さて、高校時代の女神たちを思い出していきましょう。
僕が高校の三年間を過ごしたのは、西暦で言えば、1976年から78年。
60歳になってみると、この多感な頃に出会った女神たちの記憶は、強烈なインパクトとして今でも残っています。
まず最初の一人。
彼女は、同時代に同じ年齢を過ごしたすべての男子に、強烈な印象を残したのではないでしょうか。
たぶん、グラビア・アイドルという女性タレントのカテゴリーを一番最初に作ったのはこの人。
元祖グラビア・アイドル。
アグネス・ラムです。
ハワイ州ホノルル出身。
父は中国系アメリカ人。母はアメリカ人。ハワイのネイティブの血も引いている彼女。
およそ全地球的なDNAをすべて受け継いでるような容姿に、圧倒的な迫力バディ。
まだ「巨乳」なんて言葉も「爆乳」なんて言葉もなかった時代。
そのあどけない顔に不釣り合いな豊満なバストを、あの当時、僕らはなんと形容していたか、にわかに思い出せません。
グラビアには引っ張りだこの彼女でしたが、僕が覚えているのは雑誌「GORO」の表紙を飾った彼女。
そして、クラリオンのCMに出ていた彼女。
活動のベースは、出身地ハワイに置いたまま活動していたので、常に彼女のビキニ姿のバックには、ハワイの海があった記憶です。
次二人目。
ジャクリーン・ビセット。
この人は綺麗だった。
中学時代にファンになった映画女優は、やはりまず映画ありき。
その映画のインパクトが強烈だったので、その延長戦で、気がついたら惚れていたという流れでした。
しかし、この人の場合は、映画よりも先にまず、映画雑誌で見た、その美しさの方から魅せられたましたね。
だから、出演映画の印象がそれほどありません。
高校時代に封切られた彼女の映画を追ってみると、77年「THE DEEP」78年「料理長殿、ご用心」。
もちろん二本ともロードショーで見ていますが、映画を見に行ったというよりも、彼女を見に行ったという記憶の方が強い。
忘れもしませんが、高校3年の1年間、一応受験勉強に勤しんだ僕の机の前には、店の売り物の雑誌「スクリーン」から拝借した、彼女のポスターがドーンと貼ってありました。
出演映画でいうなら、それ以前の彼女の若き日の映画。
「シークレット」の方が強烈でした。
彼女のオールヌードだけが売りのフランス映画。
その映画の存在は、芳賀書店発行の「シネアルバム/ジャクリーン・ビセット」を精読して承知はしていましたが、実際にこの映画を見たのは大学生になってからでしたね。
とにかく、映画の良し悪しはどうでもいい。
彼女さえ出演していれば、関東一円の映画館なら、どこでもいきました。
「クリスチーナの性愛記」「経験」「さらば青春の日」などなど。
まだ彼女が、大女優になる前の映画に、掘り出し物がたくさんありました。
いまでも、一番好きな女優の一人です。
さて、もう一人映画女優。
ラウラ・アントネッリ。
この人は、イタリアの女優です。
彼女の名前を、強烈に印象づけたのは二本のイタリア映画。
「青い体験」「続・青い体験」。
いわゆる筆下ろし映画と言われるジャンルの作品。
この二本立てを見たのは、忘れもしない名画座の「渋谷文化劇場」
この作品の製作は、1973年で、続編はその翌年。
ですから、時期的に言えば、中学時代になるのですが、これは両作品とも、僕はロードショーでは見ていません。
初めて見たのが、これが二本立てで名画座に下りてから。
それが高校時代でした。
とにかく、彼女の強烈なエロティシズムは、なにかと色気づいて、悶々としていた高校生をモーレツに刺激してくれました。
おそらく、その渋谷文化上映期間に二度見にいっています。
その後、関東一円のどこかの名画座で、この二本立てがかかれば、どこまでも見に行きましたね。
高校時代から、大学時代にかけて、いったいこの二本立てを何度見に行ったことか。
あの頃の僕の女性の趣味が、大人の年上の女性を志向していのは、まちがいなくこのヒトの影響でした。
80年代の中頃まで、この人はけっこう艶っぽい映画に出演してくれていたので、レンタル・ビデオで随分追いかけました。
随分後になって、日本未公開の彼女の出演作品のDVDなどを、Amazon で発見いたしましたが、これも躊躇なく購入。
2015年に彼女の訃報を聞いてビックリいたしましたが、遺作となったのは「青い体験2000」。
出世作となった「青い体験」と同じ監督による、正式な続編でした。
さて、4人目。
中学3年で、ポルノ映画デビューを飾った後、高校の頃には、もう当たり前のように、ポルノ映画館には通っていました。
学校をサボって、ポルノ映画を観に行ったら、映画館で同級生とバッタリなんてこともありました。
日活は、ロマンポルノへ移行。東映も、お色気映画にシフト。
ピンク映画専門の大蔵映画なんてご存知か。
こんなディープな会社の作品も、かなりの本数見ていましたね。
もちろん、大きな声ではいえませんが、個人的に気に入っていたポルノ女優もいました。
なかなかデータも少ないのですが、なんとか見つけてきました。
一人はこの人。
三崎奈美。
知っている人がいたら、相当僕と同じ穴の狢だと思われます。
彼女がデビューしたのは、東映ポルノ作品。
タイトルが、「処女監禁」。1977年の作品です。
ストーカーに拉致されるOLの役で、ほとんどセリフがなかったような記憶です。
つい最近、なんと、Amazon Prime のラインナップの中に、この映画があるのを発見しました。
残念ながら、有料コンテンツでしたので、まだ観ていませんが、これは嬉しい限り。
おそらくDVDにはなっていません。
彼女はその後、にっかつロマンポルノにも、出演していますが、こちらは観た筈なのにちょっと記憶が残っていない。
それだけ、このデビュー作の印象が、強烈でした。
ラストシーンまで、はっきり覚えています。
ストーカー男から逃げ出して、上半身露わのまま、商店街を歩いていくシーン。
カメラは、離れたところから超望遠で彼女を撮っていたので、彼女はおそらく現場に一人のゲリラ撮影。
肝が座った女優だなあと思った記憶があります。
もう1人。
ひろみ摩耶。
おそらく、覚えている人はいないでしょうね。
ポルノ映画だけでなく、一般映画にも、ちょいちょい顔を出していました。
この人も、高校時代から大学時代にかけて、出演作品はほとんど追いかけました。
ちょっと、タイトルだけ挙げてみましょうか。
凄いですよ。
「大人のオモチャ ダッチワイフ・レポート」
「安藤昇 我が逃亡とSEXの記録」
「女獄門帖 引き裂かれた尼僧」
「実録女鑑別所 性地獄」
「赤線最後の日 昭和33年3月31日」
「発禁肉蒲団」
「狂乱の喘ぎ」
とまあ、こんな具合なんですが、どの作品も、確実にみている筈ですが、内容をほとんど思い出せません。
実は、映画よりも、彼女を強烈に僕に印象付けたものがあります。
それは一冊の本でした。
雑誌のグラビアではありません。
あの当時、ベストセラーになった、ワニブックスの「奈良林祥の How To Sex」シリーズ。
全編裸の男女が、SEXにおける様々な体位を実演。
それをカラー写真で解説していくというエグい内容。
何冊かあったのですが、そのうちの一冊のモデルが、彼女だったんですね。
この本が、実家の店頭に並ぶや、夜中にそっとお店からくすねて、高校三年間は、夜な夜な眺めていました。
確か、この方は、麻薬の不法所持で捕まって、それ以降はこの世界からいなくなってしまいました。
さて、次の方は、このアフロディーテの流れからいくとちょっと異質。
といいますか、普通にいえば、彼女の方が一般的には、正統なのかもしれません。
ただ、この当時の僕のエロ目線志向から考えれば、異質という意味。
大竹しのぶです。
こういうと、彼女がまるで色気がないように聞こえてしまいますが、この時期に見た彼女の映画は、その路線の映画とはちょっと違う。
具体的に申し上げます。
僕が高校時代に見た、彼女の映画は以下の通り。
「青春の門 自立編」(1977年)
「男はつらいよ 寅次郎頑張れ」(1977年)
「事件」(1978年)
「聖職の碑」(1978年)
この人は、全キャリアを通じで代表作だらけの、大女優中の大女優。
もちろん、「男女七人夏物語」「男女七人秋物語」も、ハマった世代です。
でも、あえて、彼女を高校時代の女神にラインナップしたのは、やはりこの時期に見た彼女の映画の影響です。
なんといっても彼女の魅力は、その類稀な演技力です。
女優であれば、当然演技力で、ジャッジするのが筋です。
しかし、もうおわかりのように、中学以降の女神たちは、すべてそのセックスアピールににやられていました。
その意味では、僕の人生においてはじめて「演技力」で魅かれた女優が彼女でしたね。
特に、「青春の門 自立編」の織江役。
そして、忘れられないのが、映画「事件」のラストシーン。
大きなお腹を抱えて、渡瀬恒彦に背を向けて、歩き去ってゆく後ろ姿。
「若いのに、ちゃんと女優しているなあ。」と思ったのを覚えています。
彼女の演技力で言えば、この時期ではありませんが、もっとずっと後のNHKのドラマに、凄いのがありました。
「存在の深き眠り〜誰かが私の中にいる〜」(1996年NHK)
乖離性同一障害を扱った重いドラマです。
彼女は、自分の中に宿った五人の人格を、演技力のみで、演じ分けるのですが、それが見事でした。
あのドラマなら、NHKは、彼女に五人分のギャラを払ってもいいなんて思いましたね。
さて、高校時代の女神の最後。
けっして、エロ目線ばかりではなかった証として王道アイドル。
今回のリストアップでは、唯一のグループ。
キャンディーズですね。
彼女たち三人は、もともとスクールメイツ出身。
ドリフターズの「8時だョ!全員集合」などにも、レギュラー出演して、「ババンババンバンバン」の後ろで踊っていたりしました。
伊藤蘭がセンターで歌うようになって、ヒット曲も出るようになりましたが、なんといっても彼女たちの魅力が開花したのが、バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」
伊東四郎や小松政夫といった芸達者に混じって、堂々とコントで渡り合っていた彼女たち。
あの当時、コントもこなせたアイドルは、彼女たち以外ではいなかったんじゃなかろうか。(それ以前なら、「シャボン玉ホリデー」の、ザ・ピーナッツはいましたが)
レコードの売り上げでは、怪物ピンクレディには、かないませんでしたが、コアなファンは、案外キャンディーズの方が多かったような気がします。
衝撃の解散宣言をしてから、後楽園球場でのファイナル・カーニバル。
彼女たちが人気の絶頂を極めた頃には、僕も高校三年生。
その頃には、洋楽ロックにも目覚め、歌謡曲よりも、ニューミュージック志向になっていましたが、ピンクレディのファンとは言い辛くても、不思議とキャンディーズのファンなら名乗れる空気がありました。
後楽園球場にまではいきませんでしたが、ファイナル・カーニバルのライブはもちろん見ています。
フィナーレの「つばさ」を三人が涙で歌うシーンでは、不覚にもウルウル。
山口百恵、松田聖子、小泉今日子、中森明菜。
彼女たちの解散以降も、強力なアイドルは多く登場していますが、アイドルに心を奪われるということは、もうありませんでしたね。
というわけで、高校までのアフロディーテたち21人。
ここまでは、時系列で記憶を辿れましたが、ここから先は、記憶が混沌としてきます。
なので、ここから以降はジャンル別。
「女優 海外編」「女優 日本編」「女優 ポルノAV編」
また、シコシコとイラストを描きためてから、紹介いたします。
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