さて、いよいよ「紀子三部作」の最後「東京物語」。
日本映画が、世界に誇る名作中の名作です。
2012年に、世界の映画監督たちの投票による映画ランキングで、堂々の1位に輝いた世界の映画の中の、ベスト・オブ・ベスト。
僕が、学生の時、一番最初に見た小津映画がこの「東京物語」でした。
この時は、実年齢で49歳だった笠智衆の見事な「老けっぷり」に、すっかりやられてしまいました。
とにかく、役作りが完璧でした。
ここまで、出来上がってしまうと、もう演技は関係ない。
その佇まいや、立ち振る舞いの一挙手一投足で、語れてしまいます。
小津監督が、笠智衆を評してこう語っています。
「笠は、とにかく人間がいい。それは演技にも出る。」
それはまさにその通り。
彼のセリフは、もはや演技ではなく、人間性そのものが、にじみ出くるような味わいのものでした。
この映画を見て以来、僕の「老人フェチ」が始まります。
今でも、枯れた素朴な老人とコミュケーションするのは、大好物。
何時間でも、喋っていられますね。
この映画の中での笠智衆の台詞の中で、頭から離れないものが二つあります。
危篤の妻を団扇で風を送りながら、周吉は優しくこう語りかけます。
「治るよ。治る。治る。治るさ。」
「治る」という短い言葉のリフレインなんですが、この一つ一つのニュアンスが微妙に変わっていくんですね。
そして、最後の「治るさ」のトーンを聞いて、観客は誰もが、この妻はもうすぐ死ぬということを直感的に理解することになります。
周吉は、静かに、妻を見つめているだけ。
還暦を超えて、確実に脆くなってきた涙腺は、もうここで一気に崩壊します。
本当に見事なシナリオです。
そして、もうひとつ。
これは、妻が亡くなった朝。
浄土寺の境内から、海を眺めていた周吉を、紀子が迎えに行くシーン。
周吉のセリフはこうです。
「ああ、綺麗な朝焼けじゃった。今日も暑うなるぞ。」
子供たちは、まだみんな亡骸の前で、涙に暮れています。
しかし、周吉の口から出た言葉は、意外にも、あまりに日常的な一言。
これは、リアルでした。
僕にも似たような経験がありましたね。
父が亡くなった時にも、母が亡くなった時にも、弟たちは、ほぼメロメロ。
僕だけが、妙に冷静でした。
彼らのようには、泣けなかったという記憶があります。
自分でも驚くくらいに、淡々と仏事を進めていましたね。
葬儀、納骨、法事までが全て終了して、自分の部屋に戻り、遺影を置いた瞬間でしたね。
ツツーッと、涙が頬を伝ったのは、その時でした。
今から、30年ほど前。
三人兄弟の休みを調整して、家族旅行に出掛けたことがあります。
向かった先は、修善寺温泉。
運転や、道中の雑事は全て、弟たちに任せて、僕はひたすらビデオ・カメラを回していました。
その頃は、一端の映画マニアでしたから、旅の記録は、一本の動画にまとめるつもりでした。
出かける前から、タイトルは既に決まっていました。
「伊豆物語」
もちろん、小津監督の、「東京物語」をたぶんに意識したものです。
道中、自分の両親を「東京物語」の老夫婦に見立てて、撮影していきました。
もちろんカラーですので、「東京物語」のように「枯れた」感じは出せませんでしたが、やはり、このDVDは今となれば貴重な資料映像。
まさに、我が家族にとっての「東京物語」です。
「東京物語」同様に、我が家でも、先に亡くなったのは母親でした。
父は、その時、脳梗塞で入院していましたが、やや感情失禁気味な状態でしたので、笠智衆のようにはいかずに、オイオイと泣き崩れていました。
父は、晩年の7年間を、きっちりと介護老人として過ごすことになります。
しかし、母の方は、父の入院中に、心臓の発作で病院に搬送されて、その翌日には亡くなりました。
ちょうど、これも東山千栄子の演じた母親と一緒です。
亡くなるまでの数年間、つまり晩年の母親は、父親とは違って、実に元気でしたね。
すでに、実家の書店は閉めて、年金暮しではありましたが、仲の良かった兄妹たちと、毎年のように旅行に出かけていましたし、故郷にも、何十年ぶりで里帰りして、幼なじみたちと、会って来たと目を輝かせていました。
「もうこれで、みんなとも会えたし、思い残すことはない。」
ちょうど、映画の中で、東山千栄子が言っていたのと、同じようなことを言っていたのを思い出します。
そして、その矢先の突然の発作。
「虫が知らせたのかしら。」という杉村春子とのセリフもありましたが、そういうことは、後から考えれば、人生には、往々にしてあるものだと、映画と重ね合わせておりました。
映画と同様、我が家族でも、残されたのは父親でした。
その父も、その4年後に他界。
結局この二人に、長男は、嫁の顔も、孫の顔も見せてあげることはできませんでした。
考えてみれば、こんな親不孝はなかったかもしれません。
この点につきましては、いずれあちらに呼ばれた時には、平伏して首を垂れるのみ。
申し訳ない。
親のDNAは、子孫に伝えられなかった罰当たりな長男ではありますが、それでも何かしら、伝えられるものは、まだあるかもしれません。
もちろん、血の繋がりだけが、全てではないでしょう。
ヒロインの紀子は、戦死した次男の嫁でしたから、老夫婦とは血のつながりはありませんでした。
しかし、彼女は、周吉に頼まれて、亡くなったトミの形見の懐中時計を託されます。
「実の子供たちよりも、いわば他人のあんたの方が、私たちに、ようしてくれた。本当にありがとう。」
実は、僕と亡くなった母との間にも、血の繋がりはありませんでした。
僕の実母は、僕が3歳の時、乳癌で亡くなっており、父親は、その後に子連れで再婚しています。
ですから、この笠智衆のセリフは、そのまま、僕から母へのセリフでもあります。
やはり、グッときましたね。
映画のラスト、東京へ帰る山陽本線の列車の中で、彼女はしっかりとその懐中時計を握りしめます。
もちろん、ここにも、きちんと家族の「繋がり」は描かれていました。
ある意味では、実の子供たちよりも、深いものとして。
家族を持たないという選択をしてきた身としては、残りの人生で、一体誰に何を残せるのか。
これは、畑仕事の合間にも、ちゃんと考えておく必要がありそうです。
還暦になって見直すと、この映画からは、また新たな「意味合い」が発見できます。
「東京物語」のもつテーマの深淵は、やはり、この先時代がいくら変わっても、決して色あせることなく、国境すら超えて、観るものに語りかけ続けるのでしょう。
小津監督は、いい作品を残してくれました。
やはり、何度見ても、いい映画です。
さて、最後に白状しておくことが一つ。
ここ最近の畑作業のメインは草むしり。
座ったり、腰を屈めた状態がしばらく続いた後で、腰をあげようとすると、立ち上がってしばらくは、笠智衆歩きに・・・
いやいや、老境とは言っても、さすがに、腰が曲がるのは避けたいところ。
ここは、ググーッと、背筋を伸ばして、畑仕事に精を出すことにいたします。
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