「病院坂の首縊りの家」は、市川崑監督、石坂浩二主演の名コンビによる横溝正史原作シリーズの最終作でした。
「でした」というのも、2007年に、市川監督の遺作として、「犬神家の一族」が、石坂浩二主演で、セルフリメイクされましたから、本当の最終作はこちらということになります。
「病院坂の首縊りの家」と呼ばれる古い館に、人間の生首が風鈴のように吊るされるという猟奇事件が発端。
やがてそこから、次々と惨劇が繰り広げられていくというおなじみの展開。
市川監督の、スタイリッシュでアートな「殺人の美学」はここでも健在です。
シリーズを通してみてくると、出演者が出揃ったところで、もう犯人は、直感的にわかってしまいますが、それもご愛嬌。
ご愛嬌といえば、原作者の横溝正史氏。
映画の冒頭とラストに、前作「女王蜂」のヒロイン・中井貴恵をお供に、ちゃっかり夫婦同伴で映画出演。
「風の視線」の、松本清張氏もそうでしたが、セリフもそれなりにある役を「楽しそう」に演じておりました。
思うに、横溝作品は、作品のタイトルのセンスが、いかにも映画的だと思っています。
「獄門島 」「八つ墓村」「犬神家の一族」 「女王蜂」 「悪魔が来りて笛を吹く」「悪霊島」 以上執筆順。
なにやら、このタイトルだけで、「映像のイメージ」はわいてきますもの。
作品のタイトル自体が、見事な「キャッチコピー」になっています。
1976年「犬神家の一族」を角川映画が取り上げた際、角川文庫は一斉に、メディアミックス戦略に打って出て、横溝作品の文庫本キャンペーンを派手に展開しておりました。
実家が本屋だった僕も、この「角川戦略」にまんまとのせられ、横溝作品を片っ端から読まされたてしまったクチです。
思えば、その選択基準は、純粋に作品のタイトルでしたね。
そして、その基準で読み終えた原作が、その後、面白いように映画化、ドラマ化されていったので、「僕には選ぶ目があるぞ」なんて、勝手に悦に入っておりました。
さあそこで、この映画のタイトルが、「病院坂の首縊りの家」。
これがまた、ちょっと「見たくなってしまいそうな」絶妙なタイトルではありませんか。
これだけで、「人間の生首が風鈴のようにぶら下がっている」映像が、イメージできそうです。
「病院坂」というのは、原作者・横溝正史氏の東京・世田谷区成城の自宅から、徒歩で10分程度のところに、実際存在するそうです。
位置的には区立砧中学校の裏手。付近住民であれば「病院坂」の名で通るくらい浸透しているといいます。
ところがこの地には現在もかつても病院が存在したことがなく、その名前の由来については諸説あって、現地に長く暮らす住民でも首を傾げるのが実情。
作者は、この「病院坂の首傾げ」にインスパイヤーされて、「病院坂の首縊り」という題名を発想したかもしれません。
映画の製作に当たっては、東宝が「病院坂」の“坂のロケ地”を募集しました。
そして、最終的には、東宝から10分位の場所にある「病院坂」(としてはうってつけの坂)をロケ地に決定したそうです。
しかし、原作の舞台は東京都港区の高輪。
原作内の「病院坂」の描写に正確に符合する坂道が実際にあるんですね。
同じ港区の三田界隈。
高松宮邸のすぐ脇、魚籃坂下方向へ向かって下る急な坂道がそれ。
原作における付近の建物及び路地の描写、近隣の交番(高輪二丁目交番)の位置などが正確で、実際横溝氏は、この作品の執筆に当たって、当地を歩いて取材しています。
実は、この界隈に僕は1年ほど住んでいたことがあります。
もちろん、この坂もよくチャリンコで走っておりました。
坂の途中に病院はありませんでしたね。
この坂道には正式な名称はありませんでしたが、この周辺に住む人たちはみんな、坂下に所在するスーパーマーケット「ピーコック」の名をとって「ピーコック坂」と呼んでいました。
しかし、この映画のタイトルが「ピーコック坂の首縊りの家」では、ちょっとね。
「でした」というのも、2007年に、市川監督の遺作として、「犬神家の一族」が、石坂浩二主演で、セルフリメイクされましたから、本当の最終作はこちらということになります。
