「黄金バット」は、もともとは昭和初期の紙芝居がルーツ。
紙芝居は、昭和の前半、まだテレビもなく、映画館にもそうそう行けなかった子供たちが自分の小遣いで手の届く唯一といっていいエンターテイメントでした。
ちなみに僕は、高度成長期真っ只中の昭和の34年生まれ。
ですから、僕の子供の頃には、もうすでに各家庭にはテレビはありました。
僕は、6歳まで、東京のダウンタウン大田区平和島に住んでいました。
でもまだあの辺りには、紙芝居のオジちゃんが来てくれていましたね。
ですから、リアルタイムの紙芝居興行には、ギリギリ間に合った世代です。
縁日のある夜の神社の境内に、自転車の荷台に紙芝居キットをくくりつけたオジチャンが、駄菓子を買った子供たちを集めて、自作(おそらく)見せてくれました。
ただ、その演目が「黄金バット」だったかどうかは不明。
時代劇だったような気がします。
実は、僕は紙芝居を自分で作ったことがあります。
小学校の五年生の時、当時の人気漫画「いなかっぺ大将」をモチーフにした作品でしたね。
これは友達よりも、親族に喜ばれました。
自分で作ったもので、人を喜ばせるという、今の道楽にもつながる原点がこれだったかもしれません。
「黄金バット」はその後「少年画報」での連載を経て、1950年に一度映画化されています。
そして、東映による二度目の映画化がこの作品。
1966年製作ですから、映画少年だった僕は見ていてもよさそうなのですが、これはまったく記憶にありませんでした。
おそらく今回が初見。
主演は、珍しく髭の千葉真一。
彼の記憶は、僕としてはTBSのドラマ「キーハンター」からですね。
この映画の記憶はありませんでしたが、実は「黄金バット」の記憶はあります。
それは、この翌年に放映された、アニメ版の黄金バットです。
あのトレードマークとなった、高笑いもこのアニメでの鮮烈な記憶です。
敵の首領ナゾーが叫ぶ謎の雄叫びが「オーンブローゾー」。
これは、はっきりと覚えていたので、この映画を見ながら、それがいつ出るかいつ出るかと構えていましたが、アニメの前年につくられたこの映画版では最後まで出てきませんでした。
あれは、アニメ版からのオリジナルだったようです。
このアニメのスタッフが手がけた2作目が「妖怪人間ベム」。
子供心には、「妖怪人間ベム」の方が、「黄金バット」よりも、強烈な印象がありました。
さて、映画です。
50年以上も前の子供向け映画の特撮映画です。
こちらが大人になったからといって、その甘い設定や特撮技術に野暮なツッコミを入れるようなことはよしましょう。
こういう昔の映画を見るときの楽しみ方のコツは出演者です。
「え? あの人がて出るじゃん」
これですね。
主演の千葉真一は当時27歳。
東映の「仁義なき戦い」あたりからは、この正義のヒーローのイメージはかなぐり捨ててしまった彼。
しかし、この映画では、まだ正義の味方。
でも日体大出身の彼の十八番であるアクションは少なく、むしろインテリ系の役でした。
それからパール研究所の少女隊員役で高見エミリー。
僕らの世代では懐かしい名前です。
彼女はあの頃の、少女雑誌の表紙をかなりの頻度で飾っていた女の子でした。
あの「リカちゃん人形」のモデルだったことで有名。
17歳で、鳩山邦夫と結婚して、芸能界から引退しで政治家夫人になってしまったのにはビックリでした。
同じく研究所の所員に、中田博久がいました。
この人は、この映画の翌年に「キャプテン・ウルトラ」を演じています。
そうそう、映画の冒頭に、青島幸男が警官役で出演していました。
その他、僕が印象に残ったのが、敵の怪人の一人ケロイド役の沼田曜一。
他の怪人とは、明らかに頭一つ抜けたキャラを演じていました。
あの「ダークナイト」で、ヒース・レジャーが演じたジョーカーを彷彿とさせる演技は注目。
それから出演者ではありませんが、印象に残ったと言えば、黄金バットの登場シーン。
あのサイレント時代のドイツ映画の傑作「カリガリ博士」が下敷きにあったらしき演出。
そういうネタ元を見つけていくのもこの手の映画の楽しみ方。
古い懐かしい映画を見て、意外な俳優を見つけたり、新たな再発見をするという映画の楽しみ方もあります。
たとえ、笑ってしまうような演出の穴をみつけてもそれはそれ。
もちろん、黄金バットのように「アハハハハ」なんて笑うような失礼なことはいたしませんて。
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