことはありません。
時には動画にコメントをいただくこともあり、共有感を味わうこともありますが、連帯感というところまでは至りません。
その意味では、もしも僕が自殺をしたくなるような状況になってしまった場合、独居老人の身としては、救いの手を差し伸べる先はちょっとなさそうです。
上等。
深夜のラジオを聞かないものとしては、せいぜい、百姓仕事に精を出して、憂いのない日々を過ごすことにいたします。
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