この映画は、ブータン旅行に旅立つ前日に、予習の意味で、サクッと鑑賞しました。
そして、帰国後、改めてもう一度鑑賞。
1993年の映画です。
監督は、「暗殺の森」「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のベルナルド・ベルトリッチ。
イタリアの巨匠です。
「ラスト・エンペラー」「シェルタリング・スカイ」に続く、「東洋3部作」の最後。
キリスト教の国イタリア人の監督の目からは、はたして仏教がどのように見えたか。
そのあたりが、興味深いところでしたね。
思い出すのは、1961年の映画産業がまだ華やかりし頃の大映京都作品に、そのものズバリの「釈迦」という映画がありました。
当時の大映オールスター出演作品。
この映画で、ブッダを演じたのは、当時大映で売り出し中だった本郷功次郎。
勝新太郎なども出ていてインド人を演じていましたが、これをスタジオ撮影で作ったものだから、どうにも違和感ありまくり。
お金はかけていたのはわかりますが、かなり空回りしていた印象の強い映画でした。
日本人の感覚で、お釈迦様を映像にするとこういうことになる。
さあ、それなら世界の巨匠が、これを映像にするとどうなるのか。
まず、この映画で、ブッダを演じたのは、撮影当時29歳のキアヌ・リーブス。
この人、もとも東洋的な顔立ちをしているので、彼のヤング・ブッダは、日本人の本郷功次郎が演じたブッダよりも、僕としては違和感はなかったですね。
でも、映画では、彼が「覚り」を開くまでのストーリーは、実は本編とはまったく関係のないサブ・ストーリー。
映画の本筋は、パロ僧院のお坊さんが、自分の師匠の生まれ変わりという、3人の子供をブータンに連れてきて、本懐を遂げ、瞑想しながら成仏していくというお話。
この二つのストーリーを上手に絡ませた構成。
おっと、このスタイル、どこかで見覚えがあるぞ。
これはピンときました。
フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファザーPart II」ですね。
アル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネがファミリーを巨大化させていくストーリーと、ロバート・デ・ニーロ演じる若き日のドン・ビトー・コルレオーネが、マフィアのドンになっていくまでの成り上がりストリーを見事にシンクロさせた構成。
ベルトリッチ監督が、この映画の構成を意識していたことは、どうも間違いなさそうです。
この二つの物語を、上手に絡ませながら、西洋の人にわかりやすく仏教を解説したベルトリッチ流仏教入門映画が、この「リトル・ブッダ」と言えるでしょう。
ベルトリッチ監督の、東洋へのリスペクトが、ヒシヒシと感じられました。
実際に、ブータンに行ってみて感じたことは、ほとんど日常レベルの感覚で、彼らは、リインカネーションを信じていること。
輪廻転生ですね。
だから、ブータンの人たちは、むやみな殺生はしません。
野菜中心の食生活。
肉のほとんどは、インドからの輸入と言っていました。
この映画が、ブータンのパロ僧院で、ロケ撮影されたのは、ブータンの人なら誰でも知っていること。
そのパロ僧院も、見学に行きましたが、あの少年僧の姿もすべて、そこにある風景は、映画が撮影された当時から、ほとんど変わっていませんでした。
映画の中で、不思議な老人が佇んでいた屋根付きの橋も、実際に、このパロ僧院を下った、パロ チュ(川)にかかっていた橋。
もちろんそこにも行ってみました。
顔がにやけているのは、ご愛嬌ということで。
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