「午前十時の映画祭」が、ずっと以前から気になっていました。
映画史上に残る名作を、リバイバル上映している企画。
もちろん、そのほとんどは、学生時代に見たものばかり。
映画館に足を向けなくなって、久しくなりますが、やはりそのラインナップを見ると、かつての映画フリークの血は騒ぎます。
午前十時の上映とあっては、現役時代にはなかなかいけませんでしたが、今は定年退職の身。
依頼されていたビデオの編集が、早めに片付きましたので、平日の午前中に出かけてきました。
今は映画館とは言わず、シネコンと言うのだそうですが、実は我が家のすぐ近くにもあります。
スケジュールを検索してみると、本日初日だったのがこの映画。
これは、再見するにはもってこいの一本でした。
はっきりと覚えています。
この映画を見たのは、ロードショー公開されていた1972年当時。
有楽町にある「丸の内ピカデリー」でした。
僕はまだ中学生。
かなり過激な映画でしたから、本国イギリスなどの上映では、年齢制限もあったようですが、あの当時の日本にはそれがあったかどうか。
でも、記憶ではちゃんと、ロードショーの学生料金で一人で見にいってますね。
さて、まずははっきりと白状しておきましょう。
当時の僕が、お小遣いの全てを、なぜ映画鑑賞に、惜しみなくつぎ込んでいたのか。
その理由は1つです。
ただただ、映画の中の、エッチなシーンを見たかったから。
これだけ。
本当にただこれだけです。
今のように、AVなどなかった時代です。
色気盛りの中学生が、女性の動くヌードを見たいと思ったら、ほんとに映画しかなかったんですね。
貧乏本屋の息子ですから、それほど、潤沢なお小遣いがあったわけではない。
ですから、その少ないお小遣いの中で、見る映画だけは精査しました。
情報源は、当時の映画雑誌「スクリーン」「ロードショー」です。
なにせ、本屋の息子ですから、こけだけは自由になります。
そこで映画紹介のスチールを隅から隅までチェック。
もちろん、そのスチール自体に、女性の裸が出て来れば、文句なくリストアップ。
そうでなければ、出演女優や、ストーリー展開から、ヌードやセックスシーンがあり得ると踏んだ作品を選びます。
もちろん、外れもありましたが、スケべはそんなことではめげません。
自慢じゃありませんが、なにせなけなしの小遣いです。
どんなに名作であろうと、絶対にヌードなどあり得ない、ミュージカル映画や、子供向け映画など、当時は見向きもしませんでした。
そんな映画も見るようになったのは、すべて大学生になってから。
一応、「映画マニア」で通っていましたから、その帳尻合わせですね。
前置きが長くなりました。
さて、この「時計じかけのオレンジ」です。
この作品は、あの当時、映画の公開前から、とにかくスケべ中学生の血を騒がせていました。
スタンリー・キューブリックが、この映画に仕掛けたのは、人間の本能に潜む暴力性と、管理社会のジレンマを痛烈に風刺したブラック・ユーモア。
しかし、当時の13才には、そんな能書きは関係なし。
とにかく、なんといっても、この映画の宣伝スチールには、これでもかというくらいヌードとセックスシーンのオンパレード。
おいおい待て。
映画では、これが動くのか。
これは見に行くしかあるまい。
ただ、ひたすらそれでした。
おそらく、あの当時、「丸の内ピカデリー」は、日比谷の映画館の中でも、ワンランク上。
確か「ゴッドファーザー」なんかもやっていた映画館でした。
(ちなみに、「ゴッドファーザー」も、ワンシーンだけヌードがあったから見にいきました)
ちょっと、料金も高めだった記憶ですが、そんなこともなんのその。
ただただ、エロいシーンを見たい一心で、胸躍らせて、京浜東北線に乗った記憶があります。
映画は、のっけからバイオレンスシーンのオンパレード。
ホームレスの滅多打ち。
デボーチカ(女)を輪姦しようとしているグループとの喧嘩。
郊外の家へ押し入って、「雨に唄えば」を歌い踊りながらの暴力と強姦。
とにかく、ドキドキしっぱなしでした。
なかでも、もっとも衝撃的だったのは、お目当てのヌードシーンに必ず出現する⚫️。
あの当時は、まだボカシではなかったんですね。
ふんだんに登場する女性のヌードのヘアの部分には、必ず⚫️が浮遊していました。
これです。
あの向こうには、いったい何が見えるのか。
当時の中学生では、それは想像するしかなし。
しかし、この⚫️のせいで、本当なら、生唾ごっくんというシーンが、なんだかユーモラスになってしまい、とてもエロい気持ちになれなかったのはよく覚えています。
その映画を、本日は、ほぼ47年ぶりに再見というわけです。
