会社の資料棚を整理していたんですね。
出てきたのは、今から3年前の「エコドライブ」に関する資料。
我が社は、運送会社ですから、この手の資料は、整理すれば、あちらこちらから出てきます。
さて、それでは、この資料をどうするか。
そこらに、ホイと置いてしまえば、また埋もれてしまって、また日の目を見るのは、何年か先でしょう。
かといって、このためにわざわざ、ファイル新調して、ラベリングするほどの資料でもない。
つまり、必要であれば、最新版がいつでも手に入るからです。
しっかりと7秒ほど考えて、この資料は捨てることにしました。
おそらく、今の若者たちであれば、この手の資料を捨てるのに、僕ほどの躊躇はしないのでしょう。
つい、昨日まで読んでいた本に、こんな一節がありました。
読んでいた本は、梅田望夫と平野啓一郎の共著「ウェブ人間論」。
書かれていたのは一節は以下の通り。
「情報は流しそうめん。そうめんは、ずっと流れているんだから、ちょっと食べたいなと思ったときにとればいい。それ以外は流れていくままに放置して、どんどん捨てていく。」
僕たち現代人は、人類史上かつてないほど、「情報」に恵まれた時代に生きています。
情報は、いまや最新のものを、必要なときにリアルタイムでピックアップするのが常識。
つまり、「流しそうめん」型情報処理が、今の若者たちにとってはあたりまえになっているということです。
情報を、流れるままに眺め、欲しいと思ったときに取り、それ以外は躊躇せずに捨てていくという処理感覚ですね。
「せっかくとっておいた資料だ。なんかのときに使える」
こんな貧乏根性丸出しで、「もったいない」「ぜいたく」なんていう旧世代のモラルを持ち出しては、このインターネット情報時代では、使えない情報の山の中で右往左往ということになりかねません。
「情報の質」を判断できる能力が、これからのネット時代には不可欠です。
そして、この能力さえ身につけていれば、情報は必要なときに、こちらからのタイミングで、拾いに行けばいいという話しですね。
つまり、自分が必要なときに、自分の一番必要とする情報を、どうやって、このネットの海からすくい上げるか。
この能力があるかないかが、これからの「教養」の有り様に大きくかかわっていくということでしょう。
どんなに、使えそうな情報でも、こちらにその必要性がないタイミングで現れたら、これは躊躇せずに切り捨てる。
どんなに上質の情報でも、その情報を使うか使わないかは、あくまでもこちら側の都合でいい。
これだけの情報が、清濁混合ではありますが、ネットの世界には、溢れています。
これからの時代は、情報を選ぶセンスと同時に、捨てる、もしくは、選択しないというセンスも、おおいに必要になってきそうですね。
ご存知の通り、Google の検索結果には、好むと好まざるとにかかわらず、すべて広告がついてきます。
情報は、こちらが望まなくても、いつでも向こうの都合でやってくる時代。
来たものになんでもホイホイ飛びついていると、情報を利用するはずの我々が、情報に振り回されるなんてことになりかねません。
いらないものはいらない。どんなに、上質な情報でも、とりあえず今の自分に必要なければ、シカト。もしくはゴミ箱へポイ。
これを贅沢というなかれ。
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