もういいでしょう。
この際、はっきり言っておきます。
実は、私はさだまさしの大ファンであります。
ビートルズだとか、ローリング・ストーンズとか、ユーミンとか、佐野元春のファンということは、昔からスムーズに言えました。
ところが、さだまさしだけは微妙でした。
今でこそ彼は音楽界の大御所ですが、70年代80年代当時、男子として、彼の楽曲のファンであるということは、イコール、女々しい、軟弱、うざい、口説いというイメージがいつもついて回ったんですね。
音楽そのものを、女子にモテるためのツールとして利用していた不純な男子としては、このイメージは致命的。
デートでドライブなどというときは、さだまさしのアルバムのカセットは当然置いていきます。
カラオケで、さだまさしの曲を歌うなど言語道断。
長くて、暗い彼の歌は、一気に場のムードを盛り下げてしまうんですね。
ですから、彼の曲は、どうしても隠れて聞くこととなります。
これをあの当時「かくれさだ」といっておりました。
ところが、後々、友人と飲みに行ったりしたときに、この「かくれさだ」をカミングアウトいたしますと、意外に「実は俺もそうなんだ」とか「実は嫌いじゃない」いうやつが結構多かったんですね。
若い頃は聞かなかったけど、齢を重ねてくると、彼の曲は、小憎らしいほどに、琴線にふれてくるようになった。
演歌はちょっと苦しいけど、さだまさしなら聞ける。
自分が親父になってみて、やっとあの曲がしみてくるようになった。
そういう奴が、僕のまわりにも増え始めたわけです。
そして、いまはもうこの「かくれさだ」という言葉自体も、死語になってきました。
めでたしめでたし。
カラオケでも、彼の曲は当然解禁。
一緒に歌うのが、自治会のオバチャンやら、子育てもそろそろ終わりという友人たちばかりになりましたから、彼の曲を歌って、眉をしかめられることもなくなりました。
考えてみれば、僕らが40代50代になって、堂々と歌えるようになった曲を、彼はすでに20代の頃に作っていたわけですから、いかに彼の感性が、若い頃から達観していたかということでしょう。
今では、彼の楽曲を、ほとんど宗教のように崇めるコアなファンも多くいると聞きます。
音楽をやる不純な動機は、僕は今でも変わっていませんが、いまや、ビートルズよりも、さだまさしの曲をカラオケで歌う方が、おばちゃんたちのハートをつかめる時代になったというのは、40年越しに彼のファンだったものとしては感慨深いところです。
それでは、暗くて長い彼の歌を、胸を張って一気に歌わせていただきます。
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