前の会社をやめて以来、山田宏は、正業に就いてていない。
40歳にもなろうというのに、アルバイトで日々の生活をつないでいる。
独身。結婚経験はない。
市県民税の滞納を続けており、お国から督促状がきている。
サラリーローンの返済もありで、どうにも首がまわらない。
今のバイト先からは、すでに前借りもしており、これ以上無心すれば、解雇もありうる。
にっちもさっちもいかない山田宏。
こういう時に、脳裏に浮かぶのは、哀しいかな、やはりスロットだ。
11日に東日本を揺るがせた大震災の後、スロット店は、軒並み営業を自粛していたが、昨日辺りからソロリソロリと、照明を控えめにしながら、営業をはじめる店も出始めた。
悪いが、スロットだけは自信がある。
授業料はだいぶ払い込んでいるが、それでも台のヨミが当たれば、ざっと10万から15万円の現金収入。
これを2回から3回連チャンできれば、当座の借金は挽回できるのだ。
しかし、こちらの状況が逼迫していればいるほど、スロットの台は、憎らしいほど微笑んではくれない。
震災の前の日に勝った勢いで、今日は一気呵成に、8万円ほど突っ込んだが、閉店10分前、スロットは最後のメダルを吸い込んでしまった。
万事休す。
店員にはわからないように、台にゲンコツをくれて、椅子から立ち上がろうとしたときに、となりの椅子の下になにか黒いものがみえた。
なんだ?
黒いものは、財布だった。
閉店間際、幸い周囲に、それを見ているものはいない。
山田宏は、さっとその財布を拾い上げると、何食わぬ顔で店を出た。
「すげえ。18万円。」
開いた口が塞がらなかった。
なんと、その財布には、18万円もの現金が入っていたのだ。
落としたヤツのうろたえた顔が、頭に浮かんだ。
落としたヤツ名は、すぐにわかった。
長岡伸一。
財布の中に免許証があった。。
長岡伸一は、アンガ-ルズの背の高い方にどことなく似ている。
免許証の写真が神経質そうにひきつっていた。
しかし、長岡伸一には悪いが、山田宏の笑いは止まらなかった。
濡れ手に粟の現金収入18万円。
この現金、この写真の男が持つには、ちょっと似つかわしくないほどの大金ではあるが、金は金。
悪いが、これは落としたアンタが悪い。
申し訳ないけれど、この金は、自分の借金の返済に、遠慮無く使用させてもらうことにしよう。
山田宏は、躊躇なくそう決めた。
さあ、18万円だ。
しかし、情け無いかな、これでも、当座のローンの返済や市県民税の支払いには、大きく足りない。
あといくら足りない?
計算すれば答えはすぐにでも出た。
あとジャスト20万円。
合計38万円ないと、借金の返済はできないのだ。
そんなことを考えながら、黒い財布の現金を抜き取って、中身をチェックしていると、一枚のメモが出てきた。
そこには、「アルバイト」と書かれとており、3件ほどの会社と電話番号。
なるほど、こいつも、俺と同じくフリーターだな。
山田宏にはピーンときた。
しかし、フリーターの分際で、財布の中身18万円はちょっと多かろう。
そんなことを考えながら、カードらしきものがもう一枚。
それには、こう書かれていた。
福島県いわき市小名浜◯◯
長岡啓三。
これは、おそらく財布の落とし主の父親だろう。
免許証、実家の連絡先、落とし主の個人情報・・・
山田の脳裏に、黒いものが横切った。
さあ、やろうと思うなら、今ここにフリコメ詐欺に必要なものが、すべて揃っている。
山田宏は、きっかり一分間考えて結論を出した。
この男が持っていた現金18万円。おそらく、この金は、この両親からの仕送りに違いない。
東京で暮らすフリーターごときが、財布に入れて持ち歩ける金額ではない。
こんな30歳を過ぎた男が、東京でノラリクラリとフリーターでやっていられるのは、この親が、土地かなんかをしこたま持っている資産家だからだ。
今なら、この震災のドタバタを理由にすれば、あと20万円くらいの送金くらい、簡単ににしてくれるはずた。
それに、花粉症がマックスで、鼻水がズルズル。
おあつらえ向きの鼻声になっており、声なら、本人と多少違っても、うまいことごまかせる。
山田宏は、長岡伸一の財布のカードや、メモなどから、いくつかの個人情報を頭にインプット。
コンビニのカード電話から、長岡啓三に電話した。
「もしもし。伸一だけど・・」
「伸一?。なんか声が変だぞ。」
「声? ああ花粉症で、鼻が詰まって・・」
「花粉症? そうか。一昨日はなんともなかったぞ。」
この息子は父に、一昨日も電話しているらしい。
「急にだよ。まいった。それでさあ・・」
「だめだ。」
「だめ?」
「いいか。何度言ってもだめだぞ。」
「いや、まだなにもいってない・・」
ここから、父親、啓三は一気にまくし立てた。
「気持ちはうれしいが、絶対に来るな。
ここに来るなら歩くしかない。無理だ。
それに、今来ても、おまえが危ない目に合うだけだ。
おまえは、東京にいろ。
うちはまだ、電話もつながるが、ミツルおじさんのところは、家も畑も全滅だ。
連絡もとれない。生きているかどうかもわからない。
金もいい。今そんなもの振りこんでも、銀行なんかやってない。
赤十字の義援金にでも寄付しろ。
そっちだって、いろいろと大変だろう。
こっちは、かあさんとなんとかやるから、心配するな。
今は、助かっているものだけで、力を合わせて、やっていくしかない。
もう、この携帯も、充電出来ないから電池がきれたら繋がらない。
大事な電話もあるんだ。もう電話してくるな。
もう何回も言わせるな。こっちは大丈夫だから・・・」
電話は、そこで突然切れた。
電池が切れたのかもしれない。
山田宏は、コンビニの電話の前で、地蔵のように固まっていた。
*******
翌日、長岡伸一は、アパートのポストを見て、声を上げた。
昨日、どこかで落とした財布が、届けられていたのだ。
財布は、裸でいれられていた。
拾い主が、直接届けてくれたのだろう。
伸一は、恐る恐る財布の中身を確認した。
被災した、実家に送ろうと、銀行からおろしてきたばかりの20万円がはいっていたはずなのだ。
いや違う。これを30万円にしようと思って、スロットに2万円使ってしまった。
確か18万円だ。
伸一はゆっくりと数える。
「え?」
伸一は、また声をあげた。
財布の中身は、20万円あった。
もう一度数えた。
確かに20万円ある。
伸一は、財布の中に小さなメモがはいっていることに気がついた。
メモは、よくいくスロット店の換金レシートの裏面。
そこには、きたない殴り書きで、こう書かれていた。
「東日本大震災義援金追加分 2万円」
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