さて、秩父鉄道の皆野駅に降り立ったのは、関東ふれあいの道を歩き始めてからは、これが三回目。
当然一番のこのスッタモンダで、8時40分の一番バスは、出てしまった後でしたので、やむなくスタート地点の西門平まではタクシー。3140円でした。
そうそう、タクシーの運転手曰く、「お客さん、ジョウホウザンに登るんですよね。この時間にスタートする人はなかなかいませんよ。」
これには、やや冷が汗がたらり。
因みに、このタクシーの運転手は、城峯山を、ジョウホウザンと呼んでいましたが、正しくはジョウミネサンと読むようです。
「でも、元旦は、バスの営業は、始発と最終はなかったんじゃなかいかな。」
まあ、神川町営バスの営業については、そんなことは、特に書いていなかったので、もしそれが本当だとしたら、正月早々、こんな山歩きをしようという人はそうはいないのだろうということは想像に硬くありません。
今回は、距離も長く、コースもハードなので、これはあまり遊んでいる時間はなさそうだと、やや緊張の面持ちで覚悟いたしました。
さて、今回のコースのスタート地点に到着したのは、10時30分。
さあ、気合を入れて歩き始めます。
まず標識に出てくる案内は、鐘掛城と城峯山まで。
てっぺんまで行けば、これが本日の最高到達点の城峯山。標高1037m。
ここで、全行程のおよそ、三分の一。
スタート地点からの標高差はおとそ500mですから、これは、結構な急勾配となります。
スタートすると、すぐに「虫送り行事」についての案内。
これは、農作物につく害虫を駆除するための祈祷行事で、日本のあちこちで見られる伝統行事です。
特に、この皆野町では、「門平の虫送り」として有名。
もちろん、最近では、農薬が一般になってきましたので、この行事も全国レベルでは減ってきています。
しかし、ここのところ、また無農薬有機野菜が見直されてきていますから、この「虫送り」の行事も復活してくるかもしれません。
これは、お盆の行事ですので、今は看板だけ。
鐘掛城までは、九十九折になっている杉や桧の植林地帯をせっせと上ります。
さすがに息が上がってきます。
鐘掛城まで上がってきて、ここで標高が1003m。
城跡か何かあるかと思いきや、あるのは看板だけ。
ここの他にも、このあたりには玉城、城平、城の沢など、地名に「城」の字が残っている地名が多く、中世戦国時代の頃には、多くの「物見」の城があったというのが定説。
「物見」というのは、物見遊山の「物見」ですが、この頃は、戦のための斥候、つまり本隊の移動に先駆けての戦の諜報活動の前進基地としての役目があったようです。
いずれにしても、今は、その跡地として、平地になった部分が、山の峠に残っているのみ。
そして、ここからさらに、上を目指すと、まもなく石間峠。
ここから先に、城峯山と、城峯神社があるのですが、その先はないので、またぐるりと回ってこの峠に戻ってくるというコース設定。
ここから頂上までが、このコースで一番の急勾配になります。
しかし、頂上にたどりついてみると、そこにそびえたっているのは、なんと電波塔。
頂上というと、上ってくる方としては、「一番高いところ」というつもりで上がってくるので、それよりも高い鉄塔などがあるとちょっと拍子抜けします。
バカは高いところに上りたがるという例にもれず、僕もそのクチなのですが、まさか、この鉄塔に登るわけにもいかず、やむなく記念写真と、ここで撮影しようと決めていた動画配信用の新年のご挨拶を撮影します。
ちなみにここは、一等三角点に指定されて測量の基準になっている山。
それが指定されている日本の百名山のひとつです。
晴れた空、コースに入ってから、ここまで登ってくる間に、すれ違う人も見かけた人も皆無。
本日は元旦、この秩父の名山は、川越からやってきた怪しき登山者に一人の貸切でした。
さて、城峯神社におりていきます。
ここが、本日のメインポイント。
城峯神社は、平将門ゆかりの神社として有名です。
階段を駆け上って、本堂を見上げると、でっかく「将門」の文字。
では、平将門について少々おさらい。
平将門は、日本の中世平安時代の関東地方の豪族。
まあ、武士の時代草創期のめっぽう強かったお侍さんです。
この頃の日本の中心は、京都にある朝廷でしたから、そこの公家たちから見れば、遠い東の果ての野蛮人くらいのかんじでしょうか。
しかし、彼は、関東地方の武士たちに祭り上げられて、朝廷に謀反を起こすという展開になってしまったのが、ご存じ「平将門の乱」。
これにより、彼は命を落とすことになるのですが、その首は、京都まで運ばれ、さらし首。
