こんな文庫を読み終えました。
「その手紙が変えた日本の歴史 」
40歳をこえたあたりから、なぜか、歴史ものを読むことが多くなりましたね。
読むといっても、僕の場合は、ほとんどが雑学系。
歴史小説などは、ほとんど読んだことはありません。
高校のときの社会科の選択授業は、歴史ではなく、政治経済。
けして、歴史が好きでも、得意でもありませんでしたが、自分の読んでいる本を客観的に分析してみると、学校で習った歴史が、実際のところは、けしてそういうことではなかったよというようなネタを仕入れるのが、どうやら好きなようですね。
実は、これもそんな一冊。
歴史は紛れもなく人が創ってきました。
そうは言っても、歴史に登場する人物たちを身近な人間として実感することは、難しいでしょう。
しかし、手紙ならどうでしょうか。
「手紙」には、それがたとえどんな時代のものでも、その人の、素直な気持ちや、秘めた思惑など、人間くさい「思い」が溢れているのではないでしょうか。
江戸城の無血開城を導くことになる、皇女和宮が孝明天皇にしたためた手紙。
夫を二十万石の大名に押し上げることになる、山内一豊の妻が、徳川家康に送った密書。
黒船の来航を事前に知らせていたオランダ商館長が幕府に宛てた風説書。
陸軍中将・栗林忠道の娘への深い愛情に満ちた硫黄島からの手紙。
天下取りの野望をしたためた、ローマ法王に宛てた伊達政宗の手紙。
妻を難から救うことになる、大石内蔵助からの妻りくへの離縁状。
ベートーベンの机から発見された、「不滅の恋人」へのラブレター。
世の中、手紙よりは、メールの時代になっていますが、基本的に「作文オタク」である僕は、若いころには、しこたま手紙を書いたものです。
白状してしまいますが、もちろん、そのほとんどはラブレター。
はやる下心を、見透かされないように、「純愛」で完全防備した、今読めば、おそらく、こっぱずかしくて読めないようなラブレターを節操なく書いていましたね。
本屋の息子だったこともあり、小学生のころから、国語の成績だけはよかったので、作文はお手のもの。
大学に入るころには、ラブレターの代筆なんていうアルバイトもしておりました。
この本を読みながら、ちょっと冷や汗が出てきましたね。
僕は、間違っても歴史上の人物になることはないでしょうが、何百年か先に、僕がラブレターを送った女性の子孫の家から、その恥ずかしい手紙が発見されて、昭和時代の歴史の資料として、公表されるなんてことをイメージしてしまいました。
どうか、そのようなことのなきよう。
皆々様、よろしくお願い申し上げます。恐々謹言。
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