この映画は、あまりの抗議の多さに身の危険を感じたスタンリー・キューブリックが、映画の公開を途中から差し止めてしまったために、その後に再度公開されたのは、キューブリックが亡くなった後。
もちろん、僕もロードショー公開以降は一度も見直す機会はありませんでした。
そして今回の、デジタル・リマスターによる「午前十時の映画祭」でのリバイバル公開。
公開当時は13才のスケべ中学生も、今では定年を迎えたばかりの老人新入生。
時の経つのは早いものです。
しかし、いくら年を取っても、こちらのスケベゴゴロは健在です。
よもや、令和のこの時代に、⚫️はあるまい。
ましてや、デジタル・リマスター。
本日はそれを、確認しに映画館に向かった次第。
では、これから、この映画を観る方のために最初に報告だけしておきます。
ご安心ください。
あの忌まわしい⚫️は、今回のデジタル・リマスター版には一切なし。
日本語字幕以外は、キューブリックが、編集したそのままが鑑賞できました。
まずはなにより。
めでたし、めでたし。
さて、それはそれとして、本題。
こちらも還暦を迎える歳になると、映画への興味も、さすがに、それだけではなくなってきます。
今回、およそ50年ぶりに再見して、なんといっても、興味深かったのは、キューブリック監督がイメージした近未来。
映画では、「近未来」というだけで、正確な年代は特に示されていません。
なんといってもカメラマン出身で、ビジュアル派のキューブリック。
1968年に制作された、「2001年宇宙の旅」で、彼がビジュアル化した2001年という未来は、舞台が宇宙空間であったことと、その哲学的で難解な映像で、なんだか煙に巻かれた感じ。
リアルもへったくれもない、ただただ圧巻の映像絵巻でした。
しかし、今回の未来は、ロンドンが舞台。
若者の風俗を中心に、1970年代初頭、キューブリック・チームによって、イメージされた近未来の社会が、どう具体的な映像にされたか。
それと、今50年経って、まさにその「近未来」となった現代との、答え合わせがなかなか楽しめましたね。
まず、キューブリックがこだわったのは言葉でした。
映画の字幕を見ていても、なんだか訳のわからない単語が頻繁に登場します。
これはすべて、未来の若者たちのスラングという設定。
Wiki してみますと、これはナッドサッド語という、この映画の原作となった小説を書いたアントニー・バージェスが作った言語。
英語に、ロシア語のスラングをミックスさせた言葉だそうです。
でも、これがいかにも、ありそうな未来言葉でニンマリ。
「あの野郎をトルチョック」とくれば、「あいつを殴ってやる」
「デボチカを、インアウト」とくれば、「あの女と××する」
「ヤーブルに一発」とくれば、「股間にパンチ」
映倫コードにひっかかりそうなワードも、この訳の分からない言葉に置き換えると、リアルな未来に聞こえるのと同時に、映倫への対策にもなるという上手な手法。
あの「スターウォーズ」などは、もっともっと先の未来の映画なのに、使われている言葉は現代の標準英語。
おおかたのSF映画が、そうであることは、言うまでもなく、「映画公認のウソ」なのではありますが、それはいわば、映画を観る側と、作る側の暗黙の了解。
そんな野暮なことは言わず楽しめよと言う世界なのですが、キューブリックの描く未来は、このあたりも芸がこまかい。
ちゃんとツッこんできます。
キューブリックの思い描く未来が、もっとも際立つのがやはり美術。
出て来る車。部屋の中。家具。ステレオなどの音響設備。
このあたりの大道具、小道具のデザインは、さすがに、お金をかけているなという感じ。
完全に「納得いく」近未来です。
中でも、圧倒的なのは、主人公アレックスたちが、たむろすコロバ・ミルク・バーのセット。
ひとつひとつをよく観ると、なんとも卑猥なオブジェが、その洗練されたポップなデザインで、アートにまで昇華しているのがお見事。
やはり、これは今見ても圧巻です。
「時計じかけのオレンジ」の、まさにアイコンとも言うべき美術でしたね。
しかし、さしものキューブリックでも、予想できなかったもの。
今この映画を観る僕たちは、その正解を3つ知っています。
そのひとつは、まずパソコン。
映画の中に、登場する作家は、自宅で使っていたのは、どう見てもタイプライター。
これが、ワードプロセッサーになり、やがてパソコンになるという進化は、キューブリックのスタッフも予想できなかった模様。
そして、もうひとつは、CDやDVDなどのディスク文化。(今では、Blu-ray)
映画の中での音楽メディアは、まだオープンリールや、カセットテープでしたね。
1970年初頭は、ちょうどカセットテープが売れ始めていた頃。
