「証拠がない事実なんて空気みたいなものよ。透き通って見えやしないわ。」
別れを切り出してきた女に逆切れして、横領をしてきた事実をバラすぞと脅す男に、顔色一つ変えず女が言うセリフ。
女は若尾文子。
映画の名前は、「しとやかな獣」。
「獣」と書いて、「けだもの」と読ませます。
そのタイトル通り、この映画には、善人は一人も登場しません。
私利私欲の権化たちが、団地の一室を舞台に、魍魎跋扈。
この映画は、1962年製作の大映作品。監督は、川島雄三。
オリジナル脚本は、新藤兼人。
若尾文子演ずる芸能プロの会計係は、一家の息子から何百万も貢がせ、その裏では社長からも貢がせ、さらに税務署の役人からも・・
基本的にリアリズムを捨て、お芝居色を前面に出した映画で、ほとんど全編が、団地の一室のセットだけで展開する密室劇です。
アップテンポなセリフの掛け合いが軽妙なリズムを生み、また、能楽のお囃子を用いた音響が、このピカレスクコメディに、独特の空気感を与えました。
たたみかけるようなセリフの応酬の合間に、長い階段を、互いのモノローグをかぶせながら、ゆっくりとすれ違わせる暗示的なシーンなどを盛り込むなど、テンポの取り方は変幻自在。
舞台を限定した分、凝ったカメラアングルで、閉塞的な舞台設定を逆手にとるあたりは、才気溢れる川島雄三監督の面目躍如。
伊藤雄之助、小沢昭一 、船越英二、山茶花究 など、ひとくせもふたくせもある役者たちが、それぞれ「快演」を繰り広げる中、なんといっても光ったのは、一家の母役の山岡久乃。
あたりまえの主婦役をサラリとこなしながら、要所要所で、毒を吐きまくっておりました。
わかりやすいくらい、悪党テイストでムンムンの他の出演者に混じって、「ごく普通の主婦」を演じながら、誰よりも「したたかな」ところを演じてみせたあたりは、お見事。
監督も、彼女こそこの映画のキーパーソンであることは認めていたようですね。
それは、この映画のラストが、彼女のクローズアップで「終」になっていたことからも明白。
ラストで、わずかな時間の中、焦りから諦めへと感情の変転を見事に表現し、この映画のエンドマークにつなげました。
まことに荒唐無稽な作劇のお伽話でありながら、映画としての完成度は高く,新藤脚本のシニカルさと川島演出の軽妙さがほどよくマッチした秀逸。
当初は、脚本を書いた新藤兼人がそのままメガホンほ取るという予定もあったようですが、これは川島監督で正解だったようです。
「姉さんとのセックス、吉沢先生そうとう気に入ってるんだな」
妾をしている姉を、弟が茶化すシーンで、山岡久乃がたしなめます。
「ものごとを、むきだしにするもんじゃありません」
強烈な夕焼けをバックに。この兄弟が狂ったように踊るシーンは印象的でした。
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