自治会と管理組合
我が住まいは、全棟33棟からなる巨大マンションタウンです。
しかし、マンションとはいっても、ほとんど「団地」のノリで、どの棟も築20年はたっており、かなりガタはきております。
世帯数約1400。
今年は、この街の自治会と、管理組合の両方の役員をやることになってしまいました。
任期は1年。
もちろん、手を上げたわけではありません。
基本的には、各棟で順番に回ってくるのですが、これが今回に限ってはダブルで回ってきてしまい、しかも双方とも「厳正なる」クジ引きの結果、ダブルで当選。
棟代表になってしまうという異様なクジ運の悪さ。
もう笑うしかありません。
基本的には、誰もそんな面倒くさいことやりたくないという世帯がほとんどですから、どちらかでも代わってもらえませんでしょうかという希望も軽く却下。
そして、おそるおそるその役員会議に出席したところ、予想通り、その9割が主婦たち。
いやな予感はしましたが、なにせ独り者。
妻を代わりに出席させるということが出来ません。
会長は、元気なご老人ですが、今年から後期高齢者という方。
「副会長は、出来れば、男性の方が・・」
役員会議での会長のこの一言。
それをいってくれるなという感じでしたが、これが、決定的でした。
なにせ、その会場に、男性は数えるほどしかいません。
あれよあれよというまに、背中を押されて、自治会の副会長のご任命。
これが、管理組合でも、同じことになったらたまらないと、こちらは、パソコンのスキルを盾に、なんとか広報委員ということにしてもらいました。
いい年をして、独り者でルンルンしてきたツケが、こんなところで回ってきたかという感じですね。
というわけで、今年は、我が人生で一番、「地域社会」と関わることになる一年間を送ることと、あいなりました。
まあ、ここで一気に二つともやってしまえば、今後10年は、順番は回ってきません。
しゃあない。ここは、腹を決めて、せっかくなら「楽しもう」というわけです。
しかし、始まって見ると、さあ大変。
次から次へと、イベントだの、行事だのが目白押し。
自主防災。自主防犯。大規模修繕。ふれあいフェスタ・・・・
週末は、ほとんどこれでスケジュールが埋まってしまいそうです。
実は、僕はちょうど10年前に、自治会の役員をやった経験があります。
そのときの担当も広報。
この時の、役員たちは、1年間の活動の後も、なかなか仲間意識が強く、当時の会長も含む有志でOB会を結成。
年に一回は、旅行にいったりしております。
とまあ、こんな地域活動への関わりを友人に話すと、一応にみんなビックリしますね。
「おまえさんが、自治会?」
確かに、言われてみればそのとおり。
まあ、自慢じゃありませんが、マイペースで「趣味中心」の人生をやってまいりましたので、地域社会との関わりなんていう面倒くさい選択は、なにがなんでも「拒否」。
隣近所のオジサンオバサンたちと、やれゴミがどうとか、やれ不法駐車がどうだとかなんて活動をやるなんて信じられない。
周囲もそう思っていただろうし、もちろん僕もそう思っていました。
確かに、サラリーマンの独り者ですから、本気で断れば、どちらかは、変わってもらえたかもしれません。
しかし、あえて、今年は、それはしませんでした。
なんで、「自分中心」の人生を送ってきた僕が、「めぐり合わせ」とはいえ、ココにきて、地域社会と、かかわってみようかなと思ったのか。
これは、たぶん我がオヤジの影響ですね。
僕のオヤジは、2003年になくなっています。
脳梗塞で倒れて以来、晩年6年は、きっちり介護老人として、病院のお世話になりました。
母は、その前に亡くなっておりましたので、彼の終の棲家は、最終的には病院。
僕は3人の男兄弟の長男ですが、仕事にかこつけて、なかなか見舞いにも行かない「親不孝」な長男でした。
しかし、その事情は、下の弟たちも一緒。
まあ、嫁たちが、変わりに顔を出してくれて、なんとかかっこだけはついたという感じでした。
しかし、ある日、病院に見舞いにいって、僕はビックリする光景を目撃します。
なんと、我が父が、看護士さんたちの休憩所にお邪魔して、彼女たちと一緒に、仲良く煙草を吸っているんですね。
聞けば、これがほぼ毎日とのこと。
もちろん、父は、僕の顔を見ると、さっと二本の指を口元に持ってきて、「煙草」のサインをします。
