例えばの話ですので、めくじらをたてずに聞いてください。
ペットのチワワを洗ったので毛を乾かすために、電子レンジの中へ入れてスイッチを入れたとしましょう。
当然,チワワは即死です。さて、この場合、PL法に基づいて、電子レンジを製造したメーカーに対し損害賠償を請求できるでしょうか。
さてお次、これも例えばの話。
酔っ払って車を運転して電柱にぶつかり、運転者が大怪我をしました。
さてこの場合、酔っぱらいの運転者は車を製造したメーカーに対し損害賠償を請求できるでしょうか。
ついでに、もういっちょいきましょうか。
熱いコーヒーを販売したとしましょう。ところが、買った人が、自分の不注意で、コーヒーを膝
の上にこぼしたため火傷をしました。
さてこの場合、コーヒーの販売者に対し損害賠償を請求できるでしょうか。
さて以上の3件、回答はいかに。
その回答は、こんな具合になりましょうか。
これがアメリカならば、3つの例はすべてイエス。
当然ながら、日本ならば、常識的にノーでしょうね。
アメリカは、ご存知の通り、起訴社会です。
では、日本との裁判の違いは、どこにあるか。
決定的に違うのは、アメリカは陪審員による裁判であり,日本は裁判官による裁判であるからということになります。
陪審員制度は、ご存知の通り、選出された民間人が、合議で有罪無罪を決定する制度。
民主主義のお手本国、アメリカだからこそ根付いた制度といってもいいでしょう。
日本も、もちろん民主主義の国です。しかし、日本の場合は、裁定をするのは裁判官。
民間人ではありません。
いってみれば、訓練されたプロフェッショナルのジャッジということになります。
さて、陪審員制度か、裁判官制度か。
どちらの裁判制度がいいとか悪いとか、そのあたりは、到底一元論では語れないところでしょうから置いておきます。
訓練された裁判官ではなく、一般市民の合議で判決が行われるようになれば、裁判はいったいどうなるか。
裁判で勝つためには、検事側も、弁護側も、小難しい法律論など持ち出さずに、もっと浪花節的に、陪審員の心情に訴えるような主張を繰り広げるようになるのではないか。
なにせ判決をするのは、小難しい理屈はとうてい理解していない民間のオジチャン、オバチャンたちです。
下手をすれば、被告の顔つき、好き嫌い、心証などで、判決は大いに左右されることになりはしないか。
日本の優秀な裁判官たちは、裁判に入る前には、調書などによる公式なデータ以外は、その事件に対する情報を一切目や耳に入れないといいます。
マスコミの報道には、意識して触れないようにするそうです。
そうすることで、自分の意識に、その事件に対する「思い込み」や「刷り込み」がされないように配慮するわけです。
人一人の命を左右する判決です。裁判官たちは、慎重かつ冷静に裁判と対峙します。
いってみれば、アメリカの裁判は、一般人に開かれた裁判といえましょう。
しかし、日本の裁判は、偉い人が、考えに考えて決める裁判。
ですから、不謹慎を承知で言わせてえば、日本の裁判は、ある意味で、理屈っぽくてつまらない。
そこへいくと、アメリカの裁判は、エンターテイメントにもなりえるわけです。
それが証拠に、日本人の感覚からするとびっくりしてしまうのですが、アメリカでは、ビックな事件の裁判中継が、テレビであたりまえに放送され、それなりの視聴率をとります。
つまり、裁判自体が、そこそこの視聴率を獲得できる「ショー」として成立するわけです。
わかりやすい例をあげましょう。
最近、例のシンプソン事件について、アメリカでは無罪判決が出ました。
あれだけの状況証拠と動機がありながら、彼は法律では罰せられないという結果になりました。
日本のマスコミは、一斉にこの判決の不当性を批判しました。
同時に、アメリカの陪審制も批判しました。
しかし、アメリカのマスコミは、必ずしも、この判決を不当判決として、大々的に報道はしません。
この裁判が日本で行われたとしたら、シンプソンが無罪になる可能性は殆ど皆無といっていいでしょう。
彼が、数億円の弁護士報酬を支払わなかったら,シンプソンは無罪になることはなかった。
シンクプソンが。「無罪」をお金で買ったことは明白。
しかし、アメリカという国は、良くも悪くも、この事実を認めてしまう国なんですね。
だからこそ、実際の裁判が、「ショー」として成立するわけです。
さて、映画のお話。
『シカゴ』 は2002年公開のアメリカ映画。
監督はロブ・マーシャルで、脚本はビル・コンドン。
メインキャストはレニー・ゼルウィガー、リチャード・ギア、そしてキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。
僕としては、実に久しぶりに見たミュージカル映画でした。
この作品は、第75回アカデミー賞並びに第60回ゴールデングローブ賞の作品賞を受賞。
ミュージカル映画はヒットしないというジンクスを、見事にひっくり返した小気味のいい作品です。
愛人をビストルで殺害した踊り子が、演技力抜群の弁護士と組んで、無罪を勝ち取り、それを「売り」にして、ショービジネス界でしたたかに生き残ってゆく。
本来であれば、厳粛でなければならない裁判というセレモニーを、あろうことか、ミュージカルというコテコテのエンターテイメントに仕立ててしまった映画が、なんとアカデミー賞を獲得する。
そんな国なんですね。アメリカという国は。
さあ、そんなアメリカに倣った「陪審員制度」が、いよいよ日本でも、2009年5月から、実施されます。
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