最近は、DVDレンタルをほとんどやめて、もっぱら、BS2や、WOWOWで録画した映画をみております。
当然ながら、けっこうシブイ映画を見る機会が多くなっておりますね。
そんな中で、見た一本。
これは、本名ロバート・アレン・ジマーマンという、アメリカのシンガーソングライターのドキュメンタリー映画です。
監督したのは、マーチン・スコセッジ。
「ラスト・ワルツ」で、ザ・バンドの解散コンサートを映画化した彼が、この方を取り上げたのは当然といえば当然かもしれません。
この方、1941年生まれといいますから、今年で68歳。
しかし、僕の印象では、「あれ、まだけっこう若いんだ」というかんじです。
彼は、1960年代のはじめ、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでフォーク・シンガーとしてデビュー。
ときあたかも、反戦運動や公民権運動が盛り上がる時代の「風に吹かれて」、「戦争の親玉」に直球でケンカを売りながら、彼はその独特の「しゃがれ声」と、生ギター一本でプロテスト・ソングを歌うカリスマとして祭り上げられるようになります。
しかし、そのスタイルが絶頂を極めていた1965年、彼は突如フォーク・ギターを、エレクトリックギターを持ちかえ、ステージに登場。
彼は熱心なファンから激しい反発を浴びます。
この事件は、もちろんロックシーンの「伝説」としては、伝え聞いてはおりましたが、実際の映像として見たのは今回がはじめて。
やはり、彼が、オーディエンスから、「ユダ!」(裏切り者!)という罵声とブーイングを浴びせかけられながら、「LIKE A ROLLING STONE」を歌う姿は圧巻。
映画は、当時の時代背景を盛り込みながら、彼のルーツにも肉迫します。
ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、オデッタ、などなど。
彼は、彼らの人生や歌から、多くのテイストを吸収し、路上での弾き語りやカフェでの演奏、そこに集まる人々との深い交友の中で独自のスタイルを作り上げていきます。
そして盟友ジョーン・バエズとの出会い。
この映画での、彼女のインタビューは、「アーティスト」としての彼女と、「女」としての彼女が微妙に交錯する興味深い内容でした。
60年代のアメリカは、キューバ危機、ベトナム戦争、ケネディ暗殺、キング牧師の平和行進など激動の時代。
人々の様々な声をエネルギーにして変貌しようとするアメリカ社会が、この映画の背景にはあります。
そして、この時代の「代弁者」として担ぎ上げられたてしまった彼は、ステージ上では、その歌の中に、裸の自分自身を、これでもかとさらけ出しながら、オフステージでは、マスコミたちの「突っ込み」に対して、かたくなに自分を守ろうとします。
マスコミたちのインタビューを「のらりくらり」とかわす彼の姿は、印象的。
彼は、おそらく心の中で、こうつぶやいていたのでしょう。
「俺は、絶対におまえたちの、お望みどおりにはならないぞ」
彼のマスコミへの姿勢は、同時代のスーパースター「ビートルズ」の面々にも、明らかに影響を与えていますね。
それにしても、監督マーティン・スコセッシのアメリカの音楽への愛と造詣の深さにはひたすら感服。
この映画の主人公と、ほぼ同世代であるの彼にとって、この映画の素材整理と構成は、まさに、映画監督として生きてきた自らのキャリアを見つめなおす機会になっていたことは、想像にかたくありません。
この映画のタイトルは、「ノー・ディレクション・ホーム」。
言うまでもなく、ロック史上の不滅の金字塔となった名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞の一説です。
How does it feel?
どんな気がする?
How does it feel?
どんな気がする?
To be on your own,
ひとりぼっちで
with no direction home
かえりみちのないことは
A complete unknown,
ぜんぜん知られぬ
like a rolling stone
ころがる石のように
彼の名前は、ボブ・ディラン。
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