さて、1981年といいますと、昭和56年。
僕は、22歳になっていますので、大学の4年生。
文京区白山のキャンパスに通っていましたね。
この頃になっていますと、もう歌謡曲は卒業しておりまして、ニューミュージックと洋楽を浴びるように聞いていた頃です。
大学生とはいっても、講義なんてほとんど出ないで、アルバイトに明け暮れておりましたので、ちょうど出始めた頃のレンタルレコード屋に足繁く通っては、小林克也さんの「ベストヒットUSA」で気に入ったアーティストの楽曲を仕入れては、カセットテープに録音しまくっていた頃ですね。
そして、録音したカセットを聞くのは、もちろん当時の必需品ウォークマン。
まだCDは出初めの頃で、借りたのはもっぱらレコードでした。
というわけで、レンタル専門でしたから、レコードは、ほとんど買った記憶がありません。
新宿の「さくらや」で、アルバイトをしていましたので、ここでのバイト代は、カセットテープやレンタルレコード、それから、情報誌「ぴあ」を片手の名画座まわりで、ほとんど消えていました。
さて、1981年といえば、ジョン・レノンが自宅マンション前で、ファンに射殺されたのが前の年の暮れ。
これは衝撃でしたね。
ちょうど、ジョンの遺作となったアルバム「ダブル・ファンタジー」が、巷に流れていたのが1981年の年頭。
この時のアメリカの大統領は、ロナルド・レーガン。
2013年の日本では、アベノミックスが盛り上がっていますが、この当時は、レーガノミックスの時代でした。
ピンクレディの解散もこの年で、海の向こうのイギリスでは、チャールズ皇太子とダイアナ王妃の結婚セレモニー。
この年に勇退した近鉄の西本監督と、時の総理大臣・鈴木善幸氏の顔が、ほとんど同じに見えたものでした。
神戸で開催されたポートピアもこの年。
そして、単位が足りず、僕の大学の留年が決まったのもこの年でした。
それでは、1981年の洋楽カラオケ10連発。
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