もちろん、こちらもそのつもりで来ていますので、そのときは、彼を車椅子に乗せて、ロビーの喫煙スペースに連れて行きます。
体が自由に動かなくなってしまった父の、残りの人生の楽しみは、「煙草を吸うこと」と「食べること」。
そして、その「楽しみ」を獲得するために、今の自分の置かれた状況では、どうすることがベストか。
彼はここで、この親不孝な息子たちに頼ろうとはしませんでした。
とにかく、息子の自分が見ていて、恥ずかしいくらい、病院での彼は、看護師さんたちに「愛嬌」をふりまきます。
つまり、彼は、自分の日常である病院の中で、看護士さんとの「地域社会」を作り上げて、自分の楽しみを確保しようとしたわけです。
ね。
ろくすっぽ見舞いにも行かない長男としては、20歳そこそこの可愛い看護士さんに、愛想をふりまく父に、みっともないだのどうのという資格なんぞあるはずがありません。
昔から、「遠くの親戚よりも、近くの他人」といいます。
とにかく、どんな状況でも、自分が置かれた日常の中で、自分の周囲にいる人たちと上手にやっていく。
たとえ脳梗塞で、要介護となってしまっても、このスキルが、父にはあったように思われます。
これは、先生にも言われたことですが、父はあまりリハビリには積極的でなかった。
通常、「家に帰りたい」人ほど、一生懸命にリハビリをするものだそうです。
しかし、父のリハビリは、息子の僕が見ていても、あきれるくらい、ダレていました。
看護士さんたちが、声をかけてくれているときは、一生懸命やるポーズはします。
しかし、目が離れると、とたんにダレます。
今思えば、父には、家に帰ろうという気などサラサラなかった。
自分の残りの人生、親不孝な息子たちに面倒見てもらうよりは、看護士さんたちに面倒見てもらうほうが、はるかに快適。
きっと彼は、そう計算したように思われます。
時には、確信犯で、ボケたふりもされましたが、僕は、父の頭は、死ぬ瞬間まで、クリアだったと信じています。
最後まで、父の面倒を見てくれた病院に、僕は今でも感謝の気持ちで一杯ですが、たぶん、そうさせてくれたるために、一番努力をしたのは、父本人です。
とにかく、看護士さんたちのウケは、異常にいい入院患者でしたね。
父の最後の日、息を引き取った父のベッドの前に、当日そのフロアにいた看護士さんたちが、次々にやってきて、父の病院でのニックネームを呼びながら、泣いてくれた図は、僕にはかなり強烈でした。
僕は、現在の、このマンションに引っ越してきて、およそ15年になります。
しかし、最初の5年は、ほぼ隣近所の人と言葉を交わしたことは皆無。
正直言って、自治会や、管理組合の通知も、確信犯でシカト。
しかし、さすがにずっとそうもしていられないと、やっと重い腰を上げて、10年前にやった自治会活動の一年で、何人かの顔見知りが出来ました。
そして、実は今年は、その10年前の顔見知りのオバチャンたちの何人かに、背中を押されてしまっての「副会長」というのがホントのところ。
まあいいでしょう。
いまや、このオバチャンたちとの「地域社会」は、年に1度か2度しか、顔を合わすこともなくなってしまった弟たちよりも、僕にとっては身近であることは確か。
本日は、我がマンションタウン全戸を対象とした、大規模修繕の説明会でした。
これから、およそ半年かけて、全33棟すべての外壁の塗りなおしと、防水工事を行うというビッグプロジェクト。
ふと気が付けば、こんな場では、その行き帰りや、会場の中で、僕を見つけた何人かのオバチャンたちに、気軽に声をかけられるようになりました。
若かりし頃の僕は、自慢じゃありませんが、近所の住人と、挨拶を交わすなんてことは、まさにウザッたいの一言。
頼むから、放っておいてくれといわんばかりのノリの、愛想の悪い住人でした。
それが年はとってみるもの。
それがいつのまにやら、そんな挨拶が、心地よくさえなって、声をかけられたオバチャンにギャグのひとつも交わしている自分に気が付いたのが、ごくごく最近です。
そんなとき、僕の脳裏には、看護師さんに名前を呼ばれて、「ハーイ」と元気よく返事をしながら、Vサインを送っていた、父の顔が浮かんでいますね。
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