衛星映画劇場の撮りダメで、小津安二郎作品をみています。
本日は、「秋日和」
1960年の作品です。
注目すべきは、1949年の「晩春」以来、長年、多くの小津作品で娘役をつとめてきた原節子が、本作では、初めて母親役を演じたこと。
娘役は、司葉子。
というわけで、やはり、気になってしまうのは、このときの原節子の年齢。
原節子は、1920年生まれですから、この映画撮影当時で、ちょうど40歳。
映画の設定では、20歳で結婚して、24歳の娘がいることになってますから、まあ年齢として45歳から50歳のあいだでしょうか。
まあ、あの当時で、こんなにきれいな40代後半のおっかさんがいるかという話ですが、映画ですから、そんなやぼなことはいいますまい。
まあ、彼女にしてみれば、老け役への挑戦です。
ちなみに、原節子は、この後、2本の映画に出演した後で、ファンに、老醜をさらすことを潔しとせず、42歳でササッと引退してしまいます。
かっこいいといえばかっこいい。
「和製グレタ・ガルボ」といわれる由縁ですな。
ローアングルでカメラを固定して切り返す独特の小津タッチや、場面のアクセントとして、頻繁に風景カットの挿入されるスタイルは、ほぼ完成形。
映画のテーマは、嫁ぐ娘と、その周囲のすったもんだが扱われているわけですが、本作では、いままでの「父と娘」というテーマではなく、「母と娘」の話に置き換わっているのところがミソ。
まあ、そのあたりを、「晩春」あたりと比較してみたらおもしろいかもしれません。
映画のラストは、娘を嫁がせた後で、自宅に戻り、娘との思い出を走馬灯のようにめぐらせながら、しみじみとするという定番のシーンになりますが、ちょっとこのシーンを比べてみましょうか。
まず、「晩春」の嫁ぐ娘のはこちら。
「秋日和」ではこちら。
というわけで、製作年数で11年違う、小津作品の「しみじみ」比べをしてみてくださいませ。
まあ、このシーンに限らず、小津作品常連の顔ぶれが、いったいどんな役で登場するかというのは、結構楽しみですね。
たとえば、常連中の常連、笠智衆は、「秋日和」では、原節子の亡くなった旦那の義理の父親役。
本作では、出演シーンもわずかで、今でいえば友情出演、もしくはカメオ出演というところでしょうか。
そして、常連ではありませんが、この映画のチョイ役から、後の小津作品のヒロインに抜擢されたのが岩下志麻。
冒頭のクレジットで気がついたので、注意してみていましたが、いましたいました。こんなところに。
まあ、そんなこんなを楽しませてもらいましたが、ちょっと気になるカットがありました。
娘が勤める会社の、屋上から見える風景で、映画の中では、何カットか使われているのがこれ。
眼下にあるターミナルは、明らかに郵便局ですよね。
赤い車が、行儀よくホームに並んでいます。
そして、その通りの向こうを横切るのが、おそらく山手線。
見覚えのある高架線です。
おそらく、新橋から上野あたりまでのどこかでしょう。
では、この作品撮影時にこのカメラがどこにあったか。
山手線の高架線沿いにある郵便局の大きなターミナル見下ろせるビルということです。
これをちょっとGoogleしてみました。
候補としては、これが近いですね。
御徒町駅に近い郵便局です。
映画の中に、「銀座に出る」とか、「列車から手を振るのを見届ける」なんていうセリフが出てきますから、この予想は、当たらずも遠からじでしょうか。
まあ、どうでもいいことなんですが、いまや映画も、いろんな楽しみ方ができるという話です。
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