さて、春めいてきました。
「関東ふれあいの道 埼玉県」も10番目のコースまで歩いてきて、2月の大雪のために、足踏みしていましたが、やっと帰ってまいりました。
本日は、11番目のコースです。「義経伝説と滝のあるみち」。
10番目のコースで群馬県の県境までいきましたが、11番目では一気に飯能まで戻ってきました。
降り立ったのは、西武鉄道秩父線の吾野駅。
2番目、3番目のアクセスポイントの駅ですので、まさしく帰ってきましたよという感じ。
宿場町だった面影を残す朝方の吾野宿を歩いてから、まずは顔振峠を目指します。
顔振峠は、顔振と書いて、「こうぶり」もしくは、「かあぶり」と読ませます。
かの源義経が、奥州に落ちのびる際に、この地を通り、そこから眺める関東八州の絶景に、何度も何度も、振り返ったというのが、この地名の由来。
その顔振峠から、傘杉峠まで登って、黒山三滝まで降りて行くという、全長8.0kmが今回のコース。
ゆっくり回っても、終点の黒山バス停には、お昼すぎには着いてしまいますので、バスで、東武線の越生駅に向かう途中にある「越生梅園」に立ち寄って見ることにします。
さて、季節は3月。梅の季節です。
越生の梅園でなくても、道の両脇のあちらこちらに、白、ピンク、赤の梅が、今が盛りと、美しさを競う道中。
顔振峠までの3.6kmの山道は、地元の看板案内では、顔振峠辰巳街道。
杉の木の林を登ります。
2月の大雪は、ほとんど残っていませんでしたが、倒木の数が尋常ではなかったですね。
折れたところが、みんな新しいものばかりでしたので、やはりあの雪の重みに耐えられずに、折れて倒れてしまった木が多く見られました。
我々にとっても、想定以上だった今年の大雪は、彼らにとっても、想定外だったようです。
顔振峠まで登ってくると、展望が一気に開けます。
本日は晴天。
奥武蔵の山並みの向こうに、頂きに雪を抱いた富士山がはっきりと見えましたね。
峠には茶屋が一軒。「平九郎茶屋」
平九郎とは、渋沢平九郎。
幕末の動乱期、このあたりを主戦場にした飯能戦争で、官軍と戦った徳川幕府の若きイケメン侍。
最後は、追い詰められて、自刃。その碑が、このコースのゴールである黒山バス停の近くに残っていました。
そしてこの人は、あの渋沢栄一の身内でもあるようです。
さて、顔振峠から、また少し、杉の山道を登ると傘杉峠。
この傘杉峠の少し手前の高台が今回の最高標高到達点で、622m。
ここから、黒山三滝までは、沢に沿った山道を一気に下ります。
黒山三滝の周辺から、鉱泉にかけては、谷間が狭くなり、湿度も高くなってくるため、暖地性のシダ類の群生が多く見られるようになってきます。
コモチシダ、イワヤナギシダ、ウラジロ、シシランなどですね。
特に、アオネカズラは、僕にも確認できました。
黒山三滝は、越辺川の源流にある三つの滝の総称。
上下2段の男滝、女滝、そしてその下流にある天狗滝の三つです。
この黒山は、古くから修験の霊場としての歴史があります。
そのルーツは、遠い室町時代にまでさかのぼります。
天狗滝奥にある大平山には、その修験道の開祖である役行者の石碑が立てられていますが、今回はパス。
黒山三滝の入り口の休憩場の店先で、美味しそうに焼けていたイワナ(600円)を頬張りながら、終点の黒山バス停到着が13時50分。
次のバスまでの待ち時間で、ちょうどバス停の隣にあったうどん屋で「なめこうどん」を一杯。
越生駅行きのバスに乗って、途中にある「越生梅園」に着いたのが2時30分。
越生梅園は、ちょうど本日が、「梅まつり」の最終日で、大変な人出でしたね。
というわけで、晴天に恵まれた本日は、絶好のトレッキング日和。
久しぶりの山歩きを満喫いたしました。
さあ、埼玉県のコースも、残すところあと二つ。
この二つは、距離もあり、結構しんどいコースのようですので、心してかかりたいと思います。
動画版は、こちら。
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