さて、2025年の映画はじめは、この作品にしました。
なんと、一世紀以上も前の作品。
僕はAmazonプライムで見ましたが、すでにパブリック・ドメインになっているため、YouTubeでも見られます。
本作はアメリカで製作された映画史上最初の長編劇映画です。
上映時間はなんと3時間以上。
1910年代の初期は、チャップリンの多くのドタバタコメディ映画がそうであるように、短編映画が主流でした。
そんな中、こんなとんでもない尺の映画が登場したわけですから当時の観客はたまげたわけです。
しかし、ホワイトハウスで、当時のウッドロウ・ウィルソン大統領が鑑賞したという話題性も手伝って、とにかくこの映画は記録的な大当たりしました。
アメリカ映画史上最初のブロックバスター映画が本作です。
監督は、D.W.グリフィス。
この人は、アメリカ映画の黎明期を代表する映画監督であり、「映画の父」と称される人物です。
彼は映画技術と物語表現の革新者として、映画を単なる娯楽から芸術の域へと高めました。
この人が編み出した映画手法は、クローズアップやクロスカッティング(並行編集)。
今では当たり前すぎるこの撮影法により、映画の画面に緊張感を演出しました。
ちなみに、本作でカメラがクローズアップで狙ったのは主に主演女優リリアン・ギッシュの美貌でした。
この人は、グリフィス監督の主な映画にはほぼ出演していて、今は亡き淀川長治先生が大絶賛していたのを覚えていますが、僕が初めて彼女を見たのは「八月の鯨」という1987年の映画。当時の彼女は93歳でした。
あの可愛いおばあちゃんの全盛期の美貌と、サイレント映画ならではの、クラシックな感情表現は、本作の見所のひとつです。
まだあります。フェードイン/フェードアウトやパン撮影などもこの人が編み出した技法です。
シーンを複数のショットで構成するモンタージュ手法も本作で見られます。
個人的にはこの手法は「戦艦ポチョムキン」がその走りだと思っていましたが、それよりも前に、この監督がすでに使っていたわけです。
もちろん、これらの技術は、後のハリウッド映画や世界中の映画製作に多大な影響を与えました。
映画を、見て楽しむだけの娯楽から、芸術の域まで高めた功労者であるというのが一般的な評価です。
しかし、なんといっても一世紀以上も前の映画です。
まだ映画技術は黎明期。
どれだけ製作費をかけようと、「タイタニック」や「アベンジャー」シリーズのようなCG使い放題の現在の超大作映画のようなわけにはいきません。
やはり、現代目線で見てしまっては少々可哀そうかもしれません。
とにかくサイレント映画の時代です。
当然のことながら、役者たちのセリフは一切聞こえません。
最小限の字幕を読んで、俳優たちが何を喋ているのかは想像するしかありません。
映画黎明期のサイレント映画の興行はどのように行われていたか。
初期の映画館ではピアニストが演奏することが一般的でしたが、大都市の映画館ではオルガンや小規模なオーケストラが用いられることもありました。
本作のような超話題作ともなれば大劇場やオペラハウスが使われたでしょうから、そこそこの規模のオーケストラが映画に合わせて生演奏していたはずです。
本作の日本公開は1924年。
当時の日本であれば、おそらく活弁士たちが朗々と、このアメリカの一大叙事詩を語っていたでしょう。
もちろん、Amazonプライムのバージョンには、クラシック音楽が充てられていただけでしたが、やはりこの映画を鑑賞するなら、当時の興行風景の熱気なども想像して楽しむのもいいかもしれません。
映画史における貴重な記録を確認するくらいの気持ちで鑑賞すると、3時間の長尺も案外楽しめます。
さて、本作を持ち上げるのはこれくらいにしておきましょう。
実は本作は、映画芸術に多大な貢献をしたという評価と同時に、人種差別を助長させたというバッシングを受け、現在に至るまでいわくつきの問題作として語り継がれているという側面も併せ持っています。
本作は南北戦争とその後の復興期を背景に、北部のストーンマン家と南部のキャメロン家という2つの家族を中心に展開されます。
奴隷解放やリンカーン暗殺などの歴史的出来事を交えつつ、クー・クラックス・クラン(KKK)の結成とその活動を描いています。
問題なのは、その描き方です。
とにかく、黒人は暴力的で無秩序な存在として描かれ、白人至上主義団体であるKKKが「正義」として美化されているんですね。
グリフィスは南部出身で、父親が南北戦争で南軍兵士として戦った経験を持つ人物でした。
この背景から、彼は南部寄りの視点で物語を構築したわけです。
映画は、南北戦争後の復興期を舞台に、黒人解放が白人社会に混乱をもたらし、クー・クラックス・クラン(KKK)が「白人社会秩序の守護者」として登場するという物語を丁寧に描いています。
