さて、3日目。
ホテルの朝食は、ここでは普通のメニュー。
しかし、テーブルについた二人が、厨房に入っていって、チャーハンをもらってきて食べ始めたので、結局それも頂いてしまって、またまた食べ過ぎ。
本日は、ハの町を散策してから、ティンプーに向かいます。
ハの街はハ・チュ(川)沿いに広がる小さな街。
街並みらしいのは、歩いて五分ほどのエリア。
ここ以外は、ほとんどがのどかな農村です。
本日は、日曜日。
ここでも、サジバザール(野菜市場)がオープンしていました。
百姓としては、やはりここが見ていて一番楽しい。
ここに来て、畑で採れた野菜を広げるのには場所代が必要。
でも30ヌルだといいますからかなりお安い。
日本円で言えば、50円くらい。
日本で見かける野菜も多いのですが、微妙に姿形が違っていておもしろい。
しかし、なんといっても圧倒的に豊富なのが唐辛子。
ブータン料理の味つけのエースです。
緑の野菜はすべて唐辛子。
キンレイさん曰く、真ん中右側の、丸い唐辛子が、一番辛いとのこと。
種類も豊富です。
紫のも、白いのも大根。そして人参、カリフラワー。
これは、きいたけれど失念。
ニンニクとしょうが。わけぎ。でかいのは、ゴーヤの仲間と教えてくれました。
唐菓子と茄子とトマト。
りんごは少し小さめ。
手前のは西瓜。まん丸ではありません。
バナナと、マンゴー。
その隣はジャガイモ。
これは、日本では見たことのない野菜。
やはりゴーヤの一種だといってました。
手前のは玉ねぎ。
野菜はすべて、大きさも形もバラバラ。
ここではすべて量り売りです。
昔の日本もそうでした。
今の日本のスーパーのように、綺麗に大きさが揃って並べられている野菜は皆無。
これを見ただけで、ブータンの農業がほぼ自然農法であることがわかります。
百姓ならわかります。こちらの方が健全です。
これは、チーズの燻製といってました。
これはサトウキビ。
もちろん、コメも麦もブータンで作られていますが、野菜市場ですから、ここには並んでいません。
しかし、おもしろい。
ここなら何時間でもいられそうです。
さて、街に出て、いろいろなお店を訪問。
ここは肉屋。
ブータンでは、仏教の教義の関係で、殺生を表向きにはできないので、肉に関しては輸入が多いといってました。
でも、ブータン国内では、肉の消費は減少傾向。
やはり、豊富な野菜の需要の方がのびているそうです。
今回の、旅行の食事には、ほぼ肉料理はありましたが、これはやはり観光客用のメニューということなのでしょう。
洋服屋にならんでいる服は、全部自家製。
ミシンで一枚一枚縫っていました。
雑貨屋。
当然コンビニはありません。
生活に必要なものが、雑多にならんでいます。
もちろん、どの店にも、エアコンなんて、気の利いたものはありません。
エアコンを見かけたのは、ホテルだけ。
これは、家の軒下で風呂敷を広げている個人商店。
日本で言えば、フリーマーケットのノリですね。
さて、それから次に向かったのが、街のはずれに建つブータンでも指折りの名刹がラカン・カルポ。
ラカンとは「お寺」、「カルポ」は「白」。
近くには、「ナクポ」という「黒」のお寺もあります。
8世紀にソンツェン・ガンポが瞑想する場所を決めるため、チベットから放った白い鳥と黒い鳥が止まった場所に建っている為この名前が付けられました。
さて、ハの町を歩いた後は、またシェルレ峠を越えて、ブータンの首都ティンプーに向かいます。
山道から、見下ろしたハの町。
緑の屋根のあるところに、インド軍の駐屯地と、ブータンの軍隊の居留地があります。
合同演習なども行われており、その関係でハの街に観光客が行けるようになったのはつい最近のこと。
それまでは、パロからは、シェルレ峠まで来て、高山植物を見て戻るというコースだったそうです。
