これだけの雨降りになってしまっては、百姓は畑に行けません。
そこで、本日は、DVDコレクションの中から映画を一本チョイス。
1960年の黒澤明監督作品です。
森友事件の公文書改竄問題で、近畿財務局の職員が自殺したというニュースを聞いた当時、真っ先に脳裏を巡ったのが、この映画でした。
その森友事件に、再びスポットが当てられているのは、皆さんご存知の通り。
週刊文春に、自殺した職員の手記が掲載されたことによります。
とても重い記事でした。
そして、これと同時に、自殺された職員の奥様が、改竄を指示したと言われる当時の佐川理財局長と、国を相手取り提訴に踏み切ったこと。
彼女の意図は明解。
「夫はなぜ死ななければならなかったのか。その真相が知りたい。」
これにより、俄然、世間の注目が再び集まっています。
残された手記には、当時の近畿財務局の彼の上司たちの名前が、実名で書かれており、なんとその彼らは、その後例外なく出世、またはご栄転していたという事実。
その後の人事では、証拠の書類はすべて廃棄され、彼だけが職場に一人残され、関係者はみんな移動。
これで、彼は追い詰められ、やがて病んでいき、最後には自らの命をたつことになります。
国会では、野党が食い下がって、事件の再調査を政府に詰め寄りますが、政府は当然かの如く、その必要はないと高飛車な姿勢で応じません。
「本当に悪い奴は誰だ。」
それは、誰の目から見てもはっきりしているのに、責任を押し付けられるのは末端で、実務をさせられた人。
あまりに理不尽です。
僕はテレビのニュースは見なくなりましたが、ネットを中心にこのニュースは意識的に追いかけています。
このコロナウィルス騒動で、この問題を追及するムードも立ち消えになりかかっている状況ですが、それとこれとはあくまで別。
この問題をうやむやにしては、あまりに自殺した職員が痛ましすぎます。
この映画が作られた60年前も、今も、本当に悪い奴はよく眠っているのか。
ノーテンキに、犬を抱いて、自宅で寛いだりしてはいないか。
(あの動画は酷かった)
そんなことを考えながら、改めてこの映画を再見してみました。
映画で、汚職の舞台となるのは、土地開発公団。
ここで、一人の課長補佐が、飛び降り自殺をします。
もう60年も前の映画ですから、ネタバレしてもいいでしょう。
これだけの名作を、いまだに見ていない方が悪いということにさせていただきます。
その課長補佐の息子を演じるのが三船敏郎。
彼は、戸籍を友人と交換して、公団副総裁の秘書になり、その懐に飛び込みます。
そして、その娘と結婚。
その披露宴の席から、彼の復讐が始まります。
関係者一同が顔をそろえるその披露宴の席で、それを解説する新聞記者の台詞を通じて、登場人物と舞台の説明をしてしまうという冒頭は、やはりお見事。
「ゴッドファザー」で、コッポラ監督が、この手法を映画の冒頭で流用したのは有名なお話です。
最後に出される、特注のウエディングケーキは、土地開発公団のビルを象っており、飛び降り自殺のあった7階の窓には、一本の黒いバラ。
新聞記者のセリフ。
「こりゃ、とんだ面白い一幕ものだな。」
「いや、これはまだ序幕だよ。」
この映画の主人公は、もちろん三船敏郎。
そして、その親友で、戸籍の交換に応じた加藤武も、いい味を出していました。
後の、市川崑監督の金田一耕助シリーズで、「よし、わかった!」と手を鳴らしていたあの警部役の人です。
しかしです、今回改めて見直してみると、この作品を最後までグイグイと引っ張っているのは、実は三船ではない。
公団副総裁を演じた森雅之であると分かります。
彼の重厚で、メリハリのある演技は、圧倒的。
家庭では、バーベキューで、自分の焼いた料理を娘にふるまい嬉々としている父親。
その彼が、組織と自分を守るためには、殺人をも指示する冷徹な上級官僚。
彼の演技は、この作品に関しては、完全に三船を食っておりました。
成瀬巳喜男監督の「浮雲」での彼の演技にも唸りましたが、この映画では、まるで別人が演じているようでした。
そして、もう二人。
このこの映画に命を吹き込んでいた役者がいます。
一人は、藤原鎌足。
黒澤映画では、最重要脇役の一人ですが、彼が演じた「小役人芝居」は、絶品でした。
主演の三船に言わせればこんな役どころ。
「組織に飼い慣らされ、自殺にまで追い込まれようとしても、恨むことも憎むこともしない。」
そして、彼自身にもこんな、セリフがありました。
「私にはわかる。役人は、何があっても上司に不利になるような情報を漏らすことはない。なぜかと言われても、わからない。」
彼は、自殺寸前に、三船に助けられ、自らの葬式を車の中から見せられます。
それでも、こんなことを言う。
「こんな立派な葬式を出してもらって、申し訳ない。」
そして、もう一人。
三船に過酷なまでに追い詰められる藤原鎌足の上司が西村晃。
言い方は不謹慎かもしれませんが、彼の鬼気迫る追い詰められ方は、もはやホラー映画のノリ。
黒澤監督の演出は、徹底しています。
彼が追い詰められて、次第に精神に異常を来たすまでのプロセスは、この映画の重要なエンターテイメントになっていましたね。
そして、その彼らの上司に、部長の志村喬がいるのですが、このキャラクターもリアルでした。
近畿理財局にも、こんな部長がいたのではなかろうか。
自殺した職員の葬儀の時に来て、遺族の奥様にこんなことを言った職員がいたそうです。
「どうですか。奥さん。ご主人の代わりに、近畿理財局で働かれてみては。」
これに対する奥さんの痛快な切り返し。
「佐川さんの秘書ならいいですよ、毒を盛りますから。」
これを言われたら、その職員は、もはやグーの音も出ません。
その職員の顔が、志村喬演じる部長と、おもいきりかぶりましたね。
如何にもいいそうです。
主人公の復讐計画は、妻を本当に愛してしまったところから、綻びます。
「俺には、まだ憎しみが足りない。」
そう言って、自らを鼓舞する三船。
しかし、黒澤監督が用意したのは、とても残酷な結末でした。
娘を犠牲にしてまで、副総裁が守り抜いた組織。
彼は果たして、一件落着の後、ぐっすり眠れたのか。
話を現実に戻しますが、ならば近畿理財局の職員に改竄を指示した佐川理財局長は、事件から3年が経って建てた豪邸の中で、今もぐっすり眠れているのか。
手記で名指しをされた当時の近畿財務局の、彼の上司たちの、その後の人生は果たして、幸せなのか。
そうまでして守った、組織とはいったい彼らにとってなんなのか。
副総裁は、映画のラストで、顔も見せない電話の向こうの相手に、受話器を持ちながら深々とお辞儀をします。
考えようによっては、ちょっとしたホラー映画よりもゾクッとするラストでした。
この電話の向こうで、副総裁に、外遊を指示している人物。
さあ、本当に悪い奴は誰なのか。
ぼくが、誰をイメージしていたかは、ご想像にお任せいたします。
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