なるほど。
これくらいブッ飛んだ設定を素直に呑み込めないと、最近のミステリーにはついていけないということは、しっかりと学ばせていただきました。
実は、道尾氏の作品としては、本作の次回作となる「シャドウ」を先に読んでしまっていました。
しかし、本作を絶賛する読書系YouTuber の声があまりに多かったので、今回手にした次第。
本作は発表当時、賛否両論が真っ二つだったそうです。
この意見を作家として真摯に受け取めた道尾氏が、その「否」の評価に対するアンサーとして執筆されたのが「シャドウ」とのこと。
共に少年が主人公である点については共通でしたが、確かに「シャドウ」の方が、ブッ飛んだ設定は鳴りを潜め、より本格ミステリーに歩み寄っていましたね。
さてそれでは、本作の何がブッ飛んでいたのか。
これは物語早々に読者に披露されます。
故にネタバレにはならないと思いますので言ってしまいましょう。
なんと、死んだ少年が蜘蛛になって転生し、普通に主人公のミチオ少年と会話をはじめるんですね。
最初は、主人公が10歳の少年であることから、すぐに夢落ちするのだろうと思っていたら、この蜘蛛がミチオ少年の相棒となって事件解決に協力していくという展開となります。
マジでそうくる?
なるほど、まずはこれを受け入れられなければ、このミステリーの世界には入っていけないようです。
若い頃に愛読した本格ミステリーでも、横溝正史作品でも、まずあり得ない設定(あったらごめんなさい)なので、これはクラシック・ミステリー大好きのロートル・ファンとしては少々シンドイところでしたが、ここはグッと呑み込みました。
前期高齢者ともなると頭が固くなってくるのでしょうが、ここは頭を柔軟にして対応しないと、その裾野を恐ろしい勢いで広げつつある近代ミステリーの多様化にはついていけないと覚悟した次第。
もともと個人的には、ミステリーにオカルトやSFの要素を入れるのは邪道という考えの持ち主でした。
だっていかにもズルいでしょ。事件解決に超能力を使うのは。
しかし、少年と爬虫類という凸凹すぎるコンビの推理は、なかなかどうして論理的なんですね。
道尾氏は、SFホラー的飛び道具は一切使わず、あちこちに正当で周到な伏線を張り巡らせながら、ラストには畳みかけるようにその爆弾を破裂させて、読者を力技で納得させてしまいます。
なるほど。
こうこういう展開になるなら、主人公が10歳の少年であることは大いに頷けます。
そこにはむしろリアリティが生まれています。
しかし、少年が主人公だからといって、本作をジュブナイル小説だと思うと、完全に間違えますね。
そのあまりに救いのない異常でダークな世界観は、いくらなんでも小学生には早すぎます。
もし、ファンタジックな表紙とタイトルに釣られて、この本を手にしている小学生がいたとしたら、この世界に身に覚えのあるたっぷりいかがわしい大人たちは、そっとその手からこの本を取り上げて、やさしくこう言ってあげてください。
「君にはまだ早い。もう少し大人になってからね。」
物語は小学4年生の主人公ミチオが、夏休み前の終業式の日に欠席していたクラスメイトS君の家を訪れる場面から始まります。
そこで彼が目撃したのは、首を吊って死んでいるS君の姿。
しかし、警察や教師が駆けつけた時には死体は消えており、事件は行方不明として扱われます。
その後、S君は「クモ」に姿を変えてミチオの前に現れ、「自分は殺された」と訴えます。
ミチオは3歳の妹ミカと共に、S君の死の真相を追い始めます。
そんなミチオの家は子供部屋以外は完全なゴミ屋敷。
母親はパートに出ていますが、妹のミカに異常な愛情を示し、ミチオには冷たく当たります。
父親はカメのように無気力。
そして、担任教師の異様な性癖。
次第に物語は不穏な方向へと進んでいきます。
この物語には「現実から逃避するために作られた虚構」というテーマが横たわっています。
主人公ミチオや彼の母親は、それぞれ自分に都合の良い物語を作り出し、それに依存することで現実から目を背けているように描かれていきます。
この登場人物それぞれの心理的要素が物語全体を支える重要な柱となっています。
そして、そこに仕掛けられた巧妙な叙述トリック。
本作では、「主観」と「現実」の境界が意識的に曖昧にされています。
基本的には主人公ミチオの視点から語られるため、彼自身が信じ込んでいる虚構と現実との区別がつきにくく、読者もその曖昧さの渦に完全に巻き込まれていくんですね。
これは、明らかに作者が意図的に構築しているプロットです。
この手法によって読者は物語世界に知らず知らず深く引き込まれ、いったい何が起こっているのかと、能動的な読み方をせざるを得なくなります。
これは、紛れもなく2006年に本格ミステリー大賞を受賞しているミステリー小説なのだから、今小説内で起こっている不条理な展開はその全てに論理的結末があるはずと、脳ミソが勝手にフル稼働。
気がつけば完全に道尾ワールドに引きずり込まれているというわけです。
物語は主人公ミチオの視点で進行しますが、とにかく彼が多感でデリケートな小学生であることが本作の肝。
彼の行動はしっかりとしているようで不安定であり、現実と妄想が絶妙に入り混じっています。
この「信頼できない語り手」が主人公であることで、本作には、常に緊張感が張りつめます。
物語が進行するにつれて、次第に不気味な存在になってくるミチオ少年。
少年特有の妄想が作り上げた世界の中で、自ら物語を構築し、その中に逃避しようとする彼が、ラストで自らその妄想を破壊しようとする展開は圧巻でした。
まるでカフカの「変身」のような不条理な世界にとことん引きずり込まれてしまうと、もはやラストはこれしかありえないかもと個人的には大いに納得。
とにかくこの作者の、どんでん返しの切れ味の鋭さは、もはや名人芸といっても過言ではないでしょう。
読者をあっと驚かせるために仕掛けられた伏線の数々が次々と回収されていくラストの展開は圧巻です。
読み終えてみれば、蜘蛛が喋ろうと、少年が教室の窓の外を飛んでいようと、本作が紛れもないミステリーであることには異議はありません。
いやはや道尾秀介おそるべし。
ちなみに、本作を読みながら思い出していたのは、自分が小学4年生の頃の記憶です。
残念ながら、僕の場合は、喋る蜘蛛の友人には恵まれませんでしたが、後ろの席の女の子に、淡い恋心を抱いたのはミチオ少年と一緒。
いつもストーリー漫画を描いている少年でしたので、常に妄想だけは頭の中でパンパンだった記憶があります。
実は友達に見せる漫画とは別に、絶対に誰にも見せられない怪しげな漫画も並行して描いていました。
その小学生だった自分が、その漫画を描きながら、いったいどんな顔をしていたかと想像するとゾッとします。
その門外不出の漫画ノートを、一度抜打ち掃除された母親に見られたことがありました。
引き出しにしまっておいたはずの禁断ノートが、ある日、机の上にポンと置かれていたんですね。
その夜は何か言われるのが怖くて、母親の顔をまともに見られませんでしたが、彼女は結局終始そのことにはノータッチ。
しばらくはドキドキして過ごした記憶があります。
なにが描いてあったか?
そんなことは、たとえ蜘蛛にだって言えませんて。
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