さあ、さっぱりいたしました。
7月に、大量のビデオテープとカセットテープを処理して以降、足踏み状態であった我が家の断捨離プロジェクト。
なんとか、平日に休みをいただけたので、一気に片付けました。
エレベーターのない五階からの、担ぎおろしは、さすがにしんどい。
でも、これでひとまずのひと段落。
3LD Kのオンボロマンションですが、これで三部屋がスッカラカンになりました。
終わってみれば、さぱりすっきり心地よし。
余計なものは何もない、シェイプアップした部屋はけっこう快感です。
断捨離の心得。
「使えなくなったものを捨てる」ではなく、
「要らなくなったもの」を捨てるでもなく、
「今現在、使わなくなったもの」は潔く捨てる。
それくらいの気持ちでやらないと、まず家の中は片付きません。
断捨離を始めて以来、もちろん断腸の思いで捨てたものも多々ありますが、結果、捨てて困ったということは一切なし。
捨ててしまえば、捨てて後悔したものも一切なし。
つまるところ、どんな大事なものでも、墓場まで持っていけるわけではないということです。
要するに、暮らしに必要なものは、今現在使っているもののみということ。
もちろん、ものを大切にするということを、悪いこととは言いません。
「もったいない」は日本の美徳というのも文句を言うつもりはありません。
しかし、使わなくなったものを、後生大事に持っていることを、「美徳」と言うのには抵抗がありますね。
要は思い切りと覚悟の問題。
そんな境地に、やっとなれました。
そもそも「もったいない」という概念は、ものがない時代のそれと、現代のように、ものが溢れている時代のそれとでは、いささか違うような気がします。
ただ捨てられないという理由だけで、生活の中ではとっくにデッドストックになっているものを、抱えている無駄。
色々な意味で、今はこちらの方がはるかに「もったいない」という気になります。
ましてや、家族を持たない独り身。
これからは、自分の身の丈にあった生活空間だけあれば十分でしょう。
生きていくのに必要なスペースさえあれば文句はありません。
いらないものを処分して、広くなった我が家ですが、一度綺麗にしたからには、これからは余計なものは置かない。ためない。買わない。
残りの人生は、そういう意識にシフトする方が、はるかに「もったいない」に貢献できるような気がします。
これぞ暮らしのダイエット。
僕が何を残したところで、残された方は迷惑至極なもの。
結局、業者に依頼して処分してもらうしかないわけです。
ですから、残りの人生を、何年いただけるのかわかりませんが、ご臨終の時は、綺麗さっぱり何もないというのが個人的には理想。
残す家族がいないのですから、やはりそれが、さっぱりしていてよろしい。
しかしながら、独り身とはいっても、やはり人生は、自分一人でやっていけるとは思っていません。
どこへいっても、何をしても、そこそこ周囲の人に迷惑をかけないとやっていけないもの。
これからもまだまだ、色々な方のお世話にはなるのかもしれません。
でもせめて、自分が死んだ後の整理をしてくれるだろう肉親や関係各位に、極力迷惑はかけないというのが目指すところ。
「あんたたちには、なにも残せないけど、迷惑はかけない。」
それが口癖だった母親の死にっぷりが見事でしたね。
葬式代と、お墓の費用だけ残して、後は綺麗さっぱりなにもない。
こちらが拍子抜けするくらい鮮やかでした。
最後まで息子たちには、なんの負担もかけずに死んで生きましたね。
やはり、その息子としては、これは見習いたいと思う次第。
さあ、そうこうしているうちに、気がつけばいよいよ自分の人生を逆算しなければならない年齢になりました。
もうどこで、ここまでだよと言われてもおかしくない年齢に突入します。
一年後は還暦60歳。
でも、ここまで生きてきてしまったら、もういまさらジタバタしてもしょうがない。
どう生きても、なるようにしかならない。
ここらで一度、ギアをニュートラルに入れなおすのもいいかもしれません。
体はだいぶガタがきていますが、実はこれからの「老後」は、けっこう楽しみにしています。
今までのいきあたりばったりの人生のツケを払うのはこれから。
でも上等。
それはそれで、楽しんでいくことにいたします。
今回の断捨離をきっかけに、華麗なる終活人生のスタートとまいりましょう。
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