実はこれが、歴史に残る日本最初の公開さらし首でした。。
そして、この人の伝説というのは、実はここからが本番。
そのさらされた首は、何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開いていただの。
夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けただの。
天高く空を走り、関東の神田明神まで飛んでいっただの。
彼の首にまつわる伝説が、人々の間で一人歩き。
あげくは、荒俣宏の小説「帝都物語」にまで登場すると、一躍オカルトヒーローにされたてしまいます。
さて実は、ここ秩父の城峯山に、平将門が残した足跡が実際にあるということはないようです。
このあたりに伝わる将門伝説は、あくまでも伝説として語り継がれてきたという話。
もしかしたら、京都から飛んできた首が、ここらあたりで一休みしたのかもしれません。
とにかく、後世の人は、何か災難が起きると、みんな彼の怨念のせいだと思うようになり、彼に祟られないように、あちらこちらに、首塚なり首にまつわる神社を残してきたんですね。
まあ、僕としても、下手に祟られるのはいやですから、神妙に手は合わせてまいりましたが、どうやら本日は、それがちょいと足りなかったようで、この後が散々なことになります。
まず、城峯神社から、さきほどの石間峠に戻る道の途中で痛恨のコースアウト。
「石間峠」方向をさす標識はあったのですが、違う道にも「石間」と書いてあったので、間違えて、吉田町方面に降りる山道に下ってしまいます。
僕の中では、ぐるりと回って戻るという頭があったんですね。
下山ですから、足はスイスイとすすみます。
しかし、歩いていくうちに、「関東ふれあいの道」の看板が出てこないことに気がつきます。
1キロ歩けばつくはずの石間峠の標識も出てきません。
「ん? これはおかしい」
そう思ったときには、すでに1.5キロは下山。
これは完全にコースアウトしたと判断。
そこからエツチラオッチラと、来た道を戻ります。
この間違えた道を「登り返す」というのが、心身にはかなりこたえます。
おもわず山中で悲鳴。
間違えた地点に戻ったときには、およそ40分のロス。
ただでさえ、スタートが遅れ、急がなければいけない道行きであるにもかかわらず、このコースアウトは痛恨。
気を取り直して、石間峠に向かいます。
しかし、城峯神社の出口まで来て、またしても、標識を見逃してしまうミステイク。
どうも、山頂までいったんだから、石間峠までは下り坂だろうという先入観が邪魔をしました。
そこから一度上っておりたところが石間峠だったのですが、神社の出口から反対方向に下りてしまいました。
ここでも2キロのロスで時間は30分を無駄に使ってしまいます。
やっと、石間峠まで戻ってきたときには、時刻はもう15時近く。
ここから、ゴールの登仙橋バス停までは、まだ9キロもあります。
いやあ、これは、のんびりとビデオ撮影などしている時間はないという危機感。
標識をしっかりと見て進む道は、真っ白な雪道。
間違わずに、慎重に歩いたつもりでしたが、ここでまたしても本日3回目のコースアウト。
ずっと舗装された道路を歩いていたのですが、どうやら雪に隠れたどこかに、山道に入る標識があったようです。
これを完全に見逃してしまいました。
しかし、コースアウトも3回目とあっては、さすがに戻る気力はなくなり、時間の関係もあり、今回はコース踏破はあきらめて、そのままこの道を下山しようと覚悟いたしました。
関東ふれあいの道では、コース設定が、極力山道を歩くように作られていますので、今日のように、車の道を長く歩いて、しかも、標識も出てこないというときは、コースを間違えている可能性が高い。
道路に出たら、すぐに山道に入る標識を探せ。
今回は、それをしっかりと学習いたしました。
さて、道路ではあっても、もちろん車など走っていません。
しかも、山の中とあっては、iPhone も iPad も、現在位置を教えてくれません。
これは、ただひたすら、車の轍のあとを降りていけば、どこかに出るだろうという希望的推測の元に歩くしかない。なんとも心もとない話です。
元旦早々から、誰もいない山の上で、ひたすら暗澹たる思いになってしまいました。
まあ、どうにかなるだろう。
もう時計を見るのはやめてひたすら歩こうと決め、車の轍の凍っているところは滑りやすいので避けながら、ひたすらザクザク。