パロに向かう途中で立ち寄ったのが、ダショー・ニシオカの記念碑のある国立苗センター。
ダショー・ニシオカは、ブータンでは最も有名な日本人。
1964年に、海外技術協力団の一員としてコロンボ・プランに参加。
奥さんとともにブータンに赴任。
ブータンの農業の基礎を作った方で、「ブータン農業の父」と呼ばれている人です。
1980年に、「国の恩人」として、当時の国王から、最も優れた人を意味する「ダショー」の称号を与えられました。
ここは、今回の秋篠宮ご一家の訪問先の一つに選ばれていて、入り口から記念碑までの道は、ご覧のように綺麗に整えられたそうです。
しかし、残念ながら、訪問はキャンセル。
今回は、その綺麗にされたダショー・ニシオカの記念碑に向かう道を、訪問されなかった秋篠宮ご一家の代わりに、僕が歩かせていただきました。
ティンプーの町に入ると、道路の両側に、ブータンでおなじみの五色の曼荼羅の旗。
これも、秋篠宮ご一家のために、ブータン側が用意したもの。
普段はないものだそうです。
ティンプーに到着後、ランチ。
メニューは以下の通り。
レッドライス。
焼きそば。(日本の味付けとはかなり違います。)
キャベツとキクラゲの和え物。
唐辛子の和え物。
豆とカレーのスープ。
チキンの煮物。
ほうれん草のサラダ。
ティンプーの街中は、さすがに賑やかです。
しかも本日は日曜日。
私服で、闊歩する若者たちも多い。
ブータンでは、飛行機のキャビン・アテンダント以外で、化粧をしている女性は、ほぼ見かけなかったのですが、ここではチラホラ。
さて、ティンプーで最初に向かったのは、タシ・チョゾン。
ここは、日本でいうと、霞が関の役所が一つの建物に集まったようなところ。
周囲は緑に囲まれた中に伝統的なブータン様式の古い建物もあります。
東西南北に高い塔のような建物があり、それを繋ぐように建物があり、囲まれた中にも、また仏教建築様式の建物があります。
国王のオフィスも、ここにあるそうです。
入り口は国王やVIP用のものと、役所の一般職員用のもの。
そして、一般の観光客用のものと3つ。
入口では、センサー式の持ち物検査があるのですが、キンレイさんが、「日本からのゲスト」といてって、ブータン発行の僕のビザを見せると、「OK」といってパスになりました。
ここは、月曜日から金曜日の平日9時から5時までは、オフィスワークのため、観光客は立ち入り禁止。
5時以降は見学オーケーで、土日は、丸一日観光客用にオープンしています。
ちなみに、キンレイさんは、こういうオフィシャルな建物や、お寺に入るときは、制服のゴの上に、必ず白いショールのようなものを羽織っていました。
さて、次に行ったのがティンプーの尼寺、ドゥプトプ尼僧院。
またの名を『ジルカ尼僧院』と言い、ブータン各地に鉄の橋を建設したことで有名なタントン・ギャルポの化身が建てたとされる尼寺です。
タシチョ・ゾンを上から見下ろせる高台に位置しています。
キンレイさんの説明によれば、ブータンでは、男性僧も女性僧も、修行の内容は特に変わらないとのこと。
ただ、住まいだけが別になっているそうです。
日本では、尼寺というと、「駆け込み寺」や「縁切り寺」のイメージがあり、不幸な女性たちの逃避場所というイメージがありますが、ブータンでは、宗教上も男女平等。
寺内には、大小様々なマニ車があり、その下に座り込んで、一日中お祈りをしているという高齢女性が多数。
犬たちも、あちらこちらで、のんびりくつろいでいます。
お堂の中は、撮影禁止なのですが、ちょうど、女性僧たちが、二列に並んでお経を読んでいました。
みんな髪を短く切り込んでおり中には、少女のような若い女性僧も大勢います。
女性といえば、ティンプーの町の中では、青い目の女性僧もみかけました。
