「緊急避難」という法律用語があります。
一般的な意味で言えば、火事や地震の際に、安全なところに避難するという意味でしょうが、法律で言うところの「緊急避難」というと、ちょっと意味合いが違います。
刑法における緊急避難とは、人や物から生じた現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益を守るために行った行為である場合、「やむを得ずに」に相当する正当な理由があれば、これは犯罪とはなりませんよという意味。
刑法37条1項本文に規定されています。
具体的にいうと、こんな例があります。
船が難破して乗客のAとBが海に投げ出されます。
そこに一人ならつかまって浮いていられるが、二人なら沈んでしまう程度の大きさをした舟板が流れてきたとしましょう。
この状況では、板につかまって救助を待つよりほかに助かる術はありません。
二人はこの板につかまろうとしましたが、AはBを蹴り離して溺死させ、その後Aは救助されます。
いわゆる「カルネアデスの板」と呼ばれる有名なシチュエーション。
この場合のAの行為が、「緊急避難」にあたります。
それからこんな例。
Aが道を歩いていると、鉄パイプを持った暴漢に突如として襲われました。
Aは逃げましたが追いつめられ、仕方が無いので赤の他人であるBの家へ勝手に侵入し、ここに隠れて難を逃れたとします。 この場合も、「緊急避難」が適用され、Aの「不法侵入」は、罪に問われません。
この緊急避難と似た言葉で、よく聞くのが「正当防衛」。
これも緊急避難と同様、本来なら処罰される不正な行為であっても一定の理由がある場合には刑事責任を問われないことになります。
緊急避難の大原則は、危険を回避するために他の手段が無く、やむを得ずした行為でなければならないということ。
したがって、その危険を回避するための他の方法があったにも関わらず、あえて、その方法を取ったというような場合には、「緊急避難」は適用されません。
例えば、前の例で言えば、逃げ込んだBの家の隣に、交番があったとしましょう。
この場合は、通常なら、交番に駆け込むべきなのに、あえて、不在の隣家へ避難したということで、緊急避難」は適用されず、「不法侵入」が成立するというわけです。
とまあ、「緊急避難」は、一応こういう規定にはなっているのですが、それならこんな場合はどうなるのかというような例外設定が、いろいろと考えられるので、犯罪ドラマや、映画のネタとしては、なかなかおいしい素材となります。
今回見た1961年製作の大映映画「妻は告白する」も、この「緊急避難」を題材にしたモノクロの社会派辛口映画です。
原作は、弁護士作家・円山雅也が、文芸春秋に掲載した『遭難・ある夫婦の場合』。
これを増村保造が監督しました。
主演は、若尾文子。
穂高滝谷の、第一尾根岩壁にしがみついていた、三人のパーティ。
このうちの一人が足を滑らせて転落。
ザイルで結ばれていた真中の女も、引きずられて宙吊に。
最後部の男は女の夫。
引き上げている男は、この妻と愛人関係。
男は、必死でロープを引き上げようとするが、二人を引き上げることは無理。
このままでは、3人とも崖下に転落する危険性が。
その時、女はナイフで自分の「下」のザイルを切る。
男は落下し、女は引き上げられる。
しかし、転落した夫には、生命保険が・・・
さあ、このケースで、はたして「緊急避難」が適用されるか否か。
というわけで、この映画は、この事件の裁判シーンを軸に、回想シーンとして、いろいろな事実が提示されていき、スリリングに話が進行してまいります。
結論から言ってしまいますので、未見の方はご了承を。
裁判の判決は、女の「緊急避難」が認められ、無罪。
しかし、この映画の最大の見所は、この裁判で決着がついた後にありました。
晴れて無罪になり、愛人との新生活に気をはやらせていた妻ですが、結局、この愛人に別れを告げられ、精神的に異常をきたし(少なくとも、僕にはそう見えました)、ストーカーに変貌するくだり。
雨でずぶぬれのまま、男の会社に押しかけるシーンの若尾文子の演技には、鬼気迫るものがありました。
この場面だけ切り取れば、それだけで、立派にホラー映画としても通用しそうな「怖い」シーンになっておりました。
女の「弱さ」「情念」「狂気」を見事に表現した、若尾文子の演技は圧巻。
彼女は、このシーンを演じたことで、単なる美人女優から、「演技派大女優」の道のスタートラインに立ちました。自分のキャリアを、確実にステップアップさせたといっていいでしょう。時に彼女28歳。
愛人に捨てられた女は、男の会社で、そのまま、青酸カリを飲んで自殺してしまいます。
ラスト、男の婚約者であった馬渕晴子が、男に向かってこう言い放ちます。
「奥さんを殺したのはあなたよ。奥さんが人殺しなら、あなただって人殺しよ。」
コメント