やはり、山の中の自然遊歩道とは違って、普通の道路を歩くのは、自然の中を歩きにきたという者にとっては、正直味気ないもの。
風情に浸る余裕もなく、ただただ足元の雪を見ながら歩きます。
さてそれから5キロほど歩いたでしょうか、前方に、突然「関東ふれあいの道」の標識。
みれば、紛れもなく、「将門伝説を探るみち」の案内です。
見れば目の前に、石間峠の次のポイントである、宇那室バス停。
どうやら、とぼとぼと歩いてきた道路は、実際の山の中のコースに沿って、くねくねと続いていたようです。
くねくねした分だけ、歩いた距離は伸びたようですが、ここで、奇跡的に「関東ふれあいの道」のコースに合流。踏破はあきらめてしましたので、ちょっと元気が出てきました。
よし、これでなんとかなりそうだと再び、気を取り直して歩き始めたのですが、実は、本日のトラブルは、それだけで終わりませんでした。
とりあえず、犬を連れて散歩していた地元の方に聞いてみると、バスの道をまっすぐ下りれば、ゴールの登仙橋バス停まで続いているらしいのですが、コースには、ゴール前にもうひとつのポイント「城峯公園」があります。
もちろん、そこまでいけば、そこから登仙橋バス停まで下りられる道もあるということで、夕暮れは迫っていましたが、とりあえず城峯公園をめざして歩きはじめました。。
公園の入り口まで来ると、閉園は5時という看板がありましたが、まだ門は開いています。
それいけとばかりに、最後のポイントの中へ入っていきますが、中には、人っ子一人いません。
公園の中は、そこそこ広くて、いろいろと見所もあるようでしたが、もちろん、のんきにめぐっている時間はありません。
そのうちに、役場の放送で「カラスの子」が夕焼けの空に流れ出します。つまり5時です。
しかしながら、ここから、ゴールの登仙橋バス停までが、まだ3.3キロの道程。
まだまだ先はあります。
さて、田舎の日没はつるべ落とし。あたりも暗くなってきましたので、ここからのコースアウトは命取り。
慎重に、看板を確認しながら、やっとゴールに到着したのが17時40分。
バス停の時刻表を見れば、なんとか最終の18時には間に合いました。
やれやれとほっとした時に、ふと朝のタクシーの運転手の言葉が頭をかすめました。
「バスは、元旦だから始発は運休。」
ん? 待てよ。始発が運休ということは、最終バスも運休ということはないか。
いやな予感がしました。
このバスは、神川町営バス。10分ほど行ったところにある神川総合支所という営業所で、本所駅行きの朝日バスに乗り換えるのですが、その営業所に電話をかけてみるとなんと留守番電話。
「おいおい、これから最終バスが到着する営業所が、「本日の営業は終了しました」はおかしい。
これは、タクシーの運転手の言うとおり、最終バス元旦につき運休の可能性大と判断して、支所まで、バスで約10分という道のりをやむなくまた、歩き始めました。
途中でバスが追っかけてきたら、最寄のバス停から乗ればいいと時計をみながら歩いたのですが、結局支所にたどり着くまでの間、最終バスはきませんでした。
どうやらヨミは悪いほうに的中。
バスが通る道と入っても、このあたりは街灯もなく、道は完全にブラックアウト。
GPSやインターネットも、まだ怪しい情況でしたので、出かける前に仕込んだ、バスルートのPDFファイルが、iPad にありましたので、それを頼りに、LED懐中電灯と、iPad の明かりで歩く姿は、はたから見るとかなり異様だったかもしれません。
最後は、本所駅南口行きの朝日バスの最終に間に合うかどうか、祈るような気持ちでしたね。
くたくたになって、神川総合支所にたどり着いたら、時刻は19時10分。
時刻表を見れば、最終は20時。
案内には、元旦は、休日時刻表で運転しますと書いてあり、バスの待合室の電気はまだついています。
ここでやっとホッといたしました。
待合室でボーっとしてたら、19時30分を回ったころには、最終バスが到着。
バスが到着して、ドアが開くと、一目散に中に駆け込み、席に腰掛けたところで、本日の疲れが一気にドドドっと押し寄せてきて、しばらく動けませんでした。
これで、なんとか家までたどりつけるめどが立ち安堵のこころもち。
というわけで、関東ふれあいの道埼玉県9番目のコースは、今までのコースで最悪の山歩きとなってしまいましたが、なんとか無事終了。
平将門の怨念に翻弄されたのかどうか。
あの山頂の、神社でお賽銭をケチったのが、悔やまれます。
いまさらながら、将門さん。安らかに成仏してください。
それでは、僕の山歩きを様子を動画で、お楽しみ下さいませ。