1955年にヒットした我が国の流行歌に「カスバの女」というのがあります。
歌ったのは、エト邦枝という歌手ですが、僕はこの人を知りません。
僕が覚えているのは、演歌歌手・藤圭子(宇多田ヒカルのおっかさん)や、梶芽衣子が歌ったバージョン。
この歌の中には、こんなフレーズがあります。
♪
ここは地の果てアルジェリア
小樽だ、伊勢佐木町だ、長崎だと、演歌といえばご当地ソングが多い中で、アルジェリアという地名は強烈なインパクトがありました。
作詞をしたのは、大高ひさを。
この人は、この曲の作詞をするのに、映画「望郷」から着想を得たといっています。
歌詞に「外人部隊」なんてのも出てきますから、本作よりも前にヒットしていたゲーリー・クーパーとマレーネ・デートリッヒの「モロッコ」あたりもイメージにはあったかもしれません。
とにかく、カスバというエキゾチックな街が、アルジェリアという国にあったということだけは、この曲のおかげで頭にはずっとインプットされていました。
但し、アルジェリアという国が、かつては城塞都市であったこと。
19世紀にはフランスの支配を受け、キリスト教会への転用やヨーロッパの都市整備の影響を受けたこと。
そしてその中心都市カスバには、迷路のような地や密集した家屋、テラス、中庭といったカスバ固有の景観とアラブ・復興文化が残り続け、「地の果て」や「魔窟」と呼ばれていたこと。
こういった本作のバックグラウンドを知るのは、もちろん、もっとずっと後のことになります。
・・などと偉そうなことを申しましたが、なんと、この「望郷」をまだ見ていないことにハタと気がつきました。
あの有名なラストシーンは、何度も見ているし、映画の筋も語れるのですが、そのビジュアルがまるで浮かびません。浮かぶのは、ラストシーンだけ。
どうやら、傑作としての映画知識の方が先行していて、肝心の映画を見ていないんですね。
こういう映画が。結構あるんです。見た気になっているというやつ。
危ない、危ない。
どうやら、ラストシーンだけ覚えていたのは、名作映画紹介番組の記憶だったよううです。
昭和の時代には、最新映画と同時に、オールタイムの傑作映画を紹介するようなテレビ番組が結構ありました。
1970年代は、まだテレビ録画は出来ませんでしたから、映画マニアとしては、カセット・テープレコーダーに録音して、映画鑑賞の参考にしたものです。
今はこのニーズに対する供給は様変わりして、テレビに代わって、YouTube動画がこの任務を引き継いでいますね。
そんなわけで、僕らよりも一回りも二回りも上の世代が、男の感涙にむせんだ名作を、やっと鑑賞させていただきました。
映画ミーハーだった、我が父親が、ペペ・ル・モコのファッションに身を包んで、気取って取った写真があったのを思い出します。
さて、フランスの代表的映画「望郷」です。
詩情と宿命が織りなす、フランス映画の不朽の名作。
「望郷」とくれば、こんなキャッチコピーがすぐに浮かびます。
フランス映画の金字塔的な傑作ですが、世界中のどの国よりも、フランス人自身が、本作の主人公ペペ・ル・モコ(これが映画の原題)を愛してやまないことは、おそらく今も変わらないでしょう。
1937年に公開されたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『望郷』(原題:Pépé le Moko)は、単なるギャング映画の枠を超え、詩的リアリズムの頂点としてフランス映画史に燦然と輝く傑作になりました。
主人公ペペ・ル・モコが抱く故郷パリへの絶望的な憧れと、異郷の地で燃え上がる恋、そして逃れられない運命の悲劇を、重厚かつ叙情的に描き出しています。
メロドラマの主人公といえば、美人女優というのが定番でしょうが、本作は男のメロドラマ。
これ、実はジャン・ギャバンだから映画になります。
フランスには、アラン・ドロンやジェラール・フィリップといった二枚目俳優がいますが、彼らがこれをやると、おそらく嫌味になるでしょうね。
しいて許されるならば、ジャン=ポール・ベルモンドでしょうか。
妙齢の美女よりも、熟女がお好きなフランス人気質は承知していますが、男優趣味も、キラキラの二枚目よりは、イモ臭いゴツゴツしたタイプがお好きなようです。
ジャン・ギャバンとジャン=ポール・ベルモンドを並べて気がつきましたが、もしかしたら、ポイントは大きな鼻かもしれません。
物語の舞台は、フランス植民地時代のアルジェリア。
その旧市街「カスバ」は、迷路のように入り組んだ路地と密集した家々が作る、神秘的かつ閉鎖的な空間です。
