1939年に製作された、ハリウッド映画の金字塔といえばこの映画。
主演は、クラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リー。
監督は、ヴィクター・フレミングとクレジットされていますが、実際には、ジョージ・キューカーや、サム・ウッドといった当時の名監督達も、この映画のメガホンを撮っています。
これらの監督を次々と交代させて、映画を完成させた、今で言うところの総指揮者は、プロデューサーのデビッド・O・セルズニック。
この映画は誰が作った映画かといえば、やはりこの人にとどめを刺すでしょう。
AFIの「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」でも、堂々一位に輝いていたのは、この映画のこのセリフでした。
これは、後半のラスト近く。
愛する我が子を失い、メラニーの死も看取ったレッド・バトラーが、スカーレットとの別れを決意し、タラを去ろうとするシーン。
ここに至って、やっと自分が愛していたのはレッドだったと気づくスカーレット。
しかし、時すでに遅し。
「あなたが行ってしまったら、私はどこで何をすればいいの?」と、すがりつくスカーレットに、レッドは冷たく言い放ちます。
「申し訳ないが、俺の知ったことじゃない。」
頭がパニック状態になったスカーレットの耳元に、今は亡き父親達の声が聞こえてきます。
「お前には、タラがあるじゃないか!」
タラ・・・・タラ・・・・
そして、次に続くのが、スカーレットのあの有名すぎるセリフです。
これは、「明日は、明日の風が吹く。」という翻訳が有名です。
僕も、これで覚えていました。
直訳すれば、「結局、明日は別の日なのだから。」
しかし、僕が初めてこの映画を見た、日本テレビの「水曜ロードショー」における、栗原小巻の吹き替えバージョンは、ちょっと違っていました。
「明日に、希望を託して!」
確か、そんな風に吹き替えられていたと記憶しています。
マックス・スタイナーの流麗なテーマで盛り上がる、3時間42分に及ぶ超大作のラス・シーンで、「明日は明日の風が吹くわ」というのでは、確かに少々拍子抜けかもしれません。
これは、超大作の大円団に相応しい、ドラマチックな言い回しに修正されたのでしょう。
そして、もう一つ、この映画から、「アメリ映画名セリフ・ベスト100」にランクインされていたのが、映画のちょうど真ん中、前半のラストシーンでのあの名セリフ。
戦火のアトランタから、なんとか屋敷にも戻って来たスカーレットは、戦争で荒れ果てた我が家を目の当たりにします。
屋敷には、すでに食料も尽きている状態。
夕焼けに染まる畑に出て、痩せ細った人参をかじりながら、スカーレットは必死の形相で、神に向かって叫びます。
「神よ。お聞きください。私は二度と飢えません。」
たとえ、どんな非道なことをしでも、私は、二度と家族を飢えさせません。
タラの大地に誓うスカーレット・オハラ。
個人的には、少々女々しい後半のラストよりも、強く逞しい、こちらのスカーレット・オハラの方に、シンパシーは感じますね。
この映画は、アカデミー賞の作品賞、主演女優賞、監督賞の他に、黒人のハディ・マクダニエルが助演女優賞を獲得しています。
これは、アカデミー賞史上で、初めて黒人が獲得したもの。
映画の中では、屋敷の召使いの役でした。
この映画では、黒人奴隷たちの扱いには細心の注意が払われて作られたようですが、それでも近年のBML運動の中で、上映禁止運動が起こる騒ぎが起こったのは今年のこと。
個人的には、この時代のアメリカを描く映画で、黒人奴隷たちを扱わないのもやはり不自然という気がします
確かに黒人の観客にとっては、不愉快なのかもしれません。
でも歴史は歴史です。
それは変えられません。
「地球上のどこかで、必ず上映されている」と言われるほどの名作ですから、そこは鑑賞する側のモラルに委ねましょう。
それがどうしても不快なら、見なければいいだけの話です。
確かに、アメリカでの人種差別問題は、単一民族国家の日本人には、肌で理解できない部分もあるかもしれません。
でも、世界は変わりつつあるようにも思われます。
もしかしたら、「明日は別の日」になっているかも・・
無防備の黒人に、警官が背後から発砲するSNSの動画は確かにショッキングでした。
でも、これから先もまだあんな酷いことが続くようなら、日本人としては一言だけ。
”Frankly, my dear, I don't give a damn.”
コメント