これも、やりだすとキリがないのですが、ちょっと手が止まるような写真がいっぱい。
母親が亡くなった時、マメだった彼女が整理管理していたアルバムを
弟たちの了解を得て、全部引き取り、とりあえず、すべてスキャンしてデジタル保存しておりました。
僕は、与野駅(現在はさいたま市)西口商店街育ち。
実家は、いずみ書店という本屋でした。
開業は、昭和37年。
僕は、東京都大田区生まれですが、小学校三年生から、ここで育ちました。
まずは、貴重な昭和30年代の与野駅西口の様子。
これは、全部、うちの屋上から撮った写真ですね。
この頃は、まだ僕は、ここにはいません。
わが「いずみ書店」の前身は、「興文堂」という、文房具店でした。
この興文堂は、当時の与野界隈では、まだ珍しかった、3階建ての駅前雑居ビルの1階でした。
ここを経営していたのが、オバアチャンの妹さんの旦那さん。
血縁的には、どういうんでしょうか。
そして、そこを、実業家だった、うちのオバサンの旦那さん(要するにオジサン)が引き取り、当時サラリーマンをしていたうちの父親が脱サラして店長に就任。
いずみ書店がスタートします。
以降、与野駅西口の開発事業で、1992年に店を閉じるまで、いずみ書店は、与野駅から徒歩58歩という立地条件で、営業しておりました。
昭和45年ころのいずみ書店。
隣は、確か「コロッケころちゃん」。その隣は、タバコ屋でしたね。
店頭風景。
月の初めには、学年誌がどっとなら並べられるのですが、あれを、立ち読み防止の為、一冊一冊ヒモで縛る仕事は、よくやらされました。
うちの母親の口グセ。
「働かざるもの、食うべからず。」
レジにいるのは、その母親。
立ち読みしているのは、ボク。
これは、住まいのあった3階から、毎日飽きるほど眺めていた風景。
すぐ隣が、当時の国鉄の大宮操作場でしたので、電車はひっきりなしに通っていました。
昭和55年頃の店頭風景。
店内から見た駅前通り。
タクシーのちょい先に、チラリと見えているラーメン屋。
これが、「百蘭」。
まあ、ここのラーメンのなんとおいしかったことよ。
というよりも、子供の頃は、ここ以外のラーメンを食べたことがなかったので、「ラーメン」という食べ物は、どこで食べても、こんなにおいしいものだと思い込んでおりました。
ここをやっていたオジイちゃんが引退して、パン屋になってしまってから、仕方なく、あちこちのラーメン屋に行くようになるのですが、そうなってはじめて、「白蘭」のラーメンの味が、ただものでないということに気がついたわけです。
とにかく、僕のラーメン好きの原点は、すべてここからスタートしています。
忙しい両親でしたから、この店は、ほとんど我が家の食堂替わり。
100円玉一個もらって、ここで70円の中華そばをたべ、残りがお小遣いという寸法でしたね。
昭和55年当時の店内風景。
目付きが悪いのがうちの父親。
そして、これは、駅前開発以来、まるで様変わりしてしまった、現在の与野駅西口。
今の与野駅西口界隈には、当時の面影は、まるで残っていません。
ボブ・ディランの歌が聞こえてきそうです。
時代は変る - The Times They Are a-Changin'
貴重な写真を拝見しました。
与野出身の者です。昔を懐かしみ、ネットで検索していましたら、ここに辿り着きました。店長の顔も覚えています。
本当に懐かしいです。
いずみ書店は与野駅西口の文化の中心でした。
去年、ついにおもちゃ屋ほていやも閉店し、昭和の与野はもう与野フードくらいみたいですね。
投稿情報: rain | 2018年7 月11日 (水曜日) 午後 06時01分