指名手配中の犯罪者ペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)は、このカスバに身を隠し、その中では王のように君臨していました。
しかし、警察の手が及ばない安全な隠れ家であると同時に、決して外へは出られない「牢獄」でもあり、彼は長引く潜伏生活に郷愁と閉塞感を募らせていました。
そんな彼の前に、パリから来た美しい女性ギャビー(ミレーユ・バラン)が現れます。
洗練された都会の香りを漂わせる彼女との出会いは、ペペの心に眠っていた望郷の念を激しく燃え上がらせます。ギャビーもまた、退屈な日常から逃れてきた身。
この人、映画の中では、初老の金持ちに囲われている愛人という設定でした。
危険な魅力を持つペペとカスバの非日常に惹かれ、二人は宿命的な恋に落ちます。
この恋が、ペペを破滅へと導く引き金となるわけです。
本作でジャン・ギャバンの名は世界的なものとなりました。
彼が演じるペペは、犯罪者でありながら人間的な弱さや義理人情を併せ持つ、魅力的なアンチヒーローです。
その寡黙で実直、しかし内に情熱を秘めた姿は、当時のフランス国民の心を掴み、「理想の男」と称されました。
プライベートでも気さくで誠実な人柄だったと伝えられるギャバンの人間性が、ペペというキャラクターに深い奥行きを与えています。
とにかくこの人ほど、フランス人に愛された俳優はいません。
日本では、圧倒的にアラン・ドロンでしたが。
ペペを破滅に導く運命の女ギャビーを演じたミレーユ・バランは、抑制の効いた演技と神秘的な美貌で、当時のフランス映画界を象徴する存在でした。
憂いを帯びた表情や繊細な仕草で、セリフ以上に登場人物の心情を表現する彼女のスタイルは、詩的リアリズムの精神を体現しています。
とにかく、その外連味あふれるクローズ・アップの多用は、この美女から「巴里の匂い」をたっぷりと引き出しています。
AI なよれば、この人は、第二次世界大戦でのスキャンダル(ドイツ人将校との恋愛)により、映画界から干され不遇の晩年を送ったとのこと。
その美しさゆえに、悲劇性が際立ちます。
本作を手がけたジュリアン・デュヴィヴィエは、フランスの映画監督・脚本家・俳優であり、古典フランス映画の『ビッグ5』(フェデー、ルノワール、クレール、カルネと並ぶ)として知られています。
人間の逃れられない運命や社会の非情さを描く「ペシミズム(厭世主義)」を特徴とする監督で、緻密な構成と重厚な演出で、登場人物が宿命に翻弄される悲劇を詩情豊かに描き出しました。
本作の「カスバ」は、実はパリ郊外のスタジオに作られた巨大なセットです。
ちょっとビックリですが、美術監督ジャック・クラウスは、迷宮都市の混沌と閉塞感を見事にセットで再現しました。
デュヴィヴィエ監督は、俯瞰ショットや陰影を強調した照明を巧みに使い、カスバを単なる背景ではなく、ペペの心理状態を映し出す「もう一人の主人公」として描き切りました。
この息詰まるような空間演出が、物語の悲劇性をより一層高めています。
この名作が、映画史に残した影響は計り知れません。これは映画界の常識。
まずは、本作が後のフィルム・ノワールの原型になったこと。
本作で描かれた「逃れられない運命に囚われたアンチヒーロー」「閉塞感のある都市」「陰影の強い映像美」といった要素は、後のアメリカ映画のフィルム・ノワールに決定的な影響を与えました。
本作は、ハリウッドでも『アルジェの女』(1938年)というタイトルでリメイクされています。
しかし、なんといっても、あの不朽の名作『カサブランカ』(1942年)のプロットにも多大な影響を与えたていることは特筆に値します。
ハンフリー・ボガードが演じたリックは、本作のペペ・ル・モコのキャラクター設定をかなり意識したものになっていることは明らか。
『望郷』は、一人の男の悲恋と望郷の念を描いた物語でありながら、そのテーマやスタイルは国境と時代を超え、今なお多くの映画に影響を与え続けているわけです。
バルザック、ゾラ、フローベールといった19世紀フランス文学を牽引したこれらの作家たちは、社会の現実をありのままに描く「写実主義」「自然主義」を追求しました。
彼らが描いたのは、美しい理想像ではなく、欲望、苦悩、矛盾、社会的制約に縛られた「等身大の人間」でした。
この文学的伝統は、演劇やその後に発展した映画にも色濃く受け継がれました。
俳優に求められたのは、理想化された姿ではなく、複雑な人間性を深く掘り下げて表現すること。
ジャン・ギャバンが演じるアンチヒーローは、まさにこの系譜に位置するということでしょう。
この人が、今も尚フランス人から愛される由縁です。