このカセットのミニサイズが、映画では登場していましたが、それはまだ世には出ていませんでしたから、キューブリックの想像もそこまで。
映画の中では、アレックスが、レコード屋で、女の子をナンパするシーンも出てきますが、あそこに並んでいたのは、明らかにレコード。(レーザーディスクではないでしょうね)
今は亡き、キューブリックも、音楽のメディアが、ダウンロード・ファイルから、さらに進んで、現在のサブスクリプションになっていようとは夢にも思わなかったでしょう。
ちなみに、そのレコード屋のシーンで、レコードの一番目立つところに、さりげなく「2001年宇宙の旅」のサントラ盤が置いてあったのに気がついてニヤリとしてしまいました。
キューブリックは、やはり芸がこまかい。
そして、もうひとつは、やはり携帯電話から進化したスマホ文化。
これを、50年前のSF映画クリエイターたちに想像しろという方が酷な話ではありますが、その未来に住んでいる、今の我々としては、このあたりも昔の映画を再見する楽しみどころのひとつ。
それから、今日鑑賞してみて面白かったことがもうひとつ。
50年前に見たときにはなんでもく見られたのに、今回は正視できなかったシーンがありました。
アレックスが、捕らえられて、刑務所で「ルドヴィコ療法」を受けるシーン。
彼は、その暴力性の矯正のために、瞬きできないように、特製クリップで両目を開いたまま固定されて、バイオレンス映像を強制的に見せられます。
実は、アレックス役の、マルカム・マクドゥエルは、この撮影の時に、クリップが外れるという事故にあって、角膜を損傷しています。
これを、後年になって、キューブリック映画のトリビア知識として知ってしまった上で、今そのシーンを見ると、もうダメ。
実際に見てはいない、その事故の映像が脳裏に浮かんできてしまって、ちょっとこのシーンは見ていられませんでした。
思わず下を向いて、ポップコーンをポリポリ。
トリビアといえば、この「ルドヴィコ療法」
これは、映画の原作者アントニー・バージェスの創作ですが、見ていて思い出してしまったのが「ロボトミー手術」。
こちらは、映画同様、暴力性を矯正するために行われた、完全な外科手術です。
実際に行われていた手術ですね。
かのアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの実の妹であったローズマリー・ケネディが、父親の命令でこの手術を受けさせられたのは、知る人ぞ知る有名な話。
彼女はその後どうなったか。
結局彼女は、短命のケネディ家の中にあって、86歳の長寿を全うしましたが、この手術の後遺症で、人格は完全に破壊されてしまいました。
晩年は、廃人同様となって過ごしたそうです。
ケネディ家は、この件を完全に隠蔽しましたが、やがてマスコミに嗅ぎつけられ糾弾されます。
この原作が書かれたのが、ちょうど、ケネディ大統領の在任当時の、1962年ですから、多少なりとも、この件が原作のヒントになっていたかもしれません。
この「ロボトミー手術」を真っ向から取り上げた映画としては、ミロス・フォアマン監督の「カッコーの巣の上で」がありますね。
最後、主人公アレックスは、政府公認のもと、その暴力性を取り戻します。
「俺は、完全に戻った!」
そりセリフにかぶさるあの強烈なラスト・カット。
映画終了後、僕の前に座っていた若者が、ボソッとこうつぶやきましたね。
「なんなの? あのラスト。」
そこの若いの。
あの意味が、わからないかい?
しかしそれは、完全に、スタンリー・キューブリックの老獪ないつもの手口。
彼の思うツボです。
いいの。いいの。わからなくて。
また何十年かしたら、見てごらんなさい。
きっと何か見えてくるから。
オジサンとしては、今ならあの頃よりは少しは見えるあのラストの意味を語りたくてウズウズ。
でも、爺いが、若者にそんな野暮なことをしたら、「トルチョック」されそうだから、やめときます。
>>あの「スターウォーズ」などは、もっともっと先の未来の映画なのに、
違います。「遠い昔、遥か彼方の銀河系」の話ですよ。
>>やはり携帯電話から進化したスマホ文化。
これを、50年前のSF映画クリエイターたちに想像しろという方が酷な話ではありますが、
この映画には出てきませんが、2001年宇宙の旅にはタブレットの様な物が出てきます。
以上、細かいツッコミでしたw
投稿情報: 自称映画通 | 2019年10 月 5日 (土曜日) 午後 12時45分
鋭いツッコミ、ありがとうございます。
勉強させていただきました。
投稿情報: Sukebezizy | 2019年10 月 5日 (土曜日) 午後 07時45分