ムーンライト
とても、デリケートで、静かで、優しい映画でした。
2017年のアカデミー賞作品賞受賞作です。
この年は、「ラ・ラ・ランド」が6部門で受賞しており、作品賞も取るだろうという大方の予想を覆して、作品賞を獲得したのがこの映画。
その他に、助演男優賞と、脚色賞を受賞しています。
前回見た「アス」は、黒人監督の元、黒人の四人家族がメインキャストでしたが、白人もキャスティングされていました。
しかし、今回は監督も黒人なら、キャストのほとんどが黒人というオール黒人映画でした。
70年代に見た映画で、何本かそんな作品を見た記憶がありましたが(「黒いジャガー」など)、かなり久しぶり。
初見の映画を見るときは、前知識を一切入れないで鑑賞することにしているのですが、単純に黒人がメインの映画ということなら、やはりBLM系の、暗くて重い人種差別を扱った映画なのかなと勝手に思っていました。
しかし、確かに黒人の貧困層を描いている映画ではありましたが、映画の根底に静かに横たわるメインテーマはLGB。
タレル・アルヴィン・マクレイニーが書いた私小説的戯曲ベースに、バリー・ジェンキンス監督が脚色して映画化したもの。
町山智浩氏の解説によれば、この二人は、面識はなかったものの、同じ街で、同じ時期に、ほとんど同じ境遇で育っていたとのこと。
その巡り合わせが、この映画が作られるきっかけになったとのことでした。
内容は、シャロンという主人公の成長譚。
3部構成で、少年時代、ハイティーン時代、青年時代の主人公を、それぞれ別の俳優が演じるという構成。
このスタイルは、「シネマ・パラダイス」がそうでしたが、主人公に目が慣れたところで、演じる役者が変わってしまうと、なかなか感情移入が難しいもの。
しかも、演じる役者は、それぞれかなりタイプが違っていて、やせっぽちでチビのいじめられっ子が、青年になるとムキムキのマッチョマン。
正直申して面食らいましたが、これを助けてあまりある印象を残したのが、助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリ。
少年時代のシャロンの父親がわりになるのだけれど、シャロンの母親が中毒になってしまうクラック・コカインの売人という難役が彼です。
彼は、第一部に登場しただけで、第二部ではすでに死んでしまっています。
このマハーシャラ・アリが実は、ムキムキのマッチョマン。
第三部で、シャロンが筋骨隆々な姿で登場した時には、一瞬このアリが現れたのかと思ってしまいました。
しかし、少年期に彼を慕っていたシャロンが、「彼のようになりたい」という強い思いで、自らを鍛え、そして同じくヤクの売人になったのだと説明されればこれは納得。
さて、問題のLGB問題。
少年期のシャロンは、いじめっ子たちに、オカマと言ってからかわれるのですが、ハイティーンになった彼は、実際に自分がゲイであることに気がつきます。
ある月夜の海岸。
シャロンは少年時代からの友人と、並んで海を見つめます。
そして二人は・・・。
第三部では、この友人との再会が、映画のクライマックスになっていきます。
黒人映画であれば、音楽にはヒップホップが多用されそうなものですが、全編に流れるのは意外にもクラシックな音楽。
今まで見たどの黒人映画にもないテイストでした。
限りなく私小説チックなこの黒人映画が、アカデミーの作品賞をとった意義は大きいと思います。
ハリウッドでは、何かが大きく変わって来たと感じた一本。
最後のエンドロールを見ながら、脳裏をかすめたこと。
このテーマであれば、あるいは黒人に拘らないキャストであっても、成立した映画かもしれません。
黒人が、アメリカ全人口のおよそ、1割ということを考えると、このテーマで観客を呼び込もうというなら、肌の色に拘らないとキャストで映画化する方が、興行収益は上がりそうな気もします。
しかし、これをあえて黒人だけで描いた本作。
もしも、この映画が、黒人映画でなかったらどうだったかと考えてしまいました。
その場合、果たして、アカデミー作品賞を獲得出来たかどうか。
実数は知りませんが、普通に考えれば、アカデミー賞を選出する米アカデミーの会員の9割は黒人以外の人たちでしょう。
その彼らが選んだのが、この極めてセンシティブな黒人映画だったということ。
そこには、色々なバランス感覚が働いたような気がします。
例えば主役のシャローンが黒人でなかったらどうだったか。
たぶん、作品賞は、「ラ・ラ・ランド」であったかも知れません。
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