頭も一部刈りで、宗教服に身を包んでいましたね。
さて、ホテルに到着。
夕食はこんな感じ。
今回は、一品ずつフルショットで紹介しましょう。
これは、ブータン風のナン。
サラダ。ドレッシングはちょっと辛かった。多分唐辛子入りです。
これは、裕仁様も記者からの質問で「美味しい」といっていた干し肉の炒め物。
やはり唐辛子入り。
ブロッコリー、しいたけ、ピーマンの和え物。
これは、初日の民家でいただいた水餃子モモを揚げたもので、ティンプーだけの特別料理と言っていました。
カリフラワー、玉ねぎ、人参、ピーマンの炒め物。
そして、これがどこへ行っても出てくる唐辛子ふんだんの煮物のようなサラダ。
ブータンの人は、これがかなり好きなようです。
かなり辛いけれど、クセになりそうな味。
しかし、ブータンの料理は僕好み。
しかも、キンレイさんも、デチェンさんも、僕の皿がなくなりかけると、どんどんよそってくれちゃうので、ここは強い気持ちを持って、「NO thank you」を言わないと、本当に帰る頃にはえらいことになりそうです。
そこで教えてもらったゾンガ語。
「ミジュール!」(もう結構!)
ちなみに、もう一つ教えてもらったのはこれ。
「ジンベ!」(美味しい!)
さて、ブータン旅行も3日目。
僕は、親父の一人旅なので、どこへ行くにも、ガイドのキンレイさんと並んで歩くことになります。
これが、ちょと観光客を連れて歩いているようには見えないらしい。
このキンレイさんには、どこへ行っても友人がいます。
街で知り合いに会うと、ブータンでは、友人同士でも必ずちゃんと握手をします。
そうすると、僕はとりあえず、教わったゾンガ語で挨拶。
「クズサンポーラ」(こんにちわ)
「カーディンチェラ」(ありがとう)
ところが、覚えた言葉は少ないのに、どうもその発音がよいらしい。
その友人たちが、みんな口を揃えていうのが「ブータンの人かと思った。」
どうも、僕の顔は、かなりブータンのネイティブっぽいらしいようです。
キンレイ、デチェンのコンビは、僕が帰国した後は、また日本の若いカップルを三日間ガイドするとのこと。
そこで、もしも相手の言っていることがわからなかったら、相手が若いこと限定で、オールマイティに使える便利な日本語を3っほど教えました。
それはこれ。
「マジ〜」
「ヤベエ」
「スゲエ」
二人はこれが、かなり気に入ったようで、以後これを連発。
そして、反対に僕の方は、彼から、ブータンで女性を口説くためのゾンガ語を二つ教えてもらいました。
「チェ・ジャリム・トゥ」(あなたは美しい)
「カ・ギ・チェル・ガ」(愛してます)
そして、ドライバーのデチェンさん。
いろいろコミュニケーションしているうちに、どうもプレイボーイで、女好きのジョゼィ(スケベ)であることがわかってきました。
ブータンにも、こういう人がいたのはラッキー。
そこで以前、北京に行った時に、成功した奥の手を使うことにしました。
iPadに、あらかじめ仕込んでおいた日本のアダルト・ビデオを見せたんですね。
そして、これが我が家には山のようにあることを、さりげなく伝えました。
すると俄然、彼の目が爛々。
見てください。この顔。
この後、4日目の彼のサービスぶりが、明らかに違ってきたことを、あらかじめ申し上げておきましょう。
その4日目のレポートは、カミング・ズーン。
いやあ、ブータンは楽しい!
面白いね
旅日記を出版しなくてはいけないね
投稿情報: 大五 | 2019年8 月28日 (水曜日) 午後 09時13分
ありがとうございます。
まだ撮ってきた動画は一切手をつけていないので、これから徐々に、そちらも紹介していきます。
投稿情報: Sukebezizy | 2019年8 月28日 (水曜日) 午後 09時21分