久しぶりに、養老翁の本を読みました。
今回は、第一章の「石油と文明」以外はみんな、ワンタイトル2ペーシ程度のショートコラム。
内容的には、今までの、彼の「言い分」を、この7年間の時事問題に絡めて、さらに簡潔にズバリと言い放っておりますね。
「言葉や情報をまるまる信用しないで、もっと物事の本質を考えよ。」
彼の言う「読まない力」というのは、そういうことのようです。
まあ、彼くらいの「脳」であれば、僕のように、ネットから拾ってきた情報を拝借してあれこれ推敲しなくとも、そのウラに隠された「真実」にまで、自分の思考のみで言及できるのでしょうが、残念ながら、こちらはなかなかそうはいかない。
従って、こういう本をひたすら読んで、「うん、なるほど」と感化されるしかないわけです。
そこへいくと、養老先生の著書などは、「物言い」が非常に単純明快で、「小気味いい」。
僕のような、単細胞は、いとも簡単に感化されてしまいますね。
まあ、そういうことを、本書は「よろしくない」といっているわけですから、僕としては痛しかゆし。
環境問題も、たびたびネタとして、取り上げられていますが、養老先生は、これをエントロピーの法則でくくります。
つまり、人間様が考える世の中の「秩序化」(いいかえれば「都市化」)は、どこかで、それと同量の「無秩序」も生み出しているということ。
この「無秩序」が、すなわち環境問題の本質。
だから、たとえ石油に代わる代替エネルギーがあったとしても、この法則で考えれば、同じことだといってますね。
人間の「脳」は、ひたすら「秩序化」を求めますが、実は、僕らを取り巻く「自然環境」というものは、都市化とは正反対に、限りなく「無秩序」な存在です。
つまり、我々は、我々を取り巻く「自然」については、何がどうなるかなんて予想すらできない。
これだけ、人間が、自然の法則を解き明かしたとしても、人間は、「天気予報」くらいは出来ても、いまだに災害を予測できません。
人間は、ロボットを作れるかもしれませんが、命のあるものについては、「蚊」一匹作ることは出来ない。
この文明の発達で、我々は、自然を自由にコントロールしてきたような、錯覚を持ってしまっていますが、それはとんだ驕り。
実は我々の未来における存在のキャスティングボードは、「自然」の方に握られたままだということです。
そして、養老先生は、教育問題もこの延長で考えます。
つまり、子供というものもまた、実は「自然」なんだよということ。
ですから、子供をなんとか、大人の都合にあわせてコントロールしようと思っても、そうはいかない。
養老先生も、すでに72歳。
本人の弁を借りれば、「後がないから、怖いものもない」
言いたいことは、すべていっておこうということでしょうか。
「文句があれば、私の墓石にいってくれ」みたいなノリですね。
この本、養老先生の、「遺言状」なんていってしまうと、怒られそうでかな。
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