今マイブームになっているのが古典落語。
特に、古今亭志ん生にハマっています。
主に、車の中で聞いているのですが、妙に心が落ち着きますね。
渋滞などで、イライラしている時は最高です。
「そんなに、あわてなくてもよござんしょ。」
師匠にそんな風に言われている感じ。
もっともです。
古今亭志ん生は、五代目古今亭志ん生。
古今亭志ん朝の親父さん。
中尾彬の奥様である池波志乃のおじいちゃんでもある人。
もちろん、僕は現役時代の志ん生の落語は知りません。
志ん生師匠は、昭和48年に満83歳で亡くなっています。
僕が彼の芸を知ったのは、弟の持っていたDVDが最初。
彼がどこでそれを仕入れたのかは知らないのだけれど、一度見て見事にハマってしまいましたね。
実は、そのDVDに本人は出演していません。
演じる声は本人のものなのですが、演じているのは山藤章二のア二メ。
「ラクゴニメ」シリーズの1本でした。
なにせ映像資料の少ない人。
貴重な録音に、当時の彼の芸を知る山藤氏が、「この芸のエッセンスを残したい」という想いから製作したものだそうです。
古今亭志ん生は、東京の人。
シャキシャキの江戸っ子。
江戸っ子の一番典型的な特徴は、「ひ」が発音できずに、「し」になってしまうこと。
「ひさしぶり」は「しさしぶり」。
「ひなまつり」は「しなまつり」といった具合。
これ、実はうちの父親がそうだったんですね。
父は、サザン東京ダウンタウン大森育ち。生粋の江戸っ子で、見事に江戸弁でした。
そして、志ん生師匠とは同世代になる、僕のおじいちゃんが、それに輪をかけた江戸弁でした。
だから、志ん生師匠のパフォーマンスを聞いてると、まずこれにニヤリです。
父親の弟妹たちは、いち早く標準語を獲得していましたが、我が父親だけは結局最後まで江戸弁。
そんな家族でしたから、古今亭志ん生の江戸弁落語には、最初からどこかシンパシーを感じていました。
そして、我が父親は、落語家・古今亭志ん生の現役時代をリアルタイムで知っている世代。
我が父は、よくデートで寄席に行っていたと言っておりました。
古今亭志ん生の落語の話を、よく親戚のおじさんたちが、おじいちゃんを交えてしていたのを、横で聞いていた記憶があります。
古今亭志ん生が、何度となく酔っ払って、ろれつが回らない状態で高座に上がっていたこと。
そして、あろうことか、客の見ている前で居眠りをしてしまうこと。
そして、彼の芸を愛する客たちもそんな志ん生を、怒ったり、起こすような野暮なことはしなかったこと。
そんな彼にまつわる伝説的なエピソードは、落語を見ることはなくても、子供の頃にどこかで刷り込まれていました。
彼の落語がテレビで放映される機会はいまやほとんどありませんが、今はネットの時代。
彼の往年の落語の録音が、数多くYoutube で拾えるんですね。
いい時代になったものです。
その録音を片っ端からゲット。
これを聞きながら、気になったネタや、ちょっとオチが理解できなかったネタを、復習するために。「古典落語全集」全6巻も購入。
iPad に仕込みました。
三枚起請。
火炎太鼓。
あくび指南。
粗忽長屋。
芝浜。
子別れ。
まあ、いずれも、江戸の町民文化華やかりし頃から、受け継がれてきた古典落語。
歴代数多くの落語家たちの珠玉のパフォーマンスが残っていますが、やはり志ん生師匠の語り口は、素人が聞いてもわかるくらい一味違うんですね。
とにかく、この人は、「笑いの神様」によほど気に入られたのでしょう。
お囃子に乗って、高座に上がって、よっこいしょと座る。
もうそれだけで、客席から笑いが溢れている。
そんな落語家はそうはいません。
彼と同時代に活躍した名人・桂文楽。
彼の落語は、一分の隙もなくみっちりと作り込まれた精密機械のような落語だったと言います。
完成度が高く、なんど演じてもブレがない。
名人と言われる人の落語はそうであるべきかもしれません。
そこへいくと、志ん生の落語は、まるでその正反対。
彼の破天荒な人生をそのまま映し出したようなパフォーマンス。
出来がいいも悪いも、その時の状態次第。
音楽で例えるなら、桂文楽は、いわばスタジオ・ミュージシャンのプロ。
古今亭志ん生は、ライブのプロ。
そういうことになるのでしょう。
6代目三遊亭圓生がこんなんことをいっています。
「志ん生とは道場の試合では勝てるが、野天の真剣勝負では斬られるかもしれない」
志ん生の落語には、なんの計算もなく、捨て身出でたとこ勝負を意図的に仕掛けているスリルがあるんですね。
つまり彼が上がった高座が、いつでも彼と観客の一騎打ちの戦場になっている。
「さあさあ、どうくる?」。
演者と観客が、お互いそんな心持ちで、その場の空気を作っているわけです
これが、彼の落語の最大の魅力といえましょう。
そんなわけで、古今亭志ん生は、僕にとっては唯一無二の落語家。
そういえば、ひとつ思い出しました。
黒澤明監督が、映画「どん底」を作る前に、古今亭志ん生を呼んで、スタッフやキャスト全員に彼の 落語を聞かせたんだそうです。
理由は、彼の落語で、映画の描く当時の空気を感じ取ってもらいたいということ。
一流の人は、一流を知るということでしょう。
中に何人かは、この臨時落語独演会に参加しなかった人いもたそうですが、それはちょっとシンショウが悪い。
お後がよろしいようで。
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