大学生になって、一番最初の講義というのを今でも覚えています。
我が母校は東洋大学。
朝霞に新校舎が出来て、その一期生が僕らでした。
その講義は、一般教養の社会学。月曜日の1限目。
なかなか、人気の講義で、朝霞校舎では、一番広い教室が使われていました。
渡辺教授の第一声。
「君達の先輩には、あの坂口安吾がいます。」
その名前だけは知っていましたが、彼が自分たちの先輩であったことは知りませんでした。
僕が、母校の先輩として知っていたのは、クレイジーキャッツの植木等と、野球の落合博満くらいのもの。
東洋大学というのは、今でこそ、東京箱根大学駅伝で、その名を認知されるようになりましたが、当時は、授業料が私学の割には安いというくらいの取り柄しかない大学でしたね。
六大学を受験する学生が、すべり止めで受けるというのが定番でした。
僕の場合は、六大学に合格するような偏差値は、はなからありませんでしたから、東洋大学が第一志望でした。
確かに、この第一志望は合格は致しましたが、他に受けた、3つの大学は、すべり止めまで含めて、みんな落ちていますから、まぐれみたいなものです。
僕は幸い浪人はしませんでしたが、当時の友人たちは、浪人を経て、六大学受験には失敗、夢破れ、やむなく我が大学に来るというのが結構多かったのは事実。
そんな、ムードを察していたかのように、社会学の教授は、一番最初の授業でこう切り出したのでしょう。
諸君、うちの大学も、それほど、捨てたものじゃないぞ。
というわけで、「堕落論」です。
「堕落論」自体は、14ページ程度の短いエッセイです。
今回読んだのは、この「堕落論」を含む、坂口安吾の随筆集。
表題随筆の他にも、「戦争論」「天皇小論」「太宰治情死考」など、なかなか面白い随筆もありましたが、ここでは、タイトルの「堕落論」を取り上げることにします。
発表されたのは、終戦直後の昭和22年。
「半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかえりやみや みはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。」
書出しはこんな感じ。
安吾は、東京に住んでいましたが、友人たちんからの疎開の勧めも断って、B29の爆撃で崩壊していく東京に残り続けます。
そして、米兵たちが上陸してきて、自らの命も蹂躙される事を覚悟の上で、破壊されていく東京と、そこで息を潜める人々を静かに観察します。
「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。」
東日本大震災の時も、被災者たちのモラルあふれる行動は、全世界で称賛されました。
今回の、コロナパニックにおいていも、日本の死者数が、欧米に比べて低い数でとめられているのも、「我が国は、民度が違う」なんて、財務大臣に「ドヤ顔」で言われたりしもましたが、(アナタに言われたくはないけどね)少なくとも、国民が歯を食いしばって必死にこらえているということが「日本モデル」を下支えしていることは事実でしょう。
しかし、そんな我慢がいつまでも続くわけはなし。
このコロナ騒動が落ち着いたら、いったいどういう世の中になるのか。
大災害の中においては、人の堕落は確かにないかもしれません。
そりゃそうです。みんな必死ですから。
しかし、この騒動の中で、自分たちが選んできた政権の「堕落」は、目の当たりに見ることになります。
コロナに対する政府の対策は、恐れながら、何一つ成功したものはありません。
どれも、お粗末な、尻つぼみなものばかり。
こんな時にさえも、この政権の考えることは、自分達周辺への利益誘導だけ。
安倍総理の演説は、精神論を煽って、強がるだけで、自分の弱さも曝け出して国民に訴える他国のリーダーたちとは雲泥の差。
国民を救おうなんていう使命感は、この政権にはかけらも感じられません。
森友問題。
公文書偽造問題。
桜を見る会問題などなど、いまだに白黒つかない疑惑も山積み。
この政権の「堕落」ぶりは、過去の政権には、ちょっと類を見ません。
しかし、これだけの問題を抱え、大災害の真っ只中で、今週末には、国会を閉会しようという算段の安倍政権。
理由は明明白白。
このまま、国会を続けていたら、野党から痛いところを突かれまくり、政権支持率が下がるのは必至だからです。
事実今までも、政権の支持率は、国会開催中は下がっていき、国会閉会中には徐々に回復しているということが続いてきました。
「国民はバカで、忘れやすいから、色々と問題がある時には、国会中継はない方がいい。」
この長期政権は、こういうことだけは、ちゃんと学習しています。
しかし、やはり安倍政権だけを批判するのは、よくよく考えれば筋違い。
そりゃそうです。
なんのかんのといっても、この政権に日本の舵取りを委ねてきたのは、選挙で投票した(もしくは、選挙に行かなかった)、我々国民です。
これは、ある意味では自業自得。
日本の成長などは犠牲にしてでも、政権を維持させるためのノウハウだけには特化してきた政権です。
これからも、嘘、ごまかし、改竄など、あらゆる犯罪的手段を使って、政権を維持させて行くことだけには最大限の悪知恵と税金を注ぎ込んでくるでしょう。
