岡山県の山中、吉井川の上流、奥津川が花崗岩の峡谷を浸食してできた、変化に富んだ渓谷が奥津渓谷。
春にはコブシ・シャクナゲ・ツツジ、夏は、新緑とカジカガエルの鳴き声・鮎掛け、秋は紅葉、冬は雪に映えるイイギリの赤い実・樹氷など、豊穣たる自然が今なお、訪れるものの「日本情緒」を刺激し続ける名勝地。
この奥津渓谷の自然を背景に、17年にわたる男女の愛の葛藤を描き出したのが、昭和37年松竹製作による「秋津温泉」です。
(ちなみに、「秋津温泉」で、検索すると佐渡の温泉がヒットしますが、この映画の舞台はこちら)
主演は、当時28歳にして、100本目の映画出演という「ザ・映画女優」岡田茉莉子。
監督は、彼女のご指名により、当時大島渚監督と並んで、松竹ヌーベルバーグ旗手であった吉田喜重。
二人の初コンビ作品で、ご存知の通り、後に二人が結婚するキッカケともなった作品です。
藤原審爾の原作によるこの映画は、一緒になることも、別れることもできない、のっぴきならない男女の愛の遍歴が訥々と語られるわけですが、たぶん、当時の映画ファンの方なら、誰しも、あの成瀬巳喜男 監督の「浮雲」の展開が頭をよぎるはず。
確かに、ストーリーは酷似しています。
そういえば、あの「浮雲」にも、当時、22歳の岡田茉莉子が出演していましたね。
おそらく、あの映画での、高峰秀子と森雅之のしっとりとした演技と空気に生で触れた彼女が「女優心」を大いに刺激され、「いつかこんな映画を作って、自分の代表作にしたい」という思いを持ち続けていたのでしょう。そして、映画100本目を向かえ、満を持して、自ら企画に参加。
この映画を、女優としての自分の節目にしようとしたんでしょうね。
そんなわけで、この映画に賭けた、彼女の意気込みは、想像に難くありません。
しかし、残念ながら、やはりあの名作「浮雲」と比較してしまうと、この「秋津温泉」はちと分が悪い。
まず、この映画に、いまいちリアリティが欠けた原因は、その岡田茉莉子の美しさでしょう。
確かに、この映画の彼女は大変美しい。
もともと、映画女優として、一般人とはかけ離れた「美しさ」をお持ちの人ですが、この映画においては、それが仇となりました。
彼女の演技からは、この映画の後半ではどうしても必要であったはずの、山奥の裏寂れた温泉宿を守る女主人の、「疲れた」感、「くたびれた」感が、まるで伝わってこなかった。
お人形のように美しい彼女の演技は、せいぜい「アンニュイ」「物憂げ」どまり。
「浮雲」で、高峰秀子が演じて見せた、「退廃美」までは、このときの彼女にはまだ表現できるものではなかったようです。
そのあたりをフォローする意味でも、この映画は、カラーではなく、モノクロで撮るべきではなかったのかなというのが僕の感想。
そして、原因のもうひとつは、男役の長門裕之。
この映画の設定では、男の役は、例えば太宰治のような、破滅的な知性をもったひ弱なインテリ役のつもりだったのでしょうか。
長門の知的ぶったセリフは、けっこう随所に出てくるのでくるのですが、果たせるかな、あまりその知性が伝わってこない。
そして、これも「浮雲」と比較してしまって申し訳ありませんが、この役には絶対に必要不可欠であった、自堕落男の「男の色気」。
これが、「浮雲」の森雅之と比較して、あまりにも足りなすぎました。
日活で威勢のいい役ばかりをやってきた長門が、心機一転「松竹作品」で、文芸作品もできるぞというところをみせたかったのでしょうが、今村昌平監督の『豚と軍艦』のチンピラ役は申し分なくても、こちらはどうもいただけない。
映画の中で、「慣れない芸者遊び」をヒロインに指摘されるシーンがあるのですが、これがどうみても、「遊び慣れているエロオヤジ」にしか見えず、おもわず苦笑。
この映画が、もうちょっとのところで、「名作」になれない原因を作っているようです。
それにしても、この映画には、これでもかと岡田の入浴シーンが登場。
もちろん、文芸映画ですから、とくにサービスシーンというわけでもないのでしょうが、見ていてハタと思い当たりました。
「うなじ」ですよ、「うなじ」。
そうか、吉田監督は、自分の愛する岡田茉莉子の「うなじ」の美しさを、観客に、アピールしたかったのに違いない。
岡田は、全編を通じて、「着物」で登場しますが、おそらく世界で一番、女性のうなじを美しく見せる衣装は日本の着物です。
そして、そのことは彼女本人もしっかりと認識していたのでしょう。
その証拠に、自分のセールスポイントである「うなじ」で、女の色気を表現するために、彼女はこの映画では「衣装」も担当していますね。
まあ、そのあたりは是非ともご堪能くださいませ。
しかし、それにしても、若き日の長門裕之は、おもいっきりクワタケイスケしています。
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