つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
ご存知、日本三大随筆の一つ。
先日、鴨長明の「方丈記」を読みましたから、後は清少納言の「枕草子」を読めば制覇です。
書いたとされるのは、吉田兼好。
鎌倉時代末期の官人といいますから、公務員だった人。
退職後は出家して法師になります。
歌も詠み、随筆も執筆。晩年は隠遁生活。
僕は出家こそしませんが、百姓志望。
こんなブログを、つらつら書いていたり、歌を詠むかわりにカラオケ。
今は、定年退職して、ささやかな隠遁生活みたいなものですから、いにしえの老人の日々の過ごし方を参考にしようと思った次第。
しかし、読了というのはおこがましいかましれません。
もちろん、冒頭の有名な書き出しは、覚えていますが、古文は成績もあまり良くなく、読んだというよりは、文章を眺めたというところ。
ところどころに現代語訳がありましたが、これがないと、ほぼお手上げでした。
しかし、それでも伝わってくるのは、この時代は、花鳥風月が、最大のエンターテイメントであったということ。
そして、人の心の機微は、今の時代とそれほど変わらないということ。
吉田兼好が隠遁したのは、京都の仁和寺のある双ヶ丘。
こちらも、農業の修業をしたら、いずれは田舎で居を構える腹づもり。
田舎へ行けば、もちろん都市的なエンターテイメントは、ある程度は制限されます。
いいでしょう。上等です。
幸いかな。幼少の頃からの作文オタク。
「心に移るゆくよしなしごと」を、硯ではなく、iPad に向かって書き込んでいれば、誰に読まれるわけではなくとも、そこそこの満足感は得られると踏んでいます。
そして、なによりも、これは基本的にお金のかからない道楽。
畑で取れた野菜をかじりながら、腐ることなく、静かに枯れていきたいところ。
申し上げておきますが、どこかの田舎の古民家で、老人が一人、日の当たる縁側で、みかんを食べながらこときれていても、それをゆめゆめ、独居老人の不幸な孤独死などとは思われぬませぬよう。
それこそ、この本を読み終えて、今自分が思い描いている理想的な往生ということです。
貧乏上等。
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