それを承知した上で、尚もこの政権を続けさせることを黙認するなら、いくらこちらの民度が高くとも、もはや同罪です。
結局は、この政権と一緒に、「堕落」「心中」するしかない。
というところで、「堕落論」に戻りましょう。
坂口安吾はこう言います。
「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」
「堕落すべき時には、まつとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。」
坂口安吾は、堕落することを、決して否定している訳ではありません。
人間とは、堕落するものだと言い切っています。
これは、政治に置き換えてもいいかもしれません。
イギリスの歴史家ジョン・アクトン卿がこう言っています。
「権力には腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」
どんなに一流の人格者が政権をとっても、そのベクトルは変わらない。
ならば、一流どころではない、人間として二流な人物が、絶対的権力だけは手にしてしまったら、一体どういうことになるか。
それを、我々は今実体験しています。
今この政権が抱える真っ黒い疑惑の数々は、この法則に則れば当然の結果ということになります。
それでも、このままでいて欲しいという私利私欲に憑かれた既得権者は、まだまだ大勢いるでしょう。
もし今国会が予定通り、この週末で閉会し、再び支持率は上がって、次の総選挙で自民党圧勝ということになったら、やはりこの責任を取るのは国民ですね。
政治に背中を向け続けてきた罪は重いと思います。
つまり、結論から言いますと、墜ちるところまで堕ちないと、人は新しい行動を起こせないということです。
中途半端な状態が、ダラダラ続くことが、最も不幸なこと。
その意味で、坂口安吾は、「堕落」を否定しません。
そして、こうも言います。
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如く に日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物で ある。」
というわけで、この政権を存続させてしまった罪に対するケジメを、そろそろ我々もしっかりつけないといけない段階に来ているのではないかという話です。
気がつけば、我が国自慢の、経済力、技術力、教育力は、もはやとっくに世界のトップレベルではありません。
アジアの中でさえも、すでに我が国は二流。
いまだに、過去の栄光だけにすがる為体。
そんな国が、世界の先進国と肩を並べて、リーダーシップを発揮するなんて、夢物語もいいところ。
すべては、国の舵取りの失敗からです。
先進国の中で、20年もの長きにわたって、経済成長をしていない国なんて、我が国だけです。
しかし、それを政治のせいにしても始まりません。
すべては、その政治を野放しにした、我々のツケです。
政治に無関心で、自分のことしか考えて来なかったことのツケです。
しかし、そろそろそれに、気がついてきた人も現れ始めました。
今回、検察庁法の改定に対して、Twitterの、抗議が、政権を動かしたことは収穫でした。
腐敗した政権を律することができるのは、警察でもなく、検察でもなく、やはり国民であるということに、誰もがやっと気がついたことには、わずかな光明はあります。
とにかく、現政権は、もう世論しか見ていません。
そりゃそうです。
現政権を生かすも殺すも、すべては国民の一票にかかっているわけですから。
いずれにせよ、この政権がこのまま続いていい道理がない。
もちろん、その後を誰が引き継いでも、それで問題が解決するというわけでもない。
そして、その政権も、長く続けばやはり「堕落」するということです。
しかし、それでもその先へ進もうというなら、我々は、やはり堕ちるところまで墜ちる必要があるのかもしれません。
とにかく、その先へ行かなければならないのなら、中途半端な状態が続くよりも、いっそ堕ち切ることは、やむを得ないかもしれません。
いくところまで行かないと、フェーズは変わらないということ。
今回の騒動で、「地獄の門」をすでに、くぐってしまっている人も、多くいるかもしれません。
きついかもしれませんが、もう少々辛抱は必要でしょう。
我が国の「民度」は、他国に比べて高いということなので、残念ながら「堕ちきる」までには、まだもう少々時間がかかると見ます。
坂口安吾は、先の戦争の「偉大なる破壊」を眼前にして、その中でも、焼け跡からバケツを掘り出しながら、普段と変わらない笑顔で笑っていた女学生を見て、爽やかさを感じたと書いています。
大丈夫。
墜ちるところまで、堕ちたら、これはもう居直るしかないでしょう。
そこで、ベクトルさえ変われば、そこからが、本当の我々のポテンシャルです。
今度は、我々が学習する番です。
ところで、いやいや、冗談じゃないと思われる方。
堕ち切る前に、なんとかしようじゃないのという方って、どれくらいいらっしゃいます?
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