そして、この映画が大ヒットしたことにより、この時にはすでにその活動が萎みつつあったKKK団が、我が意を得たりとばかりに再びその活動を活発化させることになります。
映画公開直後、ジョージア州でKKKが再編成され、映画はその宣伝とリクルートメントツールとして利用されました。
白いローブや十字架の焼き討ちなど、映画で描かれたイメージは実際のKKK活動にも多く取り入れられました。
そして、本作は1920年代のKKKの大規模な復活を助長し、その会員数を数百万人にまで膨れ上げさせました。
映画は黒人を意図的に「怠惰」「暴力的」「性的脅威」として描き、白人至上主義を支持するメッセージを視覚的に強調しました。
これにより、人種差別や黒人排除政策を正当化するためのツールに利用されたんですね。
特に「失われた大義」(Lost Cause)という南部寄りの歴史観を広めるのに大きな役割を果たし、南北戦争後の復興期を「北部による南部への復讐」として描写することで、圧倒的な白人観客層の共感を得ました。
というわけで、黒人に対する偏見と悪意に満ちた映画ではあるのですが、映画をしばらく見ていると、登場する黒人たちに妙な違和感があるのに気がつきます。
エキストラとして登場している黒人たちに特に違和感はないのですが、役があってセリフもある黒人たちがどこか変です。
眼だけが妙にギョロリと白く、唇が不自然に厚く、鼻がやけにスラリとしています。
思い出してしまったのは、映画で初めて歌った伝説の歌手アル・ジョルスン。
この人は、白人でありながら、黒人メイクをして、「スワニー」などを歌った人です。
そうなんです。
これは映画を見終わってから確認しましたが、本作に登場する役名のある黒人を演じたのは、案の定すべて白人俳優でした。
彼らが顔を黒く塗って演じていたんですね。
違和感の正体はこれでした。
これは、ブラック・フェイスといわれる当時の映画における一般的な手法でした。
実は、1910年代当時、ハリウッドには黒人俳優は一人もいませんでした。
もちろん、モブシーンや南部の屋敷には普通にいた奴隷たちは風景として映り込んではいますが、セリフのある俳優として彼らを起用することは当時の映画界ではご法度でした。
D.W.グリフィス監督は、「主要キャストに黒人を起用しない」という方針を宣言していました。
彼は「主要な登場人物に黒人の血を含む者を使わない」と明言し、黒人役をすべて白人俳優がブラックフェイスで演じることを意図的に選択したわけです。
暴力的で無秩序な存在として描かれた黒人を演じているのが、実は白人だったというのは、今にして思えば、すべては白人視線で仕組んだ印象操作であることを象徴していてなかなか興味深いところです。
もともとブラックフェイスは、19世紀初頭に始まったミンストレル・ショー(白人が顔を黒く塗り、黒人を揶揄する大衆演劇)から派生したものです。
1960年代の公民権運動以降、人種差別への意識が高まり、ブラックフェイスは徐々にタブー視されるようになりました。
しかし、それまで約100年以上続いたこの慣習は、その根深い文化的影響から完全になくなるまで時間がかかりました。
思えば、顔を黒く塗ったシャネルズが「ランナウェイ」を歌ってさっそうと登場したのが1980年。
彼らはそのベースに黒人音楽へのリスペクトがあり、けして茶化しているのではないということは想像に難くありませんが、それでも、あれがアメリカ人、特に黒人たちから見てどう映ったのかは、想像するだけで冷や汗ものです。
本作では、エイブラハム・リンカーン大統領が暗殺された、1865年4月14日の夜を史実にのっとって忠実に再現しています。
アメリカ南北戦争終結直後のことです。
場所はワシントンD.C.のフォード劇場で、観劇中に銃撃されました。
もちろんこの当時にまだ映画はありませんが、リンカーン役の俳優が似ていたことと、フィルムの質感が当時の臨場感を醸し出していて、ちょっとドキュメンタリーでも見ているようで妙にリアルでした。
このような、存在そのものが歴史ともいうべき映画を、現在のアメリカ人たちがどう受け止めるのか。
映画芸術を後世に伝えた映画遺産として受け止めるのか、それとも今なお続く黒人差別を先導したプロパガンダ映画として「アメリカの恥」と受け止めるのか。
これは、日本人としてとても興味のあるところです。
但し、どのようなリアクションがあったとしても、当時のアメリカの白人たちのおよそ2割がこの映画を見たという歴史的事実はやはり重いかも。
グリフィス監督は、天国でこうつぶやいているかもしれません。
「文句があるなら、いつでもどうぞ。アメリカ国民はソウセイ!」
コメント