「病院坂の首縊りの家」と呼ばれる古い館に、人間の生首が風鈴のように吊るされるという猟奇事件が発端。
やがてそこから、次々と惨劇が繰り広げられていくというおなじみの展開。
市川監督の、スタイリッシュでアートな「殺人の美学」はここでも健在です。
シリーズを通してみてくると、出演者が出揃ったところで、もう犯人は、直感的にわかってしまいますが、それもご愛嬌。
ご愛嬌といえば、原作者の横溝正史氏。
映画の冒頭とラストに、前作「女王蜂」のヒロイン・中井貴恵をお供に、ちゃっかり夫婦同伴で映画出演。
「風の視線」の、松本清張氏もそうでしたが、セリフもそれなりにある役を「楽しそう」に演じておりました。
思うに、横溝作品は、作品のタイトルのセンスが、いかにも映画的だと思っています。
「獄門島 」「八つ墓村」「犬神家の一族」 「女王蜂」 「悪魔が来りて笛を吹く」「悪霊島」 以上執筆順。
なにやら、このタイトルだけで、「映像のイメージ」はわいてきますもの。
作品のタイトル自体が、見事な「キャッチコピー」になっています。
1976年「犬神家の一族」を角川映画が取り上げた際、角川文庫は一斉に、メディアミックス戦略に打って出て、横溝作品の文庫本キャンペーンを派手に展開しておりました。
実家が本屋だった僕も、この「角川戦略」にまんまとのせられ、横溝作品を片っ端から読まされたてしまったクチです。
思えば、その選択基準は、純粋に作品のタイトルでしたね。
そして、その基準で読み終えた原作が、その後、面白いように映画化、ドラマ化されていったので、「僕には選ぶ目があるぞ」なんて、勝手に悦に入っておりました。
さあそこで、この映画のタイトルが、「病院坂の首縊りの家」。
これがまた、ちょっと「見たくなってしまいそうな」絶妙なタイトルではありませんか。
これだけで、「人間の生首が風鈴のようにぶら下がっている」映像が、イメージできそうです。
「病院坂」というのは、原作者・横溝正史氏の東京・世田谷区成城の自宅から、徒歩で10分程度のところに、実際存在するそうです。
位置的には区立砧中学校の裏手。付近住民であれば「病院坂」の名で通るくらい浸透しているといいます。
ところがこの地には現在もかつても病院が存在したことがなく、その名前の由来については諸説あって、現地に長く暮らす住民でも首を傾げるのが実情。
作者は、この「病院坂の首傾げ」にインスパイヤーされて、「病院坂の首縊り」という題名を発想したかもしれません。
映画の製作に当たっては、東宝が「病院坂」の“坂のロケ地”を募集しました。
そして、最終的には、東宝から10分位の場所にある「病院坂」(としてはうってつけの坂)をロケ地に決定したそうです。
しかし、原作の舞台は東京都港区の高輪。
原作内の「病院坂」の描写に正確に符合する坂道が実際にあるんですね。
同じ港区の三田界隈。
高松宮邸のすぐ脇、魚籃坂下方向へ向かって下る急な坂道がそれ。
原作における付近の建物及び路地の描写、近隣の交番(高輪二丁目交番)の位置などが正確で、実際横溝氏は、この作品の執筆に当たって、当地を歩いて取材しています。
実は、この界隈に僕は1年ほど住んでいたことがあります。
もちろん、この坂もよくチャリンコで走っておりました。
坂の途中に病院はありませんでしたね。
この坂道には正式な名称はありませんでしたが、この周辺に住む人たちはみんな、坂下に所在するスーパーマーケット「ピーコック」の名をとって「ピーコック坂」と呼んでいました。
しかし、この映画のタイトルが「ピーコック坂の首縊りの家」では、ちょっとね。
「病院坂の首縊りの家」の原型は旧「宝石」昭和29年7月号掲載の「病院横町の首縊りの家」で、病院横町はポーの「モルグ街の殺人」の森鴎外翻訳版タイトルである「 病院横町の殺人犯」から、また「首縊りの家」は作品中で、セザンヌの絵「オーヴェールの首縊りの家」から採ったと説明していました。
投稿情報: yu369576 | 2012年4 月11日 (水曜日) 午前 01時35分
興味深いウンチクを、ありがとうございます。
投稿情報: sukebezizy | 2012年4 月11日 (水曜日) 午前 05時42分