Amazone Prime で、なんとも懐かしい映画を見つけました。
「忍者部隊月光」
これは、映画ですが、僕が子供の頃に胸躍らされたのはドラマ版。
1964年から、1966年まで、全130話が放送。
僕がちょうど5歳から7歳にかけての、子供真っ盛りの頃。
見てました。見てました。
そして、今の子供たちが、「妖怪ウォッチ」や「アンパンマン」(例えが適切でないのはご勘弁を)に、ハマるがごとく、しっかりとこのドラマには、子供心をつかまれておりました。
原作は、タツノコプロの創始者・吉田竜夫の漫画。
しかし、この漫画の記憶は、ほとんどありません。
「少年キング」連載でしたが。、僕の当時の愛読書は「少年マガジン」と「少年サンデー」まで。
「少年キング」までには手が回りませんでした。
Wiki によれば、原作漫画は、第二次世界大戦の頃が舞台で、主人公は子供たちとか。
これは、まったく記憶にありません。
タツノコプロの漫画で、僕の記憶に登場するのは、あの「マッハGO!GO!GO!」以降のこと。
やはり、「忍者部隊月光」といったら、僕らの世代では完全にこのドラマの記憶です。
忍者部隊のあのヘルメット。白い刀。そして、手裏剣。
これは、当時ビニールソフトやプラスチック製でグッズが販売されていたので、きっちり揃えました。
そして、これをそろえられた子供たちだけが出来た遊びが、「忍者部隊月光」ごっこ。
こういう遊びをするとき、僕はたいてい隊長役をゲットしてしまう、したたかな子供でした。
あの、「待て」「行け」「集まれ」のかっこいいボディアクションも、みんな僕がやらせてもらいました。
そして、あの手裏剣。
これは、さすがに危険すぎて売っていませんでしたが、僕は「遊び」となると俄然盛り上がる少年でしたので、近くの鉄工所のゴミ箱をあさって、鉄の端切れを拾ってきて、これを隊員に配布。
手裏剣代わりにしていました。
今考えると、ぞっとしますが、この鉄の端切れは、うまいこと投げると、木製のものには、スコンスコンと気持ちよく刺さるんですね。
今だから白状してしまいますが、近くの三菱グラウンド(当時の浦和市上木崎)の裏の雑木林などで、よく投げて遊んでいました。
幸いけが人は出なかったからよかったようなものの、今考えてみると、まったくおっかないことをしていたものです。
さて、映画の方は、1964年の東映製作。
ドラマがオンエアされた年ですね。
Wiki してみますと、1964年の「東映まんが大行進」の中の一本として封切られています。
ですから、これ、間違いなく、大宮の東映の映画館で観てますね。
併映は、「鉄人28号」「狼少年ケン」「エイトマン」ですから、間違いありません。
あの当時、子供の頃に見たドラマですから、今更野暮なツッコミをするのはよしましょう。
子供心にでも、ワクワクさせられたのですからそれで上等。
こういう昔のドラマを見るときの楽しみのひとつは、「おーあの人が出ていたのか」という再発見。
主演は、水木襄で、東映のニューフェイスだった俳優。
同期の俳優が、佐久間良子、室田日出男、山城新伍。
この人は、このドラマの主演が、人生の花でしたね。
映画だけで見れば、彼にとってはこれが最後の出演作でした。
その後の出演で僕が覚えているのは、円谷プロ製作ドラマ「恐怖劇場アンバランス」の「猫は知っていた」
「あ、この人月光隊長。」と、気が付いた記憶があります。
その他のキャストを見てみると、忍者部隊が所属する「あけぼの機関」の機関長に中山昭二。
この人は、ウルトラセブンのウルトラ警備隊のキリヤマ隊長です。
それから、敵方のバラモン役が「悪役商会」のドン八名信夫。
シュナイダー役が、後でクレジットを見るまで気がつきませんでしたが小林稔侍。
このドラマは、アメリカにも輸出されました。
アメリカでのタイトルが、『Phantom Agents』
「忍者部隊月光」のタイトルソングは、もちろんいまでもちゃんと歌えます。
それでは、みなさんご一緒に。
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