武田鉄矢が、テレビのインタビュー番組で面白いこと言っていました。
「人間老齢を迎えてくると、学生の頃にサボった勉強が追いかけてくるようになる。」
「人間老齢を迎えてくると、学生の頃にサボった勉強が追いかけてくるようになる。」
これ要するに、学校でサボった科目は、いい年になると、何故かもう一度勉強したくなると言うこと。
そう言われると確かに思い当たります。
今回、なんで僕が福岡教授の著書をまとめて6冊も購入したのか。
言われてみれば、数学、物理、化学、生物、とまあこの辺の理科系の学科は、軒並み自分の記憶でも、テストで50点以上とったことがありません。
特に意識をしたつもりはなかったのですが、どうやら、そのコンプレックスを今更ながら埋めるために、教授の本を読んでみようと思った事は否めないようです。
しかし、そうは言っても、コテコテの文系の僕の頭に、教科書やら、論文やらの無味乾燥でアカデミックに徹した、理系専門用語満載の難解な文章が入ってくるわけはありません。
申し訳ないが、そこは、それなりに諸先生方には面白い読み物にしていただかないと到底ついて行けません。
そこへいくと、この福岡教授の文章は、とても理想的。とても理科系の先生の文章とは思えないほどリリックであり、文学的であり、しかもわかりやすい。
そこへいくと、この福岡教授の文章は、とても理想的。とても理科系の先生の文章とは思えないほどリリックであり、文学的であり、しかもわかりやすい。
間違いなく理系の本を読んでいるのに、それを感じさせない圧倒的な筆力。
それは、この先生の読書の守備範囲の広さに裏打ちされたものである事は想像に難くありません。
著者の少年期の愛読書は、「ドリトル先生航海記」「ファーブル昆虫記」などなど。
これに感動した少年が、その道をまっすぐ進み、やがて生物学者になるわけです。
しかし、少なくともそのルーツのところまでに限っ言えば、恥ずかしながら、僕もほぼ一緒。
結局その後の精進の差があり過ぎたという話です。
その福岡教授が、シェーンハイマーやワトソンやクリックなど、分子生物学の偉大な先達たちの足跡をたどりながら到達した、生物の「動的平衡」という真の姿にいたる過程。
これを完全には理解できないまでも、少なくともそのイメージくらいは頭に描くことができたのは、ひとえに著者の流麗な文章力なせる技。
この人をただの理科系に押し込めておくのはもったいないと思っていたら、なるほど2011年には、ちゃんと自ら志願されて、理科系から文科系の学部の教授に転身されていました。
さもありなん。
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