高峰秀子の名前は、彼女の映画や本に触れる随分前から知っていました。
実は、小学生の頃からですね。
なぜか。
すでに亡くなっている我が父は、7人兄弟でした。
上に二人姉がいて、長男の父。
そして、また二人妹がいて、その下にまた弟が二人。
現在存命なのは、一番下の妹と、上の弟だけになりました。
僕の叔父と叔母に当たりますね。
この存命の叔母は、すでに80歳を超えているのですが、若い頃はとても綺麗な人でした。
聞くところによれば、もっと若かった頃は、映画俳優のハシクレだったそうです。
本人は「大部屋女優」だからと謙遜して、詳しいことは一切語りませんでしたが、その叔母がいつも言っていたこと。
「私なんかより、泰子姉さんの方が、ずっと美人だったわよ。高峰秀子みたいなんだから。」
これを小さい頃の僕は、幾度となく聞かされていました。
どうやら、高峰秀子という女優は、うちのオバサンよりも、ずっと綺麗な人のようだ。
僕は、父親の兄弟たちの話を聞きながら、その名前だけは、しっかりとインプットすることになります。
その「泰子ねえさん」というのは、父の一番上の姉。
過去帳をみると、大正末年の生まれですから、ほぼ高峰秀子とは同年代です。
彼女は、昭和37年に子供を三人残して、若くして亡くなっていますから、当時3歳だった僕の記憶には、全く残っていません。
彼女の存在は、話の中で伺い知るのみ。
のちに、映画を浴びるように見るようになって、銀幕女優・高峰秀子の存在を意識するようになってからは、どうしてもその叔母の写真が見たくなって、僕の従兄弟にあたる、彼女の息子の家へ押しかけて、残っている古いアルバムを見せてもらいました。
それをスキャンさせてもらった写真が、手元に一枚だけありますが、家族でボート遊びをしている「泰子おばさん」は、確かに美人。
その時すでに三人の男の子の母親でありながら、おばさん臭いところはまるでなく、まるでモード雑誌から抜け出てきたような輝きがありました。
まだ、少女だった妹たちには、確かに銀幕のスターのように、見えたかもしれません。
以来、彼女の作品を見るたびに、僕の脳裏には、亡くなった叔母の姿が、どうしてもオーバーラップするようになりましたね。
失礼。前置きが長くなりました。
さて、映画ファンで、高峰秀子を知らない人はいないでしょう。
言わずと知れた、日本映画界が誇る銀幕の大スター。
スクリーンデビューは、1930年。彼女が5歳の時。
映画女優としてのキャリアは、50年。
54歳で映画界を引退するまで、日本映画のトップランナーとして、常に第一線を走ってきた大女優です。
その彼女は、実は文章を書かせても超一流。
僕が初めて、彼女の文章の魅力に触れたのが、「私の渡世日記 上下巻」
自らの半生を、かなり生々しいところまで、独特のユーモアとウィットにあふれる文章で語り尽くした内容。
よくある、タレントの自伝本とは、明らかに一線を画す一冊でした。
とにかく面白かった。
もちろんそれまでに、映画の方では、彼女の出演作品は数多く見ていました。
「浮雲」「二十四の瞳」「無法松の一生」などなど。
スクリーンの中での彼女の美しさには、魅せられっぱなし。
「イングリット・バーグマンなにするものぞ。日本には高峰秀子がいるわい。」
僕は本気でそう思っていましたね。
そして、年齢を重ねるごとに、その幅を確実に広げていく彼女の確かな演技力。
日本の代表的な映画を片っ端から見ていけば、彼女の出演作品には幾度もめぐり遇います。
そのスクリーンでの、彼女の魅力は充分に知った上で、出会ったのが彼女のエッセイ。
これがなかなかでした。
「天は二物を与えず」と言いますが、一流の人は、結局何をやらせても一流なんだとつくづく納得してしまった次第。
なんで、黒澤明は、この日本を代表する大女優を、自作で一度も使わなかったのか。
小津安二郎監督や、木下恵介監督の素顔。
夫・松山善三との結婚までの経緯。
すべて、この本で知りました。
以来、彼女のエッセイは、何冊か読んでいますが、実は未だに手をつけず、iPad の中に眠りっぱなしの本も多数あります。
そんな中から、今回、旅先の電車の中で、引っ張り出してきたのが本書。
高峰秀子・松山善三・斎藤明美の共著ということになっています。
高峰は、2010年に、86歳で他界していますが、これはそのあとで出版された本。
高峰秀子への追悼本ということになります。
松山善三と高峰秀子の養子となった斎藤明美が、高峰や松山の未発表の文章と、自らの思い出を、たくさんの写真入りで綴った、事実上、高峰秀子としては最後の一冊。
これまでの彼女の著書のエッセンスが、品良くまとめられており、茨城までの往復の電車の中で一気に読んでしまいました。
まずは、収録されている写真。
これが、本当にたまりませんでした。
本書には、彼女の映画のスチールなどは一切登場しません。
そんなものは、他のムック本で見てくれと言わんばかり。
女優然とした、着飾ったお澄まし写真も一切なし。
すべて、夫妻の暮らしの中の、さりげないシーンが、淡々と収められているのみ。
これが実にいいんだよな。
まるで、そこにカメラなどあると思っていないような、自然なカットばかりでした。
女優というのは、メイクアップした完全武装の姿でないと、人前には出られない生き物。
そういう話はよく聞きますが、彼女の場合はさにあらず。
その普段着の魅力が、銀幕の魅力をも凌駕する。
そういう女優は、稀有でしょう。
家庭人としても、彼女が超一流だったとを物語っています。
掲載の写真を使うと怒られそうなので、イラストにしましたが、拙い絵からでも、夫妻合作の家庭から、「幸福」の香りが匂い立っているのがわかります。
夫妻が、老年になってから養子を取っていたことは本書で初めて知りました。
斎藤明美は、元々は、高峰のエッセイを本にした出版社の担当者だったとのこと。
そして、もうひとつ本書で知ったこと。
同じくこれも老年になってからですが、夫妻は、「身の丈に合った暮らし」をしたいということで、麻布の高台にあった3階建ての教会建築だった大豪邸を取り壊して、小さな家に建て替えたということ。
住もうと思えば、一生その大豪邸に住むこともできたはずなのにです。
こんなことって、できるもんですかね。
成功者が、大豪邸を構えるという話なら、いくらでも聞いたことがありますが、その反対となると、とんと聞いたことがありません。
どんなに高価なものでも、要らないものは全て捨てる。
本当に自分たちの気に入ったものだけが、側に置いてあれば、あとは思い出だけでいい。
夫婦が、きらびやかで豪華なモノには一切執着しなかったという確かな証しです。
なんとも、かっこいい。
芸能界という一種異様な世界に身を置いていた二人が、いかに、その世界に流されず「正気」を保っていたか。
それは、彼女のエッセイが、きらびやかな映画界や名だたる著名人を必ず一歩引いた視線で観察していたことや、いつでも、さりげない日常や、旅の一コマに、筆が向かっていたことからも想像がつきます。
幼少の頃から、映画に出演することで、一家の暮らしを支えてきた彼女。
それ故に、学校に行くことも、恋愛をすることもままならなかった彼女。
自分の意志の及ばない運命のレールに乗って「銀幕のスター」を演じてきた彼女。
その彼女の人生は、松山善三氏との結婚を境に、徐々に軌道修正されていきます。
最初は共稼ぎ夫婦として、二人三脚で仕事をしながらも、家庭の主婦も完璧にこなしていった彼女。
松山善三氏の著作の、口述筆記をしていたのは彼女でした。
そして、54歳で、スパッと女優を引退。
以後は、自らの執筆活動に専念。
そして、老年になってからの、身の丈に合った小さな家への建て替え。
その節目節目の決断にはとにかく躊躇がない。
見事です。
その間、彼女の中心にあったのは、仕事よりも、常に夫婦の日々の暮らし。
これが最後までブレていなかったことが、本書に収録されている、どの写真からも推測できるわけです。
高峰秀子の人生を改めて振り返れば、それは、図らずも、人気女優として生きてこなければならなかった自らの人生へのオトシマエを、きっちりつけた一生だった。
そういえるかもしれません。
スター女優として、いろいろなことを犠牲にしてきた彼女が、最後にどうしても獲得したかった暮らし。
それをしっかりと手に入れた上で、最後は、老いた夫を、娘に預けて彼女は他界します。
これもなんとも見事。人生の収支決算が完璧です。
かく言う僕もいよいよ老境。
まったくいいタイミングで、この本を読ませてもらいました。
彼女の人生とは比べるのもおこがましい、恥ずかしい限りの60年ではありましたが、こんな人生ではあっても、最後はやはりどうオトシマエをつけるか。
彼女の見事過ぎる人生を見習って、ちょっと真剣に考えてみようという気になっています。
高峰が逝った6年後の2016年、松山善三氏も、一人娘に看取られて他界。
天国で、食事の支度からは解放されて、静かに読書を楽しんでいたはずの彼女でしたが、「夫・ドッコイ」が側にやってきたことで、重い腰を上げて、また忙しく食事の支度に精を出しているかもしれません。
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