「あなたに聞かせたい1000曲」
本名・三浦 百惠。
ペンネームは、横須賀 恵。
生年月日 1959年1月17日。今年49歳。
芸名は、旧姓と同じ。山口百恵。
というわけで、山口百恵は、僕と同じ年齢。
森昌子、桜田淳子と一緒に、「花の中三トリオ」として、脚光を浴びていた頃は、当然ながら僕も中三のマセガキ。
しかし、高三になる頃には、山口百恵は、歌手として不動の地位を確立。他の二人を頭二つも三つも追い越してしまっていましたね。
なんといっても、「横須賀ストーリー」以降の、阿木燿子、宇崎竜堂夫妻との出会いは、決定的でした。
この夫婦の作品を歌うことで、歌手としての彼女は、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなりましたね。
彼女の曲は、僕の「あなたに聞かせたい1000曲」リストの中に、5曲エントリー。
紹介しましょう。
まずはこの曲。
「夢先案内人」
もちろん、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜堂。
僕の中では、この曲より前の彼女は、アイドル歌手。
これ以降の彼女は、アーティストという位置づけです。
それからこの曲。
「プレイバックPart2」
妥当でしょう。彼女を語るとき、やはり、この楽曲ははずせません。
当時、「夜のヒットスタジオ」で、僕よりも先に、この山口百恵の新曲お披露目を 聞いたオヤジが、これを聞き逃した僕に向かって、興奮気味にこう語ったのを覚えています。
「今度の、百恵ちゃんの歌、ちょっと面白かったぞ」
凝りに凝った音楽的ギミック満載の彼女の代表曲。
お次はこちら。
「ロックンロール・ウィドウ 」
山口百恵をカラオケで、歌えといわれたら、僕の場合は、一も二もなくこの曲。
そして、ちょっと渋いところでこの曲。
「曼珠沙華」
この曲は、1979年3月に発売された、「美・サイレント」のB面に収録されていた曲。
僕のごひいきは、A面のヒット曲ではなく断然こちら。
山口百恵の、歌手としての力量をたっぷりと堪能できますね。
さあ、そしてもう一曲。
これは、彼女の曲としては、シングルカットにはなっていません。
収録されていたのは、1979年発売の「A face in a vision」という彼女にとって通算17作目のアルバム。
本名・三浦 百惠。
ペンネームは、横須賀 恵。
生年月日 1959年1月17日。今年49歳。
芸名は、旧姓と同じ。山口百恵。
というわけで、山口百恵は、僕と同じ年齢。
森昌子、桜田淳子と一緒に、「花の中三トリオ」として、脚光を浴びていた頃は、当然ながら僕も中三のマセガキ。
しかし、高三になる頃には、山口百恵は、歌手として不動の地位を確立。他の二人を頭二つも三つも追い越してしまっていましたね。
なんといっても、「横須賀ストーリー」以降の、阿木燿子、宇崎竜堂夫妻との出会いは、決定的でした。
この夫婦の作品を歌うことで、歌手としての彼女は、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなりましたね。
彼女の曲は、僕の「あなたに聞かせたい1000曲」リストの中に、5曲エントリー。
紹介しましょう。
まずはこの曲。
「夢先案内人」
もちろん、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜堂。
僕の中では、この曲より前の彼女は、アイドル歌手。
これ以降の彼女は、アーティストという位置づけです。
それからこの曲。
「プレイバックPart2」
妥当でしょう。彼女を語るとき、やはり、この楽曲ははずせません。
当時、「夜のヒットスタジオ」で、僕よりも先に、この山口百恵の新曲お披露目を 聞いたオヤジが、これを聞き逃した僕に向かって、興奮気味にこう語ったのを覚えています。
「今度の、百恵ちゃんの歌、ちょっと面白かったぞ」
凝りに凝った音楽的ギミック満載の彼女の代表曲。
お次はこちら。
「ロックンロール・ウィドウ 」
山口百恵をカラオケで、歌えといわれたら、僕の場合は、一も二もなくこの曲。
そして、ちょっと渋いところでこの曲。
「曼珠沙華」
この曲は、1979年3月に発売された、「美・サイレント」のB面に収録されていた曲。
僕のごひいきは、A面のヒット曲ではなく断然こちら。
山口百恵の、歌手としての力量をたっぷりと堪能できますね。
さあ、そしてもう一曲。
これは、彼女の曲としては、シングルカットにはなっていません。
収録されていたのは、1979年発売の「A face in a vision」という彼女にとって通算17作目のアルバム。
このアルバムのラストに収録されていたのが「夜へ… 」。
この曲が、僕の中ではダントツ第一位に輝く、山口百恵のベストソングです。
この「A face in a vision」というアルバム、実は「NHK特集・山口百恵激写」というテレビ放映された番組と連動した企画アルバム。
この番組の、事実上のサントラ盤になっています。
『NHK特集 山口百恵 激写/篠山紀信』は、1979年3月30日に放送。
映像は、デビュー当時から百恵を撮り続けていた篠山紀信が、番組のために新たに撮影したものを含む千数百枚の中から抜粋したスチール写真だけで構成。
写真だけで構成された番組をNHKが、ゴールデンタイムに放送するということは、当時としては画期的なことでした。
篠山紀信の弁。
「僕は、山口百恵を何万枚撮っただろうか。セーラー服を着た14歳の夏の少女がひとつの時代を象徴する女へと変貌する7年間、
僕はそれを、(中略)50分の時間に凝縮した。
そこには、確実に大人になっていく女の軌跡があった。いとおしいほどに美しく官能的に満ち満ちた女の姿があった。
百恵は今年、20歳になった。青い時代を見事に通過した今、彼女は赤く熟れた時代を迎えようとしている。」
アルパムの構成と同じく、この番組のラストに流れたのが「夜へ… 」。
♪
夜へ…
阿木燿子
修羅 修羅 阿修羅 修羅
慕情 嫉妬 化身
許して・・ 行かせて・・
繻子 繻子 数珠 繻子
襦袢 朱色 邪心
許して・・ 行かせて・・
あやしく あまやかな 夜へ・・・
やさしく やわらかな 夜へ・・・
♪
阿木燿子のあまりにも研ぎ澄まされた詩の世界。そして、その詩を、「女性」としての感性で受け止め、表現する山口百恵の圧倒的な存在感。
絶対にシングルカットはありえないコンセプトで作られた曲ではありますが、その息苦しいほどに濃密で妖しい世界は、山口百恵という歌手の「器の深さ」を証明して余りあります。
夜更けに、まったりとまどろみながら聞けば、体の奥底まで溶け込んでくる名曲ですね。
さてと、ちょっと待て。
ここまで、書いてきてふと気がつきました。
どう思い出しても、僕は、このNHKの番組を見た記憶がないんですね。
はて?
ではなんで、この番組を見ていないものが、シングルカットにもなっていない、アルバムの片隅に埋もれたていたこの名曲を、知っていたのでしょうか。
さらに、リサーチをすすめて、はたと思い当たりました。
「山口百恵の『夜へ・・・』は、相米慎二監督の日活ロマンポルノ『ラブホテル』でも効果的に使用され・・・」
なるほどこれか。
僕が、この曲を始めて聴いたのは、間違いなく、大宮の日活ロマンポルノを上映していた暗い映画館の片隅ですね。
『ラブホテル』と併映されていたのは、やはりロマンポルノ。
タイトルは確か、こんなやつでした。
「絶倫海女しまり貝」
『ラブホテル』と併映されていたのは、やはりロマンポルノ。
タイトルは確か、こんなやつでした。
「絶倫海女しまり貝」
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