顰蹙を覚悟で申しますが、「浮気」というやつは、基本的に、人間という生き物のDNAには、刷り込まれている性質だと考えています。
でも、これを野放しにしておくと、人間の形成する社会が立ち行かなくなる恐れがあるので、神代の昔から、ご先祖様たちは、生物界一のその優秀な頭脳で、「モラル」というものを、こしらえて、これを規制するようにしていったんだと思ってます。
「浮気の虫」という本能と格闘しているのは、実は人間の社会を維持しようという「理性」なんですね。
「浮気」や「不倫」というやつを、病原菌だと考えてみたらどうでしょう。
この病原菌に犯され、そして発病したら、誰もが「不機嫌な果実」になり、「失楽園」に迷い込んでしまうと考えて下さい。
では、この病原菌に犯されないためには、どうすればいいでしょう。
病原菌から、身を守るために人間が考え出した知恵は「予防接種」でした。
弱らせた病原菌を体内に注射することで、免疫系の準備を整えることにより、伝染病への防護を人為的に行うこと。
これにより、その病原菌に襲われたときに、これに対する抵抗力が出来ているという訳です。
これとて、致命傷にならない程度の「量」であるなら、むしろ、いざというときに「夫婦の絆」をタフに結び付ける「予防接種」の役目を果たすこともあるんではないかという気がするんですが、いかがでしょう。
予防「チュウシャ」です。(ちと過激かな)
でも、一生一直線で続く愛情は、残念ながらないだろうなあ。
とにかく、浮気だ、不倫だのと、すったもんだしながらも、最終的に、別れないでいられれば、僕としては、よくやった二人だと思ってあげられますね。
どなた様も、男と女でいる以上、みんな「浮気の虫」と戦っていると思いますよ。
それが、行動になるかならないかに、個人差があるだけです。
「浮気の虫」と、対極にある言葉は、「嫉妬」でしょうか。
でも「嫉妬」なんていうやつを、愛情のカタチとすりかえるのはやめましょう。
嫉妬を愛情のカタチなんて思っていたら大間違いです。
あれだって、「浮気の虫」に近いくらいの、病原菌だろうなあ。
だって、愛情を語るときに、エゴがはいってきたら、ウソですよ。
「浮気の虫」がムクムクするというのは、まだまだ、あなたが、男であり、女であるなによりの証拠。仕方のないことです。
でも、その「浮気の虫」の命ずるままに、浮気に走って、新しい相手にどんどん乗り換えても、またいずれは「浮気の虫」は登場します。
だから、そこから先は「理性」の問題というわけです。
今あなたが「浮気」しようかどうか葛藤しているのなら、是非とも、あなたの相方が、これからこうやって永遠に続く、「浮気の虫」のムクムクと戦うのに値する相手なのかどうか、しっかりと「理性」でもって、検証して下さいませ。
何十年たって、ひからびて、シワクチャのジジババになっても、一緒にいられる相手かどうか、ちゃんとイメージして下さいませ。
これを、今現在の「愛情」とやらだけで、検証してしまいますと、たぶん間違いますよ。
極端なことをいえば、「愛情」というやつが、なくなったとしても、一緒にいられる相手かどうか見極めること。これが大事です。
そして、この「検証」をするときには、今ある愛情というヤツは、とりあえず一度横においておきましょう。
それがあると、おそらく、正確なジャッジが出来なくなります。
難しいですよ。本能ではなくて、理性で考えるんですから。
でも、これが大事です。
そして、そんなこんなで、とにもかくにも一度決めたならば、後は一生かけて、自分の「理性」でもって、戦って下さいませ。
「浮気の虫」との大戦争ですね。
大変なことですが、これは、生物界広しといえども、人間様以外にはちょっと出来ない芸当です。
おそらく、そうは決めても、自分の相方よりも、「よくみえる」浮気の相手は、これから先も、たくさんいるはずです。
そう簡単に勝てる「戦争」ではないでしょうね。
時には、自分の理性に勝てずに、フラフラしてしまうこともあるかもしれません。
似たようなものなのに、自分の相方が「鬼」に見えて、浮気の相手が「天使」に見えることだってあるかもしれない。
でも、その誘惑に負けずに、人生を添い遂げたとしましょう。
そして、何十年か先に、陽の当たる午後の縁側で、今の相方と、仲良く日向ぼっこができたら、最終的には、「浮気の虫」と戦ってきた意味があったんだろうと、僕は思いますね。
途中で、多少の脱線があったとしても、それはもう結果オーライです。
てなわけで結論。
浮気は・・・
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