散りゆく花
またまた、古い古い映画を鑑賞しました。
先日鑑賞した、ドイツ映画「カリガリ博士」が、1920年の映画でした。
本作は、1919年の、はアメリカ映画。
もちろん、サイレントです。
これで、鑑賞した古い映画記録は、一年更新です。
この映画は、機会があれば、是非見たいと思っていた一本です。
さすがに、自前のDVDライブラリーにはない一本。
Amazon プライムにありました。
思わず、ガッツポーズ。
もう、100年以上の前の映画ですから、パプリック・ドメインになっています。
後で調べてみたら、YouTubeで、全編90分のものがアップされていましたね。
この映画を知ったのは、淀川長治氏の名解説です。
なんの番組だったかはもう忘れてしまいましたが、例の名調子で、まるで昨日見てきた映画のように、解説してくれました。
これを、覚えていたわけです。
そして、もう一人。
黒澤明監督ですね。
娘の和子さんが執筆された「黒澤明の選んだ映画100本」の中でも、一番最初に紹介してあった一本です。
淀川長治氏と、黒澤明監督は同年代。
ちょうど、子供の頃に、この映画を見た世代です。
そのお二人が、胸を締め付けられたというのですから、100年前の映画であることを差し引いても、見ておきたいとずっと思っていました。
考えてみれば、この頃のサイレント映画をリアルタイムで見たことのあるという人は、今では、ほぼ生きていないはずです。
お二人の世代で最後でしょう。
これからの方は、リアルタイムで見た方のナマの感想はもう聞けないわけです。
そうとなれば、僕のような、映画マニア爺さんの感想でも、少しは役に立つかもしれません。
もちろん、淀川先生のような解説はできませんが。
さて、この映画の監督は、D.W.グリフィス。
主演は、リリアン・ギッシュ。
サイレント時代の、名コンビです。
「目よりも、小さい口」と言われた、日本流に言えばおちょぼ口が魅力のリリアン・ギッシュ。
実は、この人の映画は、他に二本見ています。
一本は、「狩人の夜」という1955年の犯罪映画。
そして、もう一本は、「八月の鯨」。
これは、1987年の映画ですから、彼女はなんと93歳。
なかなか、チャーミングでした。
この「散りゆく花」の撮影の時、彼女はすでに26歳。
しかし、彼女が演じたのは、15歳の薄幸の少女ルーシー。
どうして、幸が薄いのかといえば、今風に言えば、ルーシーは、家庭内DVの被害者なんですね。
おとっつぁん(淀川氏風に言えば)は、ボクサーで、父子家庭。
この、おとっつぁんが、まあ乱暴で、殴る、蹴る。鞭で引っ叩く。
いつしか、ルーシーは、笑えなくなっています。
でも、このおとっつぁんに、「笑え!」と脅かされたりするんですね。
もちろん、サイレント映画ですから、ここは、字幕になりますが。
ルーシーは、笑おうにも笑えなくなってしまっていて、指をチョキにして、悲しい目をしながら、口角を押し上げて、無理矢理、笑顔を作るんですね。
まあまあ、その痛々しいこと。
そんな彼女に、救いの手を差し伸べるのは、中国の青年。
仏教の教えを広めにロンドンに渡ってきましたが、すでに志は敗れ、今ではアヘンなどにも手を出して、すさんだ暮らしをしていました。
しかし、街角で美しいルーシーを見初めて、恋心を抱きます。
そんな彼女が、DVから逃れて、フラフラになりながら、彼が任されている店に、迷い込んできて、そのまま倒れ込んでしまいます。
映画の原題は、「BROKEN BLOSSOMS or THE YELLOW MAN AND THE GIRLS」
中国人は、Yellow Man という表記ですね。
そういうことなら、演じるのは東洋人かなと思いきや、アメリカの俳優でした。
リチャード・バーセルメスという人。
両眼を以上に吊り上げて、一応東洋人ぽくメイクはしていましたが、残念ながらまるで中国人には見えませんでした。
この当時のハリウッドには、日本人の美男俳優・早川雪舟もいたでしょうから、そんなキャスティングはできなかったものか。
この役、なかなかいい役でしたよ。
さて、その彼女を、二階にかくまう中国青年。
生まれて初めて人の優しさに触れたルーシーも、目はハートマーク。
待て待て。
児童相談所でもないのに、15歳の未成年を、親に無断で、拉致してもいいのか。
まあ、そんな野暮なツッコミはしまっておくとしましょう。
しかし、中国青年は、東洋人のモラルをきちんと持っていて、「男はつらいよ」の寅さんよろしく、彼女にはもちろん手を出しません。
優しく、介抱するのみ。
しかし、この店に匿われていることを、おとっつぁんの知り合いに知られてしまいます。
怒り心頭で、店に乗り込むおとっつぁん。
青年は出かけていましたが、二階にいるルーシーを発見。
なにせ、ボクサーですから、暴れ出したら止まりません。
あたりのものを破壊しまくって、ルーシーを連れ去ります。
家に連れ帰っても、怒りが収まらないおとっつぁん。
ちょっとした隙を見て、ルーシーは、クローゼットに逃げ込みます。
しかし、おとっつぁんは、斧を持ち出して、ドアを破壊しにかかります。
おっと、待った。
このシーン、どこかで見たことがあるぞ。
はい、思い出しました。
スタンリー・キューブリックの「シャイニング」じゃありませんか。
斧で壊したドアから、ニョキリと顔を覗かせるあのシーンです。
ルーシーの、恐怖に怯えるシーンは、なかなかの迫力でした。
当時の彼女のファンたちは、みんな、このシーンで胸を締め付けられたのではないでしょうか。
一方、ルーシーが連れ去られたことを知った青年は、ピストルを胸に・・
この後は是非、YouTube でお楽しみください。
「映画の父」と言われたグリフィス監督は、リリアン・ギッシュとのコンビで、この時代に、幾つもの名作を世に送り出しています。
もちろん、全てサイレント。
「国民の創世」
「イントレランス」
「嵐の孤児」
全て、未見です。
どれも、映画史的には価値のある作品ばかり。
淀川長治先生の、解説もいまだに頭には残っていますので、映画マニアの基礎知識として、見ておきたいところです。
新作も見たいところですが、やはり当たり外れはあるもの。
そこへ行くと、クラシック映画であれば、すでに名作かどうかのジャッジは出ています。
その意味では、保証付。安心して見られます。
それが、名作と感じられなかったら、こちらの問題ということ。
さて、残りの人生で、果たして、旧作も含めて、一体何本の映画を見られるか。
でも、ポストコロナにおいては、自宅での映画鑑賞は、エンターテイメントの王道となるでしょう。
百姓ですから、雨が降れば、自宅で読書が映画鑑賞。
お金を使う道楽はそうはできませんが、これでも上等。
せいぜい、居住まいを正して、楽しんでいくことにいたします。
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