1937年のユニバーサル映画。
主演は、当時16歳のディアナ・ダービン。
今回初めて見たが、この映画と主演のディアナ・ダービンのことは、子供の頃、父親からよく聞かされていた。
父は、この映画がよほど印象に残っていたのだろう。
ディアナ・ダービンは、ハリウッドの元祖アイドル女優。
映画も、アイドル映画のお手本のような映画でした。
若き日の父も、それなりにミーハーであったようだ。
結婚する前は、母とデートでよく映画を見にいったということはよく聞かされていた。
母は、当時日本に駐留していた進駐軍の将校のハウスでメイドをしていた。
父親は、石油カルテックス(日本石油の前身)の新橋本社で、役員専用の運転手。
進駐軍の将校たちは、会社の上得意とあって、父はよく会社のお偉いさんを乗せて、代々木にあった将校たちのハウスには、出入りしていたらしい。
母とはそこで知り合ったらしい。
当時は、戦時中は見ることができなかった、戦前のアメリカ映画が解禁になり、雪崩のようにアメリカ映画が日本に入ってきた頃。
やはり、デートとなれば、見にいく映画は、辛気臭い日本映画よりも、圧倒的に豊かで明るいハリウッド映画だったらしい。
僕が後に、映画オタクになっていくのも、この両親の影響は大きい。
テレビの映画劇場で、当時の映画がオンエアされると、見終わった後はよく父の映画解説を聞かされた。
父と映画の話になると、よく出てきたのがディアナ・ダービンだった。
しかし、当時の僕は、その名前を知らなかった。
ディアナ・ダービンは、歌って踊れて演技もできる少女スター。
当時は、シャーリー・テンプルという圧倒的人気を誇った天才子役もいたし、歌って踊れるということなら、あの「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドもいた。
しかし、父はこの正統派美少女のディアナ・ダービンが、殊の外お気に入りだったようだ。
正統派美少女といえば、子役からスタートしたエリザベス・テイラーもいたが、父親の口から「リズ」の名前が出てきたという記憶はない。
やはりこの、「オーケストラの少女」のディアナ・ダービンの印象が強烈だったらしい。
そういえば、当時の母の写真を見ると、その髪型が、ディアナ・ダービンを意識していたことが伺える。
母親の髪型が、ディアナ・ダービンのようだったから、父は母を見初めたのか。
あるいは、付き合ってから、大好きなディアナ・ダービンに似せてもらったのか。
今となっては、想像するしかない。
アイドル女優の常として、彼女の全盛時代は短かったけれど、その頂点で撮られたこの映画はやはり輝いている。
この映画のもう一つの売りは、当時絶頂だったクラシックの指揮者レオポルド・ストコフスキーが、楽団ごとこの映画に出演していること。
彼は、この年のアカデミー音楽賞を受賞。
Wiki してみると、この映画のファンはかなり多い。
作曲家の芥川也寸志、指揮者の岩城宏之、俳優の大滝秀治。
そして、黒柳徹子が、生まれて初めて見た映画が、この「オーケストラの